南の海のワナビ

小説家を目指す「南野海」の野望ははたして達成されるのか?

今度の「ロッキー」は最高だ!

2007-05-01 21:37:36 | 映画
 いやあ、告白します。最初に「ロッキー・ザ・ファイナル」の話を聞いたとき、「正気か?」って思いました。
 だって普通そう思いますよね。シルベスター・スタローンっていったいいくつよ? いくらなんでもむちゃくちゃだって。
 こう思ったのは、南野だけじゃないはず。
「スタローン、金に困ってこんなバカな企画を考えたのか?」

 こんな映画、絶対見に行かないと思ってましたよ。

 だいたい南野の中で、ロッキーは三部作で終わっています。
 四作目のソ連のボクサーが出てくるやつは、正義のアメリカ対悪のソ連。っていうプロパガンダが透けて見えてうんざりしました。
 五作目にいたってはロッキーがリングにすら上がらずに、いったいなんだこりゃ?のでき。
 それから何年もたって、今さらロッキーもないだろうと思うのはとうぜんです。
 五作目にすら及ばない、お荷物映画になることはわかりきっていました。

 では、なぜ観たのか?
 なんか、ネットで評判がよかったからです。
 意外でした。なんか、ちょっとだまされたつもりで観てみようかって思いました。

 いざ映画館に行くと、かなり混んでいます。ゴールデンウイークということを差し引いても、けっこう期待している人がいるらしいです。

 いざ、映画がはじまると、序盤から来ました。
 ポーリーとつぶれたペットショップやスケート場の跡地を歩くロッキーを見て、いきなり涙があふれてきたのです。
 あれ? こんなはずじゃ……。
 映画の中に出てきたロッキーは、ボクシングの英雄という輝かしい人生を約束されているはずなのに、とても幸せそうには見えませんでした。
 愛妻エイドリアンは病気で数年前死に、いまだにその悲しみと喪失感を引きずっています。
 息子は、英雄である父親と比べられることをいやがり、疎遠になっています。
 レストランを経営し、金には困っていませんが、そこで毎晩、客たちに過去の栄光の話を聞かせる毎日。
 ロッキーは親友ポーリーにだけ、こんなに苦しいとは思わなかったと、胸の内を明かします。
 いや、このシーン、かなり来ました。たまらんですよ。
 孤独と、重い過去の栄光と、未来になにもない現実から逃れようと、ロッキーはふたたび夢を持とうとします。

 南野がこの映画を見る前に感じていた不安感。いったいどういう理由付けでいまさらロッキーをリングに上げるんだ?という問題を軽々とクリアしてしまいました。

 もう誰もロッキーのカムバックをバカにしません。息子以外は。
 息子はロッキーにせまります。
「やめてくれ。笑いものになるだけだ。僕もいっしょに」
 うまくいかない人生を、父親のせいにしようとする息子に、ロッキーは一喝。
「人生に倒れ、起きあがれなかったとき、それを他人のせいにするやつは卑怯者だ。おまえは違う」(南野号泣)
 目がさめた息子もついにロッキーを応援し、猛トレーニングのあと、ついにはエキシビジョンとはいえ、最強のチャンピオンとの試合に。

 このチャンピオンはチャンピオンで、KOが早すぎて人気が出ないなど、問題があり、元トレーナーからは、「おまえはまだ本当の強さを知らない」と諭されたり、新しいマネージャー(?)からは人気取りのために今度の試合を仕組まれる始末。

 そして両者はついに激突した。

 ああ、ごめんよ、スタローン。こいつはシリーズのお荷物どころか、最高傑作だ。

 南野と同じように、ロッキーは三部までが最高。そのあとは駄作。ましてや今度のなんて観たくない。
 そう思ってる人こそ観てください。
 号泣必至。

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