南の海のワナビ

小説家を目指す「南野海」の野望ははたして達成されるのか?

「扉の外Ⅱ」絶好調!

2007-05-13 12:42:16 | 読書
 前に南野が絶賛した、電撃大賞金賞の「扉の外」(土橋真二郎・著)の二巻目がでました。
 ちょっとわくわくして読みましたよ。
 結論、前作以上に、すげえぇえええええ!

 これで終わってしまうわけにはいかないので、解説します。
 ネタバレがいやな人は、こんな記事はさっさととじて、「扉の外Ⅱ」を買って読みましょう。その価値はあります。

 二巻目には、前作の主人公千葉君は出てきません。かわりに主人公になるのは、別のクラスの高橋君。眼鏡をかけた秀才タイプです。
 何者かに拉致された高校生たちの話という点は変わりません。
 前作の最後の方に出てきた上の階が舞台です。

 前作では、クラスとクラスを、国と国に仮想しての戦争を知らないうちに引き起こし、気づいたときにはどうしようもなくなっていた主人公たちの話でしたが、今回は、そんな下界を見下ろす、天界の話です。
 つまり情報統制された偽の真実しか知らない下民たちより、ひとつ上の段階の情報を知り得た特権階級の話なのです。

 とはいえ、彼らが得られる情報も、また限られたものでしかありません。
 そしてここでもふたたび、戦争は起きます。
 ただし国と国の戦争ではありません。
 階級闘争です。

 前作では国(クラス)の中に、リーダーとそれにしたがう者という階級はありましたが、その程度のことでした。権力も限られています。というか、自分では判断できない大衆が、すこしすぐれた者の判断に従っていただけとも言えます。
 事実、簡単に反乱は起きました。

 今回はその反乱。つまり、上位階級と下位階級の戦いをテーマにしています。

 例によってゲームをすることからはじまります。今度のゲームはカードゲーム。
 ちょっぴりカイジのパクりっぽいけど、それには目をつぶりましょう。
 天使のカードと人間のカード、それに悪魔のカードの出し合いです。
 例によって、ルールの説明なしに、巻きこまれます。
 それぞれのカードがなにを意味するのか? それはじっさいにプレイをし、回を重ねるごとに明らかになっていきます。
 ゲームの勝ち負けによって失うものは、ハートとオーレ。
 それがなんなのかは、じっさいに失うまでわかりません。
 そしてついにハートが失われたとき、何人かの腕輪が外れます。
 この世界で、配給を得るために必要な腕輪が。
 つまり、腕輪を外されたものは、腕輪を持っているものに、食料を恵んでもらわなくてはならなくなるのです。
 ただし、そのおかげで手に入ったものもあります。自由です。

 好きなところに出入りする自由。そして暴力を振るえる自由です。

 腕輪をしていたときには制限されていた暴力(ふるうと腕輪に痛めつけられる)がふるえるようになったことで、腕輪が外された生徒たちは、腕輪をしている生徒たちから略奪を開始します。
 ただし、腕輪側にも、抵抗する手段がありました。スタンガンです。
 このスタンガンは、腕輪をしている人間には使えなくても、腕輪を外している人間には機能するのです。
 これはどういうことかというと、同じ階級の人間には暴力を振るえなくても、違う階級の人間に対してはいくらでも暴力を振るえるようになったことを意味します。
 この闘争のすえ、腕輪なしの下層階級民は、文字通り下界(下の階)に堕とされます。
 しかしそれは階級闘争の終わりではなく、むしろはじまりでした。
 天界でゲームをしている(させらている)人たちも、ゲームの勝敗によってはいつ自分の腕輪が外れるかわからないのです。
 さらに人質を取って暴力によって立場を変えようとする下界の住人たち。(つまり、革命)
 そんな中でもカードゲームは続きます(とめられない)。
 疑心暗鬼から、暴走していく生徒たち。
 そして、その結末とは?

 まさに初めから終わりまで、息をつくひまもないほどのおもしろさ。
 電撃文庫の最高傑作(南野による)。必読です。

扉の外 2 (2)

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