「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『日本仏教十三宗諸派総覧』アマゾン書籍紹介。1512円。 「十三宗五十六派」とは、宗教団体法が施行される、昭和15年(1940)以前に日本の仏教の成立から見て

2019-10-23 06:05:00 | 温故知新
『日本仏教十三宗諸派総覧』アマゾン書籍紹介。1512円。
「十三宗五十六派」とは、宗教団体法が施行される、昭和15年(1940)以前に日本の仏教の成立から見て、教義・歴史・伝統がその根本にある宗派のことである。
仏教歴史上、古代時代・中世時代・近世時代に立宗し日本を代表し存続し影響し続けた仏教宗派である。
「十三宗」とは、それぞれの宗旨のことである。「五十六派」とは、それぞれの分派のことである。宗教学上で仏教の伝統宗教と定義されるのは、この五十六宗派に基づく。また、歴史教科書に書かれる鎌倉祖師たちの宗名は宗旨のことである。
ただし、法相宗、華厳宗、律宗、融通念仏宗、曹洞宗、時宗、黄檗宗は、宗派に分かれていないため、宗旨と宗派が同一である。また天台宗・浄土宗・日蓮宗のように宗派名が宗旨名と同一の場合でも、他派を従属するものではなく、本末・包括関係もない。
「十三宗五十六派」と言われた時代から、時代の変遷で、離合集散、栄光衰退、宗派間の攻防などで、攻防は繰り返し、吸収されたり、消え去った宗派も少なくない。
ここに伝統的に宗派として存続した仏教伝承から時代の趨勢に消え去った宗派まで網羅し、列挙し日本の歴史の重要な要因として明記した。
『魏志和人伝』アマゾン電子書籍紹介
魏志から見た和人(日本)と国交で和国は大きく三つの国に分かれ紛争は絶えなかった。中でも最も大きい山都国は周辺に領主・郡主らの部族を三〇箇所を持っている。敵対国として九国の球磨国は幼い女子が女王で、もう一国の勢力が中国半島の出雲国も二十箇所の部族や領主を有している。山都大国が中国の皇帝に献上し良好な関係を作り、和国の支配者の扱いを期待し、朝貢の返礼に銅鏡五十枚下賜された、それを聞いた球磨国は中国の皇帝に朝貢し、和国の王印を下賜された。出雲国と球磨国の関係は良好だったが、山都大国の軍勢が出雲国を攻撃、直ぐに球磨国に応援を求めた。山都大国は球磨国に攻め込み、征服をする。ところが山都大国の弟が反乱し、兄の王を幽閉した。兄王は球磨国まで逃げ込み山都大国の軍勢を見方に山都大国に攻め上がり、弟王を滅ぼした。兄王は球磨国の女子の女王に一目ぼれで結婚の運びとなった。


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