尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

庄司和晃の「コトワザの授業」事始め(上)

2017-09-16 17:02:04 | 

 前回(昨日)は、庄司が「方言の授業」で得た「言語感覚」を養う可能性という視角で、コトワザの授業を眺めたとき、そこに言語感覚だけではなく「言語感覚と思想」の二つ同時に養うことの可能性を発見したことを述べました。しかし、これは二つの授業のあとでなされた総括で整理されたことです。まだその根拠を提示したわけではありません。そこで、今回は庄司の実践したコトワザの授業のどこにその根拠があったのか確かめてみようと思います。そのためにはこの授業の経過を追跡してみなければなりません。第Ⅱ節「コトワザの授業と子どもの受けとめ」を見ていきましょう。〔 〕は授業に関する私の補注。矢印⇒≪≫は、庄司のコメントの部分再録です。必要だと考える活動についてだけ紹介します。

①コトワザについての子どもの説明度を聞く〔どの程度説明できるか五段階評価で尋ね、実際にコトワザの説明文を書いてもらう〕

②授業前の子どものコトワザ観を捉える〔①の説明文を子どもたちに紹介したと思われる〕⇒ ≪説明文と言っても定義めいたものが大部分である。しかし、下手な説明よりは、それぞれが一面の的を射っているといってよいのではなかろうか。ともかく、以上のものは、授業前の子どものコトワザ観を端的に物語っているとみることができよう。かなりのところまで達していることはたしかである。一言でもってこれをいえば、教訓的なコトワザ観とでもいうべきであろうか。≫(本書 八八~九頁)

③現在知っているコトワザを列挙してもらう〔各人に筆記させる〕⇒ ≪平均してみると一人約14個であった。・・・最も多く挙げたのは23個・・・最も少なくあげた子で、6個。≫(本書 八九頁)

④「いろはたとえ」で知っているコトワザを確かめる〔江戸大阪京都の三種類。一読させてチェック〕⇒ ≪江戸のいろはたとえについては、大阪・京都のものにくらべてだいぶ知っている/・・・30人(約80%)以上の子が知っているというコトワザを拾ってみると、・・・花より団子、骨折り損のくたびれもうけ、塵もつもれば山となる、頭かくして尻かくさず、油断大敵。/この五つはとくに、子どもたちの心中に深く根をおろしつつあるコトワザといってよいものであろう。/これによって子どもたちは、かなり多くのコトワザに接したことになったわけである。/ここから、「このコトワザはどういうことなんだろう」という質問が多く出、「意味しらべ」への必然性がでてくることになった。コトワザはおもしろく表現されてはいるけれども意味のわからないのがほとんどだからである。≫(本書 八九~九二頁)

⑤「いろはにほへと」のうたの意味を教える。

⑥「いろはたとえ」の意味調べに入る〔購入したり家にあった辞典で調べる。最初は自由にやらせてみて慣れさせた〕

⑦その意味調べの第二回目〔「江戸いろは」〕⇒ ≪そのあとで、使えそうに思ったコトワザを数えさせてみると・・・〔11~30個に約74%の個が集中〕/子どもたちの摂取能力の一面を伝えているといえるであろう。六年生ぐらいになるとかなりのコトワザをものにしているようである。

ナゾナゾを話題にする〔この遊びの記憶や自作の記憶を尋ね、続いてコトワザを使った記憶や自作についても。さらに子どもたちが自作したナゾナゾを紹介する。〕⇒ ≪物事を「たとえる」ということ、つまり比喩のしかたを問題にしてみたわけである。≫(本書 九二頁)

ナゾナゾとコトワザについて「たとえ」のちがいを考える〔いわゆる授業らしい授業ともいえる。〕⇒ ≪ナゾナゾの例(「ひとつ目小僧に足一本?(ぬいばり)」「山でこいこい畑でいやいや?(ススキとサトイモ)」)、そしてコトワザの例(「花より団子」「たなからぼたもち」)を使って以下の三つのことに気づかせる。(1)ナゾナゾは「物」がたとえられているとみることができるということ。(2)コトワザのたとえには、直接に目でみることのできない「考え」(ことわり・りくつ・知識・真理)がもりこまれていること。(3)コトワザは、「表」の世界(表現・比喩)と「裏」の世界(ある考え・ことわり)の二面からつかみとるということができるということ。≫(本書 九二頁)

「いろはたとえ」以外のコトワザをとりあげる〔新井秀一の「小さなことわざ辞典」を利用する。50個のコトワザの意味が小学生向きによく解説されている〕

⇒ ≪例によって各人の知っている数にあたって集計してみると・・・6~20個に子どもの66%が集中。/この「小さなことわざ辞典」は、子どもたちにぴったりしたものであったらしくたいへん受けた。初期のうちはやはりこういうコトワザの辞典でないとうまいこといかないのかもしれない。/この辞典を使用しているうちに、次のことを思いついた。すなわち、この辞典をばらして、画用紙にはりつけ、カードにした方がよい、ということに気がついたのである(カードの表にコトワザ、裏に意味をかいた)。/「カード方式のことわざ辞典」ができたわけである。この立体的なありかたに子どもたちは大いに喜んだだけでなく、これはまた、先に述べた「表」の世界(表現・比喩)と「裏」の世界(ことわり・考え・知識)の二つの面を自然裡に、しかも具体的に、手にとれる形で把握させることになった。いわば一挙両得の仕事になったわけである。/と同時に、コトワザ遊びを開発することができた。カードの裏を読みあげて、相手にそのコトワザをあてさせるのである。(集団・二人・一人で、できる)この遊びをたいへん歓迎してくれた。予想外のことであった。「コトワザあてっこ遊び」と名づける。しかし、「表」をいって「裏」をいわせるのは、いわゆるお勉強になるせいか、あまり子どもは面白がらない。/これをやっていたらこんどは、自然な形で、「類諺遊び」もできるようになった。というのは、たとえば「どんなに自分がとくいななことでも時には失敗することがある。云々」と読みあげたとき、カッパノ川流レだけが正解なのではなく、テングニモトビソコネでも、サルモ木カラオチルでもよいということに気づいたからである。ここから、「表」にいくつも類諺を書き、「裏」に意味を書いたカード、また「表」にコトワザを一つ、「裏」に類諺を複数かいたカードも生まれた。/カード作製と運用になれてくるにつれて、善ハ急ゲ←→急ガバマワレなどの反対句の遊びもできたし、中にはカードの表に「あたりまえでおもしろいことわざ」と見出しをつけて、その裏には雨ノ降ル日ハ天気ガ悪イ・犬ガ西向キャ尾ハ東などを書きこむ子どももでて来、コトワザの習得も急速に進んでいった。まことにカード作りは、一挙両得にとどまらず一挙十得ほどの効果をもたらしてくれたのである。以下のコトワザの意味しらべも如上のカード方式(作製と遊び)を併用しておこなっていったものである。≫(本書 九三~四頁)

⑪コトワザの意味調べの第三回目(1965.11.8)〔「江戸いろは」調べの続き、「小さなことわざ辞典」の中のコトワザ調べ〕≫(本書 九三~四頁)

 

 今回はここで切っておきましょう。こうして「コトワザの授業」の展開を追っていくと、小学生向けの「小さなことわざ辞典」で調べたり、「コトワザのあてっこ遊び」が生まれたりするあたりから、子どもたちが授業に乗ってくる勢いが伝わってきます。⑩の終盤では庄司が子どもたちにひっぱられていく様子も感じられます。もう少し詳しくみていきましょう。下線を引いた授業に注目していただくと、子どもたちがコトワザに込められている「思想」(世界観・指針・実践も含めて)の存在にタッチする機会がいくつか認められます。⑧のナゾナゾを話題にする活動あたりから、「たとえ」というものに気づき、⑨でナゾナゾとコトワザの「たとえ」のちがい、そしてコトワザの意味を表と裏で把握する仕方は、コトワザというものには「裏の意味がある」という実感をより鮮明にしたことでしょう。それを個々のコトワザで確かめる機会が待ったなしでやって来たわけです。⑪の小学生向けの「小さなことわざ辞典」を使った意味調べのことです。なんというタイミングの良さでしょうか。ここで子どもたちは学習の勢い、つまり自分から進んで調べているうちに自然に覚えるという機会を得たのではないでしょうか。「コトワザの意味しらべ」が遊びになるのは自然の流れだったと言えましょう。

 ところで、⑪の意味しらべの三回目の実施日を確かめると、「1965.11.8」になっています。コトワザの授業に勢いが出てくるのが、その前(直前?)です。興味深いことに、庄司は「1965.11.1」に重要な論文を書いているのです。既に紹介していますが、「表象論としてのコトワザのもつ論理」(本書第Ⅰ部第2章)です。ここには明らかに三浦つとむの助言からの影響と見られる「論理」、「段階」、「表象」、「認識発展論」などの用語がふんだんに使われています。論文構成だけを紹介しておくと、第Ⅰ節「認識発展論の角度からのアプローチ」、第Ⅱ節「第二段階としての表象論のもつ有効性」、第Ⅲ節「コトワザと大衆との関連にみる一側面」、第Ⅳ節「コトワザの特性にまつわる二三の問題」です。庄司はこの時期、コトワザの授業における「言語感覚と思想」の問題と同時に遥か先(認識理論の創造)を見ていたことが伝わってきます。