「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

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『古事記が語る古代の世界』①  全34回 一、はじめに

2016-03-11 04:32:32 | 歴史研究

序文
日本人の古代や起源を解くにあたり、「記紀」を無くして語ることはできない。
特に『古事記』の「奇想天外」な神話の世界に、一つ一つ古代の謎を鍵が秘められている。驚天動地(きょうてんどうち)の説話の展開にも古代史実への暗示がある。
何より、人情味あふれる喜怒哀楽(きどあいらく)が、歌の数々に込められた古代の人々の思いを窺い知れる。
また『古事記』に盛り込まれた歌詞に、秘められた人間の性が持つ、普遍の憎愛が、歴史を刻む思いがする。
また『古事記』が献上されて千三百年、今、改めて『古事記』を解き読むことで、古代社会の情景や心情、時代の趨勢と背景を、徐々に解き明かされて行くと思われる。
今後の発掘と記述の検証によって未知の古代世界を切り開き、謎を解き明かす時が来るだろう。
『古事記』を読み解きは、知識力以上に理解力を必要とし、想像力も欠かすことはできない。それ以上に古代への深い想いと情熱をもって古代に思いめぐらせば、自ずと『古事記』を通じて日本の起源と古代の謎が開かれて行くのではなだろうか。
『古事記』は現存する日本最古の史書とされ、二十九年間の舎人・稗田阿礼らの誦習と四カ月の編纂、 全三巻で構成され、和銅五年(712年)に太安万侶(おおのやすまろ)によって編纂された。編算に当たって「帝紀」「旧辞」(参考資料)にされて作られた。
『古事記』には天地開闢から推古天皇まで時代までの間を叙述されている。
古事記研究には多方面から研究され、中でも本居宣長の研究は古事記究明に貢献され、その後の国学に与えた影響は大きい。
よく「記紀」は対比させ、『日本書記』は漢文様式で『古事記』は日本語の音を主体に表記されている。『古事記』と『日本書記』の筋書きの内容も異なり、同時代に編纂され作成された、二史書はどうして後世に伝えたか、伝えなければならなかったか、疑問は残る。
古事記研究には四大国学者の研究によって少しずつ今日のような形に解明されていった。
『古事記』の原本は現存せず、いくつかの写本が伝わる。『古事記』の存在を証明する物証もなく、従って古くより古事記偽書説がながれ、最古の写本が室町時代のものとされ、懐疑的な論議がなされたが、近年、昭和五十四年(1979)太安万侶(おおのやすまろ)の墓が発見され、昨今その墓が「太安万侶の墓」と確定された。その事によって「古事記」と「太安万侶」の編纂と実在性が明らかになって行くのである。
近年難波に宮跡発掘で七世紀中頃の、日本最古の万葉仮名文が書かれた木簡が発見され、万葉仮名は七世紀末とされているが、これらの発見で二、三十年遡ることになる。
万葉仮名は漢字一字を一音にあてて表記したもので、その後太安万侶の『古事記』編算で一句の中に音と訓を交えている、言ってみれば日本語、漢字の「併用表記」と言えるのではないかと思われる。
そう言った点、稗田阿礼(ひえだのあれ)の記憶している記憶されている『古事記』の事柄に太安万侶の苦心が窺われる。
『古事記』の写本は主として「伊勢本系統」と卜部本系統の別れ、最古の初本は真福寺古事記三帖(国宝)である。奥書の祖本は上下巻が大中臣定世本、中巻が藤原通雅本で、道果本で真福寺本に近いとされ、その他は卜部本系統とされている。
これら室町時代、南北朝時代の写本となっている。
その後近世になって下記の国学者らによる『古事記』の研究が盛んになって行き、新たな『古事記』の再評価に繋がって行った。
荷田春満(かだのあずままろ)(1669~1736)伏見大社の神職に生まれ、徳川吉信宗に国学の学校の創設を嘆願した。賀茂真淵(1697~1769)賀茂新宮の禰宜(ねぎ)の家に生まれ、荷田春満に入門し、田安家の和学の御用となった。本居宣長(1730~1801)伊勢の商家に生まれ、医者を続けながら「記紀」を研究しながら「古事記」前四十四巻を著した。平田(ひらた)篤(あつ)胤(たね)(1776~1843)出羽秋田藩士の子。脱藩し宣長に師事し、後に復古神道に貢献し神道の基礎を確立した。
上記の学者らによって、「記紀」で『日本書記』のテキスト、参考文献でなかった『古事記』を『日本書記』以上に重要性を世に知らしめた。
近年津田左右吉、折口信夫などの学者によって、新たな『古事記』に対する新説が生まれ、様々な評価もなされて行き、今から1300年前に記された「記紀」に思いを巡らせ議論が重ねられ、古代の謎を解く鍵と深い推測が生まれつつある。

『古事記』は上巻・中巻・下巻に別れている。
上巻は天地開闢から鵜(う)葦(ふき)草不合(あへずの)命(みこと)まで日向三代まで。
中巻は神武天皇から応神天皇まで。
下巻は仁徳天皇から推古天皇までの三巻に別けられている。

※「記紀」は『古事記』と『日本書記』は並び称される史書であるが、『日本書記』は国史として『古事記』は天皇家の史書として趣は異なった史書として編纂された。
国史には『日本書記』『続日本紀』『続日本後紀』『日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』があるが『古事記』には国書としての扱いを受けていないが、近年『古事記』の重要性が日々高まりを見せている。「記紀」の重要性は互いにその欠落を補う形で対比されている面も否めない。





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