徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

夏目漱石の妻2

2016-10-11 10:36:07 | 身辺雑記
 NHKドラマ「夏目漱石の妻」を楽しく観ていています。「吾輩は猫である」によって一躍、時の人となった漱石の周辺に鈴木三重吉、小宮豊隆といった若者が集まり始めます。その一方で、漱石は封印していた過去と向き合わねばならないこととなります。漱石が夏目家に復籍する際に渡した書き付けをネタに、養父、塩原昌之助が漱石のもとに金を無心に来るのです。小説「道草」にも描かれる有名なエピソードです。塩原昌之助の役を竹中直人が実に巧に演じています。落ちぶれた養父が持ったであろう、ある種のふてぶてしさと、後ろめたさといったものが良く出ていたと思います。事件そのものは、漱石の妻、鏡子のすべてをさらけ出した体当たりの説得によって無事に解決します。人間、ここぞという時には、小手先の対応では駄目だということがわかりますね。この部分はまったくのフィクションですが、観ていて納得してしまいました。

 実際には、漱石は塩原昌之助に100円の手切れ金を渡して、関係を断ちます。このあたりの事情については、江藤淳の「漱石とその時代」に詳しく書かれています。漱石はあくまでも、人情の問題として幕引きをしようとしたようですが、塩原昌之助は「権利」問題として、事を収めたようです。番組では漱石の立場に立った形で事件を処理しています。私もその方が観ていて気持ちがいいですね。

 ただ、同じ状況を現代の価値観で描いた場合には、結末がかなり違ってくるだろうと思います。明治時代は日本人の多くが「恥を知る」という考えを持っていたと言われます。だからこそ、鏡子から書き付けのなかにある「不実不人情」についてあなたはどうなのですか、と迫られた昌之助は、100円と引き換えに書付を渡して逃げていくしかなかったのでしょう。現代社会には、それだけではすまない怖さがあると思うのです。時代が進むにつれて、人間もどんどん複雑になり、恥を知る、知らない、ということだけでは割り切れ無くなってきていると思うからです。
 
 さて、次回はいよいよ最終回。修善寺の大患を乗り越えた漱石の表情がどのように変わるのか楽しみです。

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