人間界 不思議なことばかり

不思議発見というテレビ番組がありますが わざわざ遠方に出かけなくても 身の回りには 不思議なことがいっぱいあります

騒音

2011-02-27 15:35:40 | 日記
福島の秘湯で夜中に川の音がうるさくて目が覚めたことがある。濁流のごとき響きだったので深夜に大雨でも降ったのかと思い、翌朝、欄干から眺めると子供が楽に跨げるような小川が流れていた。深夜の余りの静寂のせいで小川のさらさらも大河の風情だったのだが、夜明けとともに小川の勢力もしぼんでしまった。
比べて都会の騒音は絶え間がなく、まるで人間様が作り出すきしみのようだ。緊急車のサイレンが頻繁に通過するが、また事故や急患があったのかと思うのは束の間で、人間が密集して暮らせば色々な人事が生じて当たり前と感じるだけだ。
早朝、出勤のバスのなかで黒いダウンを着た労働者風の男のイヤフォンから音漏れが激しい。耳障りなので出来るだけ離れる。地下道を歩くと辺り構わずにトランクを引き摺る音が神経に障る。車をゴムにすればゴトゴト音を防げたのにと思う。さらにハイヒールのカツカツ音が脳裏に突き刺さる。階段ではとくにひどく、何でハイヒールを発明したのかと恨む。怒って女性を殴れば直ちに犯罪になり全くやり切れない。ミスユニバース一位を輩出する美女の国ベネズエラではハイヒールで階段の上り下りの際にはつま先のみを使うよう教えられているそうだ。礼儀作法も美女の条件になっているとのこと。するとハイヒールの音を撒き散らしてかっ歩する若い日本女性は礼儀知らずか。さて駅を出ると今度は街頭演説が待っている。誰も聞いていないしスピーカーから出る音は割れている。何を言っているか全く不明で、本人も分かってしゃべっているか疑ってしまう。
会社に辿り着くまでに騒音でくたくたになる。これに毎日耐えている(感じない?)都会人はすごい。

原価

2011-02-26 16:17:31 | 日記
市場が価格を決めるのだから、それに応じて原価が決まるというもっともな意見がある。従来のように原価に経費利益を上乗せして定価が決まる時代ではないという。経営者の無理を承知での社内発言みたいだが、競争力のある商品を開発すればいいのだがおいそれと出来ない。そうこうしている間にますます価格が下がり人件費にメスを入れざるを得ない、これが実情だろう。
みんなでまとめ買いすれば安くなるとメンバーを募っているWEBサイトがある。クーポンで定価の50~70%で購入できるという。広告を見れば誰しも飛びつきたくなるが、そんな安く製造できるのだろうかと考え躊躇する人は意外と少ないようで、安さだけがひとり立ちしている。
100円SHOPは市民権を得たせいか話題にもならないが、大部分が中国製で壊れやすくてやはり100円は100円だという実感がある。100円SHOPは100円にしたのではなくて始めから100円で出来る商品を作っているのだからそれなりの品質だ。つまり100円SHOPは価格崩壊の原因のひとつであったかもしれないが、当たり前のことだが100円SHOPは価格崩壊していない。
年末に共同購入だと2万円のおせちが1万円になりますと話題を集め、しかし実際に配送されたのは腐りかけた鳥や、数枚のレタスやカニカマだったという笑うような事件があった。購入者は詐欺だと騒ぎ、仲介業者は善処しますと釈明し、製造業者は社長辞任。マスコミを賑わしや消費者庁は仲介業者に行政指導したが、購入者、仲介業者、販売業者それぞれに甘さと素人っぽさみたいなものを感じた。つまり消費者が定価と割引にとらわれて商品に見合った値踏みをしていないのではないか。
鯛焼きの件も儲けがないからクーポンを返上しますという店主の言い分、定価100円の鯛焼きがクーポンで50円になり仲介業者に手数料20円も取られ差し引き30円にしかならないことは小学生でも理解できる。始めから結果が予想されるのに店主が何故契約したか不明だが、勉強不足と無責任な行動だといわれてもしかない。
だいぶ前のことだがマカオに旅行したとき、現地案内人がヒスイを買う際には10%から交渉してくださいと言う説明を聞いてびっくりしことがある。日本ではありえない商習慣だ。つまり現地では相場が10分の一前後ですよというアドバイスだった。相場をしっかりとわきまえないと上手な買い物が出来ないと。値切りすぎは偽者を掴まされるし、高く買いすぎは店主に馬鹿にされる。売り買いの双方が暗黙裡に妥協点を伺う必要がある。消費者は高いと警戒するが安いと簡単に財布の紐を解く。しかし物には価格崩壊、インフレといえど相場がある。賢い消費者になるためには少し値切りの勉強するが良い。そうすれば商品に対する見識が広がり、そろばんをはじくことが出来る。

拡声器

2011-02-13 11:09:57 | 日記
駅の改札口を出ると、議員候補者らしき人が入れ替わり毎日演説をしている。出勤に忙しく誰も聞いていないし、耳障りだし、チラシはごみになる。注意を惹かなくても投票の際に名前や政党名が過ぎれば結構、活舌の訓練のつもりだろうが傍迷惑だ。大学の弁論部も似たようなもので、実行力はともかく弁論で相手を圧倒することが第一歩なのだ。普通、話をする場合は簡単明瞭が鉄則だが、政治の世界では饒舌にして且つ滑らかしかも中身は空っぽが当たり前らしい。口はうまくても理想を具体的に実行する手腕がなくては誰も動かせない(理想もない)のは周知の事実。ある大学の弁論部出身の総理大臣が何人かいたが、口達者の典型で、国会に勤めていた知人の話では威張って始末に負えなかったと苦笑していた。今の政治は政治家同士の権力闘争であり、われもわれもと大きな声で押し分け、票にならない人は蹴散らかす。そもそも政治家に潔白を求めるほうが野暮である。
青雲の志をもって政治家や役人を目指しても年を経るといつの間にか支援者の利益代表に堕してしまうのは本人の意志の問題か、それとも日本人の国民性なのか。国難が予想され一日でも早く法律を制定しなければならない問題についても、出入り口の議論に終始し、結局先送り。何のために国会議員に給与を払っているか分からない、仕事をしていないのだ。
選挙期間中は候補者のつぶれた声とウグイス嬢の悲痛な叫びが拡声器を通して飛び交う。まるでお祭り騒ぎの鳴り物入りで赤ん坊の昼寝などお構いなし。選挙は大切だと思っていても政治家には失望し熱が入らない。国民も日々の暮らしに追われ選挙は他人事、選挙はムード化して意思を持たない不動票が大勢を制す。勝った政党は大きく流れが変わったと勘違いする。

流行

2011-02-06 11:15:32 | 日記
昔は建設会社のことを組といった。地元に幅を利かせた組の親分が元請けになり、ピンはねをし傘下の職人たち(子分)が実際の仕事をしていた。嘗て銭湯に行くと刺青をしたとび職らしき人物が多かったのはその名残であろう。今じゃ一級建築士の免許を持ったれっきとした会社が現場を監督しているだろうが、それでも地域によっては昔の因縁があって裏でその筋の名義を必要とされるところもある。断ればとんでもない嫌がらせを受けるらしい。
組の親分は背後で地元を支配し仕事師を束ね鉄火場を開き興行を打った。役者や力士も地方巡業の際には実力のある組の世話になれば手打ち興行をする手間も必要なく金銭的にも安心して任せられた。
また役者は河原こじきとか男芸者と蔑まされ、関取は一年を二十日で暮らすいい男と評されたが、谷町といった贔屓筋や組の親分、花柳界、大旦那といった人たちが金銭面等での面倒を見たとされている。人気者たちを裏で支えることが旦那気分を満喫させたのかもしれない。だから場合によっては贔屓筋の頼みも聞かなくてはなるまい。中には始めから金銭的に拘束し思い通りに人気者を動かすことを意図した悪人もいた。こういう人物に引っかかると賭けの対象とされ、大きな金銭が動き、八百長も余儀なくされる。この時代の人はこういうことが当たり前だったから誰も不審に思わなかった。二号さんに旦那が小料理屋をやらせるなんていう話はざらにあったが、今では大騒ぎになる。
今やマスコミや世論が前面に登場し、日夜、社会面で当事者や政治家に対し清廉潔白なイメージを強要する。裏社会なんかとんでもないことである。まったく話題にするだけで責任の持たない世論だから消えるのも早い。事件の分析や追及が疎かにされ、先送りされるから流行と同じである。しかし清濁を生き抜くという努力こそ人間的成長を遂げるのに、最初から潔白でないと容赦しない社会風調は問題じゃないか。自分で考えて下す判断ではなくて、皆が同じ判断基準をしかもたないという証拠である。そして白昼堂々と自分のほう利益を誘導する法律をお手盛りで拵えるほうに世論は鉄鎚を下さない。