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8月15日:改めて考えたいゲーリングの言葉の意味

2014-08-15 | 必見!の所見
 終戦の日の8月15日、清水区で開催された「静岡市戦没戦災等戦争犠牲者追悼式」に参列しました。

 


 追悼式の模様を伝える報道の多くがそうであったように、集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈の変更を安倍政権が閣議決定した直後の、今年の追悼式においては、昨年までとは違う思いを持たざるを得ませんでした。

 特に、今だからこそ改めて意味を考えなければいけないと痛感するのが、ヘルマン・ゲーリングの言葉です。

 ヘルマン・ゲーリングは、ヒトラーの下で、ドイツ軍の空軍総司令官や国家元帥等を務めた人物です。戦後は戦犯として捕えられ、ニュルンベルク裁判で絞首刑の判決を受けましたが、刑の執行前に自殺しました。 

 刑務所に収容されている際、ゲーリングは、訪ねてきた米国人の心理学者グスタフ・ギルバートとの対話の中で次のように語ったそうです。


ゲーリングは、肩をすくめて答えた。「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。それはわかっている。しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。」

「しかし一つだけ違いがある。」と私(※ギルバート)は指摘した。「民主主義の下では、国民は選挙で選んだ代表を通して意見を言うことができるし、アメリカでは議会だけが宣戦布告できる。」

(ゲーリングは答えた。)
「それはそれで結構だが、意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」
 (翻訳:鈴木)




※原文は赤い線で囲んだ部分(出典:G.M.Gilbert『Nuremberg Diary』(※G.M.ギルバート著「ニュルンベルク日記」)278~279ページ)


Nuremberg Diary
G.M.Gilbert
Da Capo Press



 最近の動きに、ゲーリングの言葉が意味するような、危うい流れをどうしても感じてしまいます。今のうちに何とかしなければと改めて思います。



 お読み下さり、ありがとうございます。

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