尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

「米騒動」には前史があった

2015-12-10 06:00:00 | 

 「米騒動」という歴史的事件はどう説明されているか、同時代の百科事典間の解説を比較してみたい。比べて各説明の形式(枠組)を取り出すとともに、説明内容について共通点と相違点を浮彫りにしてみたい。これによっておおよその話だが、共通点は「通説」、相違点は「論争のある学説」という見込みをつけ、くだんの『水橋町(富山県)の米騒動』(桂書房 二〇一〇)の特徴をみるモノサシを得たい。

 比較する百科辞典は、岩波書店の『広辞苑第五版』(一九九八)、小学館の『スーパーニッポニカ(デジタル版日本大百科全書)』(一九九九)、平凡社の『デジタル版世界大百科事典』(一九九八)の三つです。順に【岩波】、【小学館】、【平凡社】と略称する。順序は、解説内容がより詳細に記述されている順と考えてよいが、【小学館】と【平凡社】はどこを詳細に解説するかが異なるという程度であることを留意されたい。

 まず、【岩波】の解説を見ると三つの文で簡潔にまとめている。それぞれ番号をふって引用する。

①     1918年(大正7)7月~9月、米価の暴騰のため生活難に苦しんでいた大衆が米の廉売を要求して米屋・富豪・警察などを襲撃した事件。

②     富山県魚津に起こって全国に波及し、労働者・農民を主力とする未曾有の大民衆暴動に発展、軍隊が鎮圧に出動した。

③     この事件で寺内内閣が倒れた。

 ここから説明の枠組をみると、米騒動を、①発生年・原因・様相、②発生地・経過・波及、③政治的影響の三つを取り出すことができる。次に【小学館】と【平凡社】をみてみよう。両者が【岩波】と比べ、大きく違うのは冒頭に簡潔な前史を配置し、米騒動をもっと広くとらえていることだ。つまり、有名になった一九一八(大正七)年の米騒動はそれまでに起きた大規模な米騒動のうちの一つとして位置づけ、最大のものという評価をしている。各解説を読んでみる。

 【小学館】

 米価の騰貴を契機とする民衆の暴動。近代日本では大規模なものが3回あった。

1890年■1889年(明治22)は凶作で、90年に入ると米価が暴騰し、1月18日富山市で貧民が救助を要求して騒動を起こしたのを最初として、4月から8月にかけ、鳥取市、新潟県下、下関市、高岡市などで貧民の暴動が相次いだ。最大のものは佐渡相川の暴動(6月28日~7月5日)で、鉱夫ら約2000人が蜂起(ほうき)し、軍隊が出動した。その後、福井、愛媛、宮城などの各県下にも騒動が起こった。

1897年■1896年(明治29)は不作で、97年も風水害、虫害が各地にあり、9月ごろから米価が急騰し、9月から10月にかけ、長野県飯田町、富山市、山形県下、新潟県下などで貧民の騒動が続発した。

    【平凡社】

米価高騰を直接契機とする民衆暴動。江戸時代にしばしば発生し,明治維新以後でも全国的規模をもつものが3回あるが,ふつう,1918年(大正7)の場合を指す。

(1)1890年(明治23)1月18日,富山市貧民の市役所・資産家に対する救助要請行動が富山県東部にひろがり,4月から9月にかけ,鳥取,新潟,福島,山口,京都,石川,福井,滋賀,愛媛,宮城,奈良の各府県19地点に騒動が発生した。とくに佐渡相川町の場合は激烈で,6月28日から7月5日にかけ,鉱夫を中心に2000名余が蜂起,軍隊1個中隊により鎮圧された。

(2)1897年(明治30)5月下旬富山県魚津町にはじまり,8月から10月にかけ,石川,長野,山形,新潟,福井の各県10ヵ所に及んだ。長野県飯田町の騒動がもっとも大きく,9月1日から3日にかけ,約2000名が米商と警察署を襲撃した。以上2回の米騒動は凶作による不況と米価騰貴を原因とし,江戸時代の騒動の系譜をひく。

 さきの【岩波】①~③の枠組に照らして【小学館】と【平凡社】を比べ共通点と相違点を整理しておこう。

○ ①(発生年)については、くだんの一九一八(大正七)年以前に、一八九〇(明治二三)年と一八九七(明治三〇)年大規模な米騒動が二回あったこと。

○ ①(原因・様相)については、共に「凶作による不況と米価高騰」により、貧民が救済行動を起こしたこと。【平凡社】にはこれらの騒動は江戸時代の騒動の系譜を引くと記載されている。

○  ②(発生地)については、前者(明治二三)の米騒動の発生地はともに富山市で、二回目の後者(明治三〇)年の米騒動の発生地も【小学館】には記載がないが【平凡社】には同じく富山県の魚津市であると記載されている。おそらく二回とも発生地は富山県下の可能性がある。ただ二回目の発生地が魚津かどうかは議論があるかもしれない。

○ ②(波及)については、二回の米騒動は富山県下にとどまらず他県にも波及したこと、特に明治二三年では新潟県佐渡相川のものが激しく、明治三〇年では長野県飯田が激しかったことがわかる。

 これから問題にしてゆく一九一八(大正七)年の米騒動については、三つの辞典とも発生地は「富山県魚津」だとの記載があり、近代における三つの大規模米騒動のどれもが富山県下で発生したことに、おおいに興味が湧いてくる。


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