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BABYMETAL探究(舞踊考7~舞踊とは?)

2015-04-02 22:46:13 | babymetal
BABYMETALの「振り」=舞踊を、ダンス、と呼ぶことへの違和感はかつてここに書いたことがあるのだが、それはいったいどういうことなのか、改めて考えてみた。

参考にした文献が、『舞踊学講義』(舞踊教育研究会 大修館書店)である。
言うまでもないが、BABYMETALを考えるために購入したものの、ひとつだ。
これも、BABYMETALの中毒症状の、ひとつ(でも、こんなのは可愛いもの、ですよね?)だ。

歌でもなく、楽器の演奏でもなく、(それらも超絶的に凄いのだが、さらにそのうえに)「振り」=舞踊による彼女たちのヘヴィ・メタルの「演」奏。
それは、今までのヘヴィ・メタルを語るやり方では語りきれない。語る側も全く新たな思考ツールを用意しなければならない、というのが、BABYMETALの革新性(のひとつ)であり、彼女たちのパフォーマンスを語りたくなる秘密(のひとつ)なのだろう。

この文献『舞踊学講義』でとりわけ興味深かったのが、第4章の「日本の伝統舞踊」という章だ。
次の引用部分などを読むと、僕が、BABYMETALの「振り」をダンスではなく舞踊と呼ぶべきだと考えてしまう、その謎をほどくためのヒントが語られているような気がする。

一般に、日本の伝統舞踊は「舞(まい)」と「踊(おどり)」にわけて定義されることが多い。そもそも「舞踊」という言葉は、明治以降使用されている新しい言葉である。それ以前には「舞」「踊」「振(ふり)」などの名称が用いられ、それぞれに異なった舞踊の概念を内包していた。通常、舞楽・能楽・神楽などは舞と呼ばれ歌舞伎・盆踊り・念仏踊りなどは踊と呼ばれる舞は旋回運動を中心とした舞踊踊は跳躍運動を中心とした舞踊と解釈されている。しかし、舞にも跳躍運動が、踊にも旋回運動がみられ、必ずしも舞踊運動による相違だけでは両者を区別しがたい。一般に舞は静的で意識的であるのに対し、踊は躍動的で熱狂的である。また、舞が上昇階級志向であるのに対し、踊は庶民志向である。舞と踊というそれぞれ異なった表現の性質を舞踊の中に見いだし、それらを区別して伝承している点が、日本の舞踊伝承の特色の一つであろう。

読んで、びっくり、そして、納得である。ここに述べられている「日本の伝統舞踊」の特徴とは、まさに、BABYMETALの「振り」をこそ語っている!
(おそらく、ダンスには、こうした「舞」「踊」の区別なんてないだろう。)
ここを読んでまっさきに思い浮かんだのが、「BABYMETAL DEATH」の「振り」=「舞踊」だ。舞楽・能楽を思わせる静的な仕種と、バタバタ駆け回る熱狂的な躍動との混在は、まさに、上の「舞」と「踊」という説明によって言い当てられている。考察中の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」も、ダンスではなく、「舞」「踊」なのだという観点から分析できるものだと僕は考える。
もちろん、ダンスにおいても、さまざまな様態の動きが組み合わされてはいるのだろうが、そこには、本来、「舞踊」とは「舞」と「踊」という異なった(ある種対極的な)性質の表現なのだ、という核心は看過されてしまう。

そして、さらにもう一つ、
同じ章に、BABYMETALの「振り」を考えるうえで、極めて重要な記述がある。

日本の伝統舞踊における表現性の第一の特徴として、舞踊が純粋に舞踊として存在するのではなく、演劇や音楽などの要素と一体となって伝承されている表現要素の「複合性」をあげることができる。能楽や歌舞伎の演者にみられるように、演者は舞踊行為の他に台詞を語り、歌を歌い、場合によっては楽器も演奏する。そのため日本の伝統舞踊は総じて「芸能」という名称で呼ばれることが多い。しかもこれらの芸能における表現システムは、舞踊、音楽、演劇、造型などの表現要素が単に加算された構造ではなく、たとえば演奏者と踊り手とはお互いにリアルタイムに間合いを図りながら演じるように、要素ごとの相互作用を重視した構造になっている例が数多く認められる

これも、まさにBABYMETALのことを語っている記述として僕には読めてしまう。
BABYMETALがアイドル畑の出身であることの、ヘヴィ・メタルとしての意味があるとすれば、まさにこの、「芸能における表現システム」をヘヴィ・メタルにもちこんだ、ということにあるのではないか。
「芸能界」のアイドルたちのおこなう「振り」とは、「複合性」の表現であり、そこからダンスを純化したものが、例えばEXILEやE―girlsだとすれば、BABYMETALの「振り」は、前者に属するものである。それは、優劣評価ではなく、踊りの質の違いだ。舞踊を純粋に舞踊として見せようと前景化するEgirlsではなく、演劇や音楽などの要素と一体となって、観客にはたらきかけるBABYMETALの「振り」とは、日本の「伝統」の流れの端に正しく存在するものなのだろう。

ここまでくると、僕は、僕自身の違和感の正体がくっきりしたように思われる。
ダンス、という呼び方では、最初の引用の「舞」と「踊」の異質性(とその混然化)や、二つ目の引用の「芸能における表現システム」に触れることができない、と、何となく感じていたからなのだろう。

もちろん、他の章にも、BABYMETALの魅力を探るうえで、いろいろと示唆的な記述は、いくつもあった。

・舞踊は、創造的な想像力によって空間化された身振り、すなわち、虚の身振りである。

・舞踊とは変身の行為そのものだとは感じないか。

・踊る行為には、「コミュニケーション」(伝達、共有、共感)、「クリエイティブ」(創造的、自発的な自由な行為)、「イクスプレッスィブ」(表現的な行為)の意味が含まれている。

・踊ることの不思議な魅力は、「何を表わしているか」という観念的な意識からではなく、むしろ何かを感じて集中した身体、動きの緩急の中に、内から表現感が表れてくるところにある。

・舞踊の際立った特性が、これまで我々が慣らされてきた「言語という制度」と対峙し、「合理性崇拝」のアンチテーゼとしての性格にあるのならば、現実の中でまだ潜在したままの舞踊の大きな可能性が見えてくるであろう。

・舞踊が人間にとって最も古い文化だからこそ今新しい。

・人間の力の及ばない偉大な自然畏敬の念をあらわし、神や先祖に踊りを奉納し、踊ることによって神々と交わろうとした。

・人間が生きていることの証ともいえる身体の活動を基盤とし、自らの身体、そして他者の身体に、直接、生命的反応を呼び起こす舞踊のこの表現

・イメージを内包した(運動の意味や情調を伴った)リズミカルな運動のパターンといわれる舞踊運動。

・日常の作業運動や何かの意味を伝達するサインとしての身振りなどは、誰もが決まった型を同じリズムで行うことで成り立つが、それらの日常の運動を成立させる要因を組み合わせ、変化、強調することによって、表現性や意味を内包した、エネルギーの起伏を持った、リズミカルな運動である舞踊の運動が生まれてくる。

・身体的レベルで直接的に相手の心に感応し、音声言語にまさる非常に多くの情報伝達が一瞬にして行われるのである。観客が理解できない言語によって演技しても絶賛を得ることがあるが、これらは非言語的な身振りや表情、声の変化等人間が持っている普遍的記号によって伝達が行なわれたといえるだろう。


とりわけ、最後に挙げた一節は、まさに、BABYMETALの国境を超えた「現象」ぶりについての言説であるかのようだ。(「声の変化」とは、彼女たちにおいては、まず「合いの手」のことだ。つまり、「合いの手」とは声による「舞踊」なのである)。

しかし、やはり、BABYMETALとは、「日本の伝統舞踊」の系譜のうえの最新形態である、という見方との出会いが、『舞踊学講義』の最大の収穫だった。
以前にも書いた、MIKIKOMETALの発言にも通じるし、ちかぢか書かなければならない、「日本のヘヴィ・メタルの受容のされ方」にもつながる、極めて重要な観点である。

(単なる結果論ではなく)BABYMETALは、やはり、日本だからこそ生まれえた存在、なのである。

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1 コメント

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Unknown (H)
2015-07-13 06:58:03
>能楽や歌舞伎の演者にみられるように、演者は舞踊行為の他に台詞を語り、歌を歌い、場合によっては楽器も演奏する。そのため日本の伝統舞踊は総じて「芸能」という名称で呼ばれることが多い。
>BABYMETALは、やはり、日本だからこそ生まれえた存在、なのである。

西洋で言えば、オペラやミュージカルが近いですかね。

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