アクセス解析できのうのアクセスを調べてみると、なんとアクセス人数もページビューもブログはじまって以来のにぎわいでした。
どうやらgooやgoogleから「ミミズクと夜の王」を検索して入ってきた方が多いです(ミミズク大人気ですね)。「扉の外」の人もいました。
いやあ、やっぱり話題の新刊について書くと、アクセスが増えるんですね。
NEXT賞やブロークンフィストのことを書いたときは、こうはいきませんでしたよ。
それと「扉の外」のことを書いたとき、最後の方に、ネットでの人気は今ひとつと書きましたが、どうやらそれはちがうようです。
評価、まっぷたつに割れてるらしいです。
否定派の意見としては、いっさいの謎を解決しないで終わっている点に批判が集中してるようです。
これはある意味、もっともな意見なんですが、作者が書きたかったことは、誰がなんの目的でこんなことをしたかではなく、その結果どうなったか? だと思うんです。
だから南野はこれでいいと思うんです。背後の黒幕の陰謀について書き出すと、かんじんの、予期せず戦争(ゲームではありますが)に巻きこまれた少年(というか主人公以外少女ですが)の葛藤や変化といったものが薄くなってしまうような気がします。
まあ「扉の外」の話はこれくらいにしておくとして、今回の電撃小説大賞には「扉の外」とならんで、もうひとつの金賞があります。
今回はそれについて述べてみましょう。
「世界平和は一家団欒のあとに」、それがタイトルです。
結論から言えば、「扉の外」「ミミズクと夜の王」ほどのインパクトはありません。ふつうにおもしろいライトノベルを目指したって感じですね。
ただ王道ど真ん中かと言えば、けっしてそうじゃありません。
妙にひねってあります。
基本設定は、さまざまな超能力を持った家族がいて、なぜか世界平和のために戦っている。そういう話です。
途中から、生命を生み出したり、使者を蘇生させる力は『神』によって排除させるとか、主人公の過去のトラウマとか、妙な設定が絡んできます。
それにせっかく家族そろって正義の味方なのに、個別に悪と戦っていたりします。
南野はそのへんがどうもまずいのではないのかと思うのです。
作者はあるいは、ストレートすぎるストーリー展開を嫌ったのかもしれません。
また、家族愛ということを強く書きたかったのかもしれません。
でも、どうなんでしょうね? それこそもっと王道ど真ん中でよかったんじゃないでしょうか?
正義の味方家族という基本設定ならば、誰もがまず考えるストーリーはこんな感じじゃないんでしょうか?
超能力を持った家族が、力を合わせて巨大な悪を痛快にたたきつぶす。
たしかに単純でありふれたストーリーかもしれません。
でも、それじゃだめなんですかね?
もし、南野がこの設定で書くとすればたぶんそういう話にするでしょう。
また南野がもし中学生だったとしたら、そういう話こそ読みたいんじゃないかと思いますよ。
家族愛とか、家族内の葛藤というものは、戦いの中で十分書くことができるはずです。たとえば、誰かがつかまって人質になるとか、戦略の面で意見が食い違ってチームワークが乱れるとか。
それに王道のストーリーといっても、キャラづけや、戦い方などでオリジナリティは出せるはずなのです。
あるいはそれは南野の幻想で、じっさいにそんな作品を出せば、「オリジナリティなし」ってことでばっさり切られるのかもしれません。
それでも南野としては、それぞれの家族キャラの見せ場を作りつつ、力を合わせて悪の組織と戦う話を読んでみたかったと思います。
……だ、だめですかね?
一次落ちしたワナビがえらそうなこと言ってすいません、作者の人。
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どうやらgooやgoogleから「ミミズクと夜の王」を検索して入ってきた方が多いです(ミミズク大人気ですね)。「扉の外」の人もいました。
いやあ、やっぱり話題の新刊について書くと、アクセスが増えるんですね。
NEXT賞やブロークンフィストのことを書いたときは、こうはいきませんでしたよ。
それと「扉の外」のことを書いたとき、最後の方に、ネットでの人気は今ひとつと書きましたが、どうやらそれはちがうようです。
評価、まっぷたつに割れてるらしいです。
否定派の意見としては、いっさいの謎を解決しないで終わっている点に批判が集中してるようです。
これはある意味、もっともな意見なんですが、作者が書きたかったことは、誰がなんの目的でこんなことをしたかではなく、その結果どうなったか? だと思うんです。
だから南野はこれでいいと思うんです。背後の黒幕の陰謀について書き出すと、かんじんの、予期せず戦争(ゲームではありますが)に巻きこまれた少年(というか主人公以外少女ですが)の葛藤や変化といったものが薄くなってしまうような気がします。
まあ「扉の外」の話はこれくらいにしておくとして、今回の電撃小説大賞には「扉の外」とならんで、もうひとつの金賞があります。
今回はそれについて述べてみましょう。
「世界平和は一家団欒のあとに」、それがタイトルです。
結論から言えば、「扉の外」「ミミズクと夜の王」ほどのインパクトはありません。ふつうにおもしろいライトノベルを目指したって感じですね。
ただ王道ど真ん中かと言えば、けっしてそうじゃありません。
妙にひねってあります。
基本設定は、さまざまな超能力を持った家族がいて、なぜか世界平和のために戦っている。そういう話です。
途中から、生命を生み出したり、使者を蘇生させる力は『神』によって排除させるとか、主人公の過去のトラウマとか、妙な設定が絡んできます。
それにせっかく家族そろって正義の味方なのに、個別に悪と戦っていたりします。
南野はそのへんがどうもまずいのではないのかと思うのです。
作者はあるいは、ストレートすぎるストーリー展開を嫌ったのかもしれません。
また、家族愛ということを強く書きたかったのかもしれません。
でも、どうなんでしょうね? それこそもっと王道ど真ん中でよかったんじゃないでしょうか?
正義の味方家族という基本設定ならば、誰もがまず考えるストーリーはこんな感じじゃないんでしょうか?
超能力を持った家族が、力を合わせて巨大な悪を痛快にたたきつぶす。
たしかに単純でありふれたストーリーかもしれません。
でも、それじゃだめなんですかね?
もし、南野がこの設定で書くとすればたぶんそういう話にするでしょう。
また南野がもし中学生だったとしたら、そういう話こそ読みたいんじゃないかと思いますよ。
家族愛とか、家族内の葛藤というものは、戦いの中で十分書くことができるはずです。たとえば、誰かがつかまって人質になるとか、戦略の面で意見が食い違ってチームワークが乱れるとか。
それに王道のストーリーといっても、キャラづけや、戦い方などでオリジナリティは出せるはずなのです。
あるいはそれは南野の幻想で、じっさいにそんな作品を出せば、「オリジナリティなし」ってことでばっさり切られるのかもしれません。
それでも南野としては、それぞれの家族キャラの見せ場を作りつつ、力を合わせて悪の組織と戦う話を読んでみたかったと思います。
……だ、だめですかね?
一次落ちしたワナビがえらそうなこと言ってすいません、作者の人。
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