南の海のワナビ

小説家を目指す「南野海」の野望ははたして達成されるのか?

ケツバット女は青春小説だった

2007-02-21 02:15:04 | 読書
 ここ数日、今年の電撃小説大賞について語らせてもらいました。
 きょうはお題は銀賞の「なつきフルスイング!」です。

 南野はてっきりスラップスティック色の強い、どたばたコメディだと思ってました。なにせサブタイトルが「ケツバット女、笑う夏希。」ですからね。
 たしかにそういう一面もありますが、作者がほんとうに書きたかったことは別のようです。

 じつはこれ、ストレートな青春小説でした。

 怪我や、いじめ、虐待などによって、挫折したり、くじけたり、逃避したりしている若者たちへの応援歌だったのです。

 なんらかの障害によって夢を絶たれた主人公やその周辺の人たちは、『夢』を見ることで現実から逃避しようとしています。作者はそれを『夢魔』と称し、夢とはちがうものだと言いたかったんじゃないでしょうか?

 そこを見すえ、そこにむかって努力していく、目標としての夢。
 現実がつらいが故に、それをごまかすための『夢』。
 作者は、そんな『夢』はぶちこわし、ほんとうの夢を取りもどせと言いたいような気がします。
 その象徴が、ケツバット女のなつきです。

 作者は、夢魔憑きの少年たちのけつをバットで叩くことで、夢魔をたたき出すというむちゃくちゃな設定にしました。
 しかしそのストーリー展開はストレート。よけいな捻りを加えずに、挫折した主人公たちを応援するかのような熱い展開。

 南野はこう感じました。
 これって「世界平和は一家団欒のあとで」と真逆のベクトルだよな。って。

 ここで両者をちょっと対比してみたいと思います。
「世界平和は一家団欒のあとで」は基本設定はラノベの王道ど真ん中。しかしストーリー展開は捻っています。
 逆に「なつきフルスイング!」は基本設定は妙ちくりんなのですが、ストーリー展開は基本に忠実で、ストレートです。

 どちらがいいとか悪いとか言う問題ではないのですが、個人的には「なつきフルスイング!」の方に好感を覚えました。
 変に捻りまくった話よりも、ストレートで熱い物語のほうに惹かれるのです。

 ここでそういう観点から、入賞作四つを比べてみましょう。
「ミミズクと夜の王」、捻りなし。ある意味読者の望む方向にストーリーは流れていく。
「扉の外」、ストーリー展開が読めない。アクロバット。そして読者は着地した場所に驚く(あるいは怒る)。
「世界平和は一家団欒のあとで」、こういうストーリー展開だろうと思ってると裏切られる。
「なつきフルスイング!」、見た目にだまされて一途なストーリー展開。

 こんな感じでしょうか。

 野球のピッチングに例えると(べつに野球ファンじゃありませんが、一般的にわかりやすいので)、こういうふうになります。

「ミミズクと夜の王」、握りを見せての強速球のストレート。
「扉の外」、魔球。
「世界平和は一家団欒のあとで」、ストレートと見せかけてフォーク。
「なつきフルスイング!」、変化球と思わせて強速球のストレート。

 いや、異論のある方もいらっしゃるでしょうが、あくまで南野の感じ方です(別の意見がある方はどんどんコメントしてください)。

 こうしてみると、じつに多彩です。
 やはり電撃小説大賞はレベルが高いと思わざるを得ません。
 いや、べつに南野が落選したから言ってるわけじゃありませんよ。

 え? じゃあ、落ちたおまえの作品はどんなのだって?

 う~ん。魔球を投げようとしたら、打者に当たってしまってってところですかね。

なつき☆フルスイング!―ケツバット女、笑う夏希。

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