Garbanzo blog

政治経済と音楽のブログ。
Garbanzoってのはひよこ豆のことです。

まねきTVの差し戻し判決は日本司法と放送の恥

2011-01-19 09:03:38 | 社会

まねきTVが最高裁で差し戻しを受けた。
最高裁は違憲かどうかを審査するだけなので差し戻しは実質的に敗訴である。
これによって「日本のスマートTVは10年立ち遅れる」と池田信夫氏は言う。

まねきTVはソニーのロケフリを個人の商店が預かってユーザーの録画を代行し、
web経由で視聴出来るようにする、はっきり言ってしまえば超スキマなビジネスに過ぎない。
だが独身者の海外勤務などで録画できない人達には重宝されていただろう。

ところがこんな零細サービスをNHKや民放キー局が最高裁にまで訴えた。
放送局はインターネットによって地方民放が「炭焼き小屋」のように不要になることを
極度に恐怖しているようで、webでのTVコンテンツの再送信サービスに対して数年前から、
「もはや勝敗など関係ない」とばかりの勢いで訴訟を連発している。

本件ではロケフリが1対1での通信にしか対応していない事も手伝い、
地裁でも知財高裁でも、民放の「多数の多数のベースステーションとその他機器を組み合わせたシステムは、
全体で一つの自動公衆送信装置で、テレビ局側の送信可能化権、公衆送信権を侵害している」という訴えに対し、
「ベースステーションは1対1の送信機能しか持たず、送信も各ユーザーの指示により行われ、
自動公衆送信装置にはあたらない」と判断し、まねきTV側が勝訴している。
その後TV側は控訴を棄却し、彼らは最高裁に上告した。

少し調べてみたら小寺信良氏の記事では2007年の1月には高裁から、
「TV局側は抗告を許可しない」という判決まで貰っていたという。
よって2007年で完全にこの問題は解決したと思ったら結局2011年現在最高裁からの差し戻しを食らっている。
一体どういった経緯があったのだろう。TV局の政治力でなんとかしたのならもはや法治国家ではない。

本件に関するTogetterの中に「ハブでもリピータでも最高裁の定義では自動公衆送信装置になる」
というツイートがあったがこれは本当に危惧すべき事だ。この判決によって司法はTV局側の望む
「インターネットでTVコンテンツは絶対に見せない」という病的な姿勢を支持したに等しい。

webやデジタル技術の革新によってデータが相互に共有される事により、
有体物的限界は存在してもロジカルなリミットは越えている。
インターネットには国境はなく、フィジカルな境界も見えない。(存在はしている)
なのに、いつまでたっても物理的限界が論理的にも限界だという
有体物の呪縛にしがみついて商売しているTV局は、もはや完全に前時代の遺物である。
同様にカビの生えた著作権法と公衆送信権に準拠しつづける司法の化石っぷりも救いがたい。

おそらくこの判決によってテレビコンテンツがアングラにネットへ流れ続けるという歪な現状がダラダラと続くだろう。
それは一部のギークにとって悪いことではないが、新しく芽吹いてくる日本の放送/通信ビジネスを著しく阻害する。
そして5年後に死ぬはずだったテレビが10年延命し15年後に死んだ時、日本の放送局は完全に絶滅する。

だがTV局はwebという新しい再生のステージへ踏み出す機会を自らの手で絶ったのだ。
誰も同情などしないだろう。


今年もありがとう 来年もよろしく

2010-12-31 21:57:44 | 日記
今日が大晦日だとは信じられないほど、2010年もあっという間に過ぎた。
いろいろ考える事が多かった一年だったように思う。

今の日本はありとあらゆる意味で中途半端だ。
赤字国債はつみあがり過ぎていて財政は破綻が確実なのに、個人の金融資産が莫大なお陰で放漫財政への歯止めが利いていない。
数字で見てもあと数年~十数年は大丈夫だから奇妙に安定している。
同様に社会保険に関しても、もはや保険料だけではまかなう事は完全に不可能になった。
一階建て部分の国民年金に税金が50%注入されていてほとんど保険としての体をなしていない。
こんな状況であるにもかかわらずまだまだ他の先進国に比較して税率が軽い事に加え、
ユーロ不安とやドル安政策によって円はダダ上がりだ。
(少なくとも2011年中は、この円高基調は続くだろう。100円台に復帰する可能性は薄いのではないだろうか)

個人的には今年は人生でもっとも沢山政治の本を読み、Webで社会情勢のニュースを調べた年だった。
そしてつくづくインターネットにおけるジャーナリズムはまだまだ過渡的な存在に過ぎないと思った。
ソースがあやふやな記事が溢れているし、J-Castなどの成功しているニュースサイトでも
影響力でいえば(もちろん金銭面でも)従来のマス・メディアにはなかなかにかなわない。

ただ田原総一郎氏や池田信夫氏などの力のある知識人達がインターネットでの放送に積極的にコミットし始め、
ストレスのはけ口を求める中傷ばかりの日本のWebでも、ようやくまともな論壇が確立しつつある。
テレビが今のような形を維持することはもはや不可能だが、Webのジャーナリズムも同様に現状のような形では続かない。
おそらく数年後にはすべてのコンピュータ的機器はネットワークにつながるのが当たり前になり、
インターネットは情報インフラとして無料化するだろう。そうなった時の世界というのは今とは大分様変わりしているはずだ。

日本の未来は暗い事がはっきりしているが、それは個人の不幸をイコールで意味するものではない。
特に若年層は未来を生きねばならず、その為には過去の負の遺産を払拭する事は重要な意義がある。
自分たちの為にも、今生まれつつある子供達の為にも失われた20年を30年にしてはならない。

東京都青少年健全育成条例は他県にとってビジネスチャンス

2010-12-25 15:46:58 | 社会

石原都知事の東京都青少年健全育成条例が通った。
若いころからアウトローを自認し、薬物強姦や賭博がごく普通に描写されている小説を売っていた人間が、
サブカルチャーを目の仇にして青少年を健全に教育しようというのだからギャグとしてはなかなかだ。

だがこういった対立した思想への転換というのはあまり珍しくない。
真っ向から対峙する相手という存在は、いざ戦うとなると研究対象そのものになるので
相互に「裏切りもの」が一定数出てくるのはよくあることだ。


また基本的に「裏切り者」はよく働くのである。何故ならば相手先で自分は「二度と自分は変節しない」という
忠誠
のアピールを強く行う必要性がある為、非常に原理的になる。
自分のもともといた場所を攻撃するのはアピールとして有効なためによく行われる行為だ。
石原都知事が「自分は間違っていた」という発言は変節者がよく言う常套句に過ぎない。

さて今回の都の判断はマイナスだけがあってプラスは何一つない規制である。
かなり前にアグネス・チャンを批判した時にも書いたが日本では各先進諸国に比べても
圧倒的に若年層の性犯罪や殺人などの凶悪犯罪件数が少ない。(米国などと比較してもケタがひとつ違う)
韓国や欧州などのサブカルチャーに対する表現規制が厳しい国々よりも、一人当たりの犯罪数が少ない事実を見れば、
表現形態の差異が教育に悪影響を及ぼすなどという結論は出てこないのが当然だ。

前々から思っていたのだがもう石原都知事はたぶんやることがなくなってしまったのだと思う。
小人閑居にして不善を為す、といった所だろうか。
彼は銀行の救済にも創設にも失敗し、五輪の誘致にもしくじって兆単位の金を飛ばした。
再選できただけでも奇跡みたいな人だったし、都民がよほどまぬけでない限りは次はもう無いだろう。

それにしても今回の条例は神奈川や埼玉にとっては福音である。
ビジネスに於いて最悪なのはプロジェクト中の勝手なルール変更なので、
サブカルチャーで食っている企業はリスクを恐れて東京から出て行くだろう。
神奈川県知事は頑張って横浜に集英社などを誘致してみてほしい。移転費用程度払っても十分おつりがくるだろう。


石破茂氏には国防を任せておけばいい

2010-12-21 20:52:50 | 政治

先日池田信夫氏と自民党の石破茂氏の対談があった。
年金は破綻しないとか労働市場では自由な働き方があってもいいけど規制はするよとか、
正直言って経済面に関しての現状認識はそこらの大学生レベルだったので非常に失望した。
来年自民党に政権が復帰する可能性はそれなりにある(40%くらいか)が、
もし自民党の経済への平均的理解度がこの程度なら日本経済の進展は永遠にない。

結局石破氏は九条の第一項の改正を延々と述べていただった。池田氏もツイッターで呟いていたように、
「民主党はできない約束ばかりする野党ボケだが、自民党はできることしか考えない与党ボケ」という感想は僕も同意だ。
国防は重要だが、彼に経済を正しいベクトルに乗せる能力も先見もない。最後にした農政の話も曖昧なままだった。
小泉政権時に竹中氏が居て本当に良かったと思う。


高校生の安定志向は極めて自然なこと

2010-12-19 20:59:28 | 社会

高校生の志望する職業の第一位が「公務員」になった。ちなみに2位は大企業の正社員だ。
大学生に限らず高校生も強い安定志向だが、これは彼らが「現時点で」賢い事を意味している。
なぜなら日本の雇用システムに於いてこの二つの雇用が最高のセーフティ・ネットとして(一応)機能しているからだ。

日本の雇用は潜在能力での採用であり、その潜在能力という不確定で曖昧な要素を測るには
学業のような企業の実務と関連の薄い教養を学ぶという行為に対し、それが継続的に行えるかという点も評価される。
よって新卒である事はもちろん、学歴も重要なファクターだ。一応現在でも大卒という肩書きは
潜在能力の期待値が高いというシグナルの装置だとみなされている。
しかし本来仕事への適正というものは「やってみないと解らない」ものだ。
だが現在の企業の人事にはそれを判断するスキルもノウハウも無い。

現在の高校生や大学生の安定志向にはインセンティヴがある。
現実に公務員は殆ど解雇の可能性が無く、官僚のような高級公務員や教師、警察官などを除き、残業がない部署が非常に多い。
給与も一定額以上が保障されており、特に地方公務員は衰弱している地方経済においても圧倒的に民間よりも所得差がある。
また、大企業の正社員も同様に法律によって強く保護されている。以前にも述べたのだが、
正社員の解雇の手続きには下記の9つの用件を満たさなくてはならない。

① : 経費の削減:交際費、広告費、交通費
② : 役員報酬の減額
③ : 新規採用の中止
④ : 正社員の昇給停止、賞与の抑制、削減
⑤ : 配置転換、出向
⑥ : 一時帰休
⑦ : 非正規社員の解雇
⑧ : 希望退職の募集
⑨ : 時間外労働の中止

条件3は新卒採用と矛盾しているが、それでも正社員として滑り込めれば、
これほどの社会的保護を無制限に受ける事が出来る。
加えて現在の日本の労働環境は同一の仕事をしていても同一賃金ではない実質的な身分制度のため
全く同じ事務仕事をしていても解雇のリスクがある非正規雇用者の方が賃金が安い。
(欧州では解雇プレミアムがある非正規の方が賃金が高い)

つまり正社員や公務員というのは他の働き方を選んだ者よりも圧倒的に少ないリスクで、
超ハイリターンを望む事が出来る非常に優遇されている労働形態だ。
本来ならば何時解雇されるかもわからない非正規雇用者ほど本来ならばより強い社会的セーフティネットが必要なのに、
長期的(ほとんど生涯)雇用がほとんど保障されていると言ってもいい正社員の方がセーフティネットが厚い。
よって高校生や大学生の安定志向はそれ自体は正しいし、賢明な判断であると言える。

最大の問題はそれが競争力に一切繋がらないが故に、社会の効率を著しく下げているという事だ。
つまり、日本経済という俯瞰的視点で言うなら、本来ならば優秀な人間ほどリスクをとって新しいビジネスにチャレンジし、
企業を興して社会、そして経済に貢献してほしいのに、リスク要素をきちんと分析出来る優秀な人間ほど、
正社員になれなかった時の失敗のリスクを正しく判定してしまうため、リスクを取らなくなってしまっている。
少なくとも現在、日本に於いて正社員ではないという事は実質的に補助的な労働形態だとみなされ、
給与面でも社会保障の面でも本来正社員の取るべきリスクだけを一方的に押し付けられている状況だ。

学生が大卒で新卒というカードを手に入れたら、兎に角大企業や公務員へと就職しようとする姿勢は自然である。
労働市場が硬直化している今、新卒カードを失えば就職率が大きく下がり、給料のよい職場への転職も難しくなる。
そしてあとは非正規として正社員のリスクを被らされる人生が確定しまうからだ。

そしてこの状況を理解もしようとしないみのもんたや彼のような「偉いオトナ」が、
「これじゃ日本はだめだよ」と無責任な言葉を平然と吐いている。虫唾が走るという他にない。
学生がこれほどまでに安定志向なのは大企業の正社員や公務員以外の働き方が客観的に超ハイリスクであるという
どうしようもない現実をきちんと理解しているからだ。

個人的に強調したいので繰り返したい。
アンケートでこのような結果になったという表面をなぞっても意味は何も無い。
なぜなら学生は公務員や大企業に就職する事を本心から望んでいるのではないからだ。
彼らはそれ以外の選択肢が、あまりにも危険で差別的だと知っているのである。
そんな事も解らずに夢がないなどと寝言を吐けるご年配の方々は、
今ある現実すら見ようとも知ろうともしない唾棄すべき愚か者だと言わざるを得ない。