徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

日本文壇史

2018-01-11 11:05:56 | 日本文学散歩

 昨年の暮れから、伊藤整の『日本文壇史』を読み始めました。現在、第2巻『新文学の創始者たち』を読み終わったところです。近代文学が成立するためには、作品の内容よりも文章のあり方のほうが問題となりました。当時は話し言葉と書き言葉が明確に別れていたからです。そこに登場したのが言文一致の小説です。2巻は、そのトップバッターというべき二葉亭四迷の、『浮雲』の発表から幕を開けます。同じ時期に言文一致体小説のスターとして華々しくデビューを飾ったのは山田美妙。面白いことに、この二人は幼ななじみでした。同じ言文一致の小説を書きながら、二人の作風は全く違ったものでしたが、以外な繋がりがあったのですね。

 このように『日本文壇史』は、一人一人の作家の繋がりを描き出しながら話が進んでいきます。そのため、一人の作家の独立した伝記を読むよりも、その作家が生きていた明治という時代の息吹をより良く感じ取ることができて、とても面白いです。また、伊藤整は文学者の話題だけではなく、明治時代の政治や社会の動向も詳しく書いているので、評判になった作家とその作品が世に受け入れられた背景が良くわかります。たとえば、言文一致体ではなく、日本の伝統的な候文を主体にした尾埼紅葉率いる硯友社の作品が売れ出したのは、それまでの欧化路線に対する反動として国粋主義が盛んになってきた時からでした。言文一致が注目されたのは、文明開化の流れのなかで日本中が新しいものに飛びついたからです。その流れが変わったのですね。文学作品も世論の動向に左右される、ということでしょうか。

 また、伊藤整は小説家であって歴史家ではありませんので、歴史を書きながらも所々に実作者としての考えが述べられていて、強い感銘を受けます。

 「文士の生きる社会は、文学史にそのため名前を明らかに辿られる者のみで形成されているのではない。どの世代においても、その名もその仕事も失われ忘れられて行く無数の文士の渦巻いている混沌の中から、僅かに数人の者のみが、文学史の上に明確な存在の跡を残すのである。」
伊藤整『日本文壇史2 新文学の創始者たち』から引用
 
 このような文章を読みますと、『日本文壇史』に登場する文士たちの中で、現在も名前が知れている人が何人いるのか、ということを考えてしまいます。小説家として世に立つというのは、大変なことなんだということがひしひしと胸に迫ってきます。

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