登山が今流行っているのか分からない。大学の山岳部は部員集めに苦労していると聞くが、山ガールの富士登山の話題や中高年登山の遭難のニュース等色々ある。また登山は疲れるから行かないという人や自然と直に接することが出来るから最高だ健康にも良いという人も多い。
しかし山は社会の安全という枠から外れているから滑落事故、行方不明、気候の変化、熊イノシシ等の動物と危険があり、山中で事故にあってもすぐには対応できない。特に谷底や高所の斜面ではヘリコプターの墜落などの二次災害もあってかんたん救出できないこともある。低山でも木の根に足を取られれば大怪我をする。富士山五合目の駐車場で落石が網を破り人を押し潰した不幸な例もある。だから自然の癒しと危険とは裏腹な関係にある。
本格的な登山には体力、体調、経験、技術、気候、そして運が関わっている。無理をすれば必ず報いが来るし、無理をしなくても突然の自然災害に見舞われる。危険と隣り合わせの行為だから人を惹きつけてやまない。ある意味で無理を承知の行動とも云える。
ヒマラヤにはたくさんの遺体が現場に放置されている。危険な山とされるK2やアンナプルナには遺体がごろごろしてまるで墓場の様子らしい。若い日本の登山家の撮ったダウラギリのポーランド人の遺体は記憶に新しい。日本人なら直ぐにでも遺体を引き取る行為に出るところだが国によって態度が違う。明らかに危険であっても何とか征服したいという意欲を掻き立てる山は、人の心の奥底にある何か得体の知れない存在と結びついている。というより山という自然の存在がまるで人の心の魔を喚起しているようだ。死に親しい登山はスポーツとはいえないだろう。
しかし山は社会の安全という枠から外れているから滑落事故、行方不明、気候の変化、熊イノシシ等の動物と危険があり、山中で事故にあってもすぐには対応できない。特に谷底や高所の斜面ではヘリコプターの墜落などの二次災害もあってかんたん救出できないこともある。低山でも木の根に足を取られれば大怪我をする。富士山五合目の駐車場で落石が網を破り人を押し潰した不幸な例もある。だから自然の癒しと危険とは裏腹な関係にある。
本格的な登山には体力、体調、経験、技術、気候、そして運が関わっている。無理をすれば必ず報いが来るし、無理をしなくても突然の自然災害に見舞われる。危険と隣り合わせの行為だから人を惹きつけてやまない。ある意味で無理を承知の行動とも云える。
ヒマラヤにはたくさんの遺体が現場に放置されている。危険な山とされるK2やアンナプルナには遺体がごろごろしてまるで墓場の様子らしい。若い日本の登山家の撮ったダウラギリのポーランド人の遺体は記憶に新しい。日本人なら直ぐにでも遺体を引き取る行為に出るところだが国によって態度が違う。明らかに危険であっても何とか征服したいという意欲を掻き立てる山は、人の心の奥底にある何か得体の知れない存在と結びついている。というより山という自然の存在がまるで人の心の魔を喚起しているようだ。死に親しい登山はスポーツとはいえないだろう。