「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 38・「沙本毗古の反逆の説話」

2016-12-19 04:31:15 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
38・「沙本毗古の反逆の説話」
垂仁天皇が、沙本毗売さぼびめを皇后とされた時に、沙本毗売命の兄の沙本毗さぼび古王こみこが、異母の妹に尋ね「夫と兄とどちらを愛おしく思っているか」と言った。
妹は答えて「兄さんが愛おしい」と答えた。
すると沙本毗古王は、たくらみ事を謀って「そなたが誠に私を愛しているなら、私と二人で天下を治めようではないか」と言って、鋭利な紐小刀を作り、それを妹に与え「この小刀で天皇が寝ている所を刺し殺せ」と言った。
そんな謀反のことを知らずに、天皇は皇后の膝を枕に眠っておられた。皇后は小刀で天皇の首を刺そうとし、三度振りかざしたが、どうしても刺せず、悲しみに心が耐えられず、涙が天皇の顔にこぼれ落ちた。
天皇は驚き目覚めて立ち上がって、皇后に問われた「我は不思議な夢を見た、沙本の方から激しい雨が降って、急に我が顔面に濡らした。また錦色の子蛇が我首に巻き付いた。このような夢は何の兆候なのか」と言われた。
最早皇后は申し開きが出来ないと思って、天皇に申し上げた「私の兄の沙本毗古王は、私に『夫と私とどちらが愛おしいか』と尋ねました。
面と向かって兄には勝てませんでした。わたしは「兄が愛おしいかも」と答えました。「そなたと天下を治めようと、そして天皇を殺せと」と言って鍛えぬかれた鋭利な紐小刀を私に与えました。そのような経緯で天皇を刺そうと思いましたが、どうしても刺せませんでした。
三度振りかざして、悲しみで涙がこぼれ落ち、お顔を濡らしました」と告白した。
そこで天皇は「我が、いま少しの所で欺かれるとこだったなー」と言われ、軍を起こして沙本毗古王を撃とうとされた。
その王は稲城を作って迎え撃った。その時に沙本毗売命は、兄を思う気持ちで耐えられず、宮廷の裏門から逃げ出し、兄の稲城に入った。
この時すでに皇后は身籠っていた。
天皇は、皇后が身籠っていることと、皇后を寵愛すること三年に及んでいたので、思いに耐えられなかった、そこで天皇は軍勢を稲城に包囲させたまま、攻めるのを躊躇された。
この対峙の間に、皇后は妊娠中の御子を産まれた。
そこでその御子を差出、城外に置き、天皇に申し上げた。
「もしこの御子が、天皇の御子とお思いであるなら引き取り育てください」申した。
天皇は皇后の兄を恨んではいるが、皇后への愛しい思いは耐えられないと言われた。
やはり皇后を取り戻したい思いがあって、軍人で敏捷で力強い兵を集めて「その御子を受け取る際に、母后も一緒に奪い取れ、髪であれ、どこでも掴めるものがあれば掴め稲城外に引っ張り出せ」と命じられた。
所が皇后も夫、天皇の心の内を見抜いていて、自分の髪を反り落とし、剃った髪を束ね直し、頭に飾り付けた。腕輪もすぐに外せるように工夫を凝らし、衣装も腐食させ、このように表面上は変わりない衣装で、御子を抱いて城外に差し出した。
即座に強力の兵士が、その御子を抱き取ると、一緒に母君を摑まえた。
そして髪を握るとポロリと落ち、手を摘まむと、腕輪の玉の糸も切れ、着物を掴むと、着物は破けて、結局の所、母君は得られなかった。
それを聞いた天皇は腕輪の玉を作った、玉作りたちの土地をすべて取り上げてしまわれた。
その後の諺に「土地を持てない玉作」と言う。
天皇は引き取った御子の名を母親が命名するのをどうすれば良いかと、皇后に尋ねられた。
皇后は答えて「今まさに稲城が焼かれる時に生れましたので、御名は「本牟ほんむ智ち和気わけ御子みこと名付けましょう。」天皇は皇后に聞き直した。
「どのように育てるべきか」皇后は答えて「乳母を決め、大湯坐・若湯坐を定め養育をすればよろしゅうございます。」と答えた。
天皇は問い返した「お前が結び固めた下紐は誰が解くのか」
皇后は「丹波の比古多々湏美智宇斯ひこたたすみちうし王みこの娘、名を兄比売・弟比売の二人の女王は清く行いの良い民であります。どうぞお召入れなさい」と申し上げた。
それから天皇は沙本毗古王を殺しになり、その後妹の皇后も死を共にした。

☆沙本毗古の反逆の説話・この説話の場面は禁断の恋、兄妹愛に妹は兄に思いを寄せて最後まで愛情を貫き通す説話で、残された御子が次の場面で物語を作って行く話である。
垂仁天皇の后サホビメとしていた時に、兄サボビコが訪れて来て、この兄と夫である天皇とどちらが愛おしいと尋ねた。
そこで皇后は兄上の方が愛おしく思いますと答えた。それを聞くと、兄が妹に天皇を殺害し計画し、鋭く鍛え上げた紐付き小刀を渡し、天皇の寝ている間に刺すように指示をした。ところが皇后は三度も振り上げたが、どうしての刺せない、いつの間にか涙が出て、天皇の顔にこぼれて落ちた。
天皇は悪夢でも見たのか目が覚めて見ると、皇后はこれ以上隠しきれないと、事の全てを打ち明けた。
危うくだまし討ちに遭う所と言われ、軍勢を出して討伐をされた。一方サホビコノ王は稲城を作り、応戦の用意をした。皇后は兄への思慕の念で宮廷から抜け出し、稲城の、裏門から入った。この時には皇后は天皇の御子を妊娠していた。そこで天皇は三年間暮らして寵愛していたので、皇后を直ぐには攻めず様子を見ていた所、御子を出産された。
后サホビメ奪還の作戦は中々込み入っている。
出産したサホビメも御子も一緒に奪い取る手法で力持ちで敏捷びんしょうなものを選び、御子を引き取ると見せかけて皇后サホビメも稲城の門外に引っ張り出せと天皇は支持されたが、前もって天皇の思惑を察知し、サホビメの頭を剃ってカツラの似たもので偽装し、衣装も腕輪の紐も酒で腐食させて正装のように見せかけた出立で、御子を抱いて稲城の門外に出た。
その時すかさず御子を引き寄せる手で一緒に母君も摑まえた。
すると衣装も髪の毛もポロリ、スルリと抜け落ちて、サホビメ皇后を摑つかまえることが出来なかった。
落城の寸前の御子を養育の方法と、名前のことを尋ねられ、皇后は丹波の比古多々湏美智宇斯王の娘、名を兄比売・弟比売の二人の女王は清く行いの良い民であります。どうぞお召入れなさい」と申し上げた。名前を問うた。「本牟智和気御子」と名付けて兄と共に死んでしまう。
☆沙本毗売命・沙本毘古王は日子坐王の子で、開花天皇の孫にあたる。
☆比古多々湏美智宇斯王はソホビメにとって母兄にあたる。
☆まるで小説を見るような不倫愛の憎愛、情愛の物語が情緒深く[古事記]にあがかれている。
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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 32・「神武東征の説話」 神武天皇の東征

2016-12-07 12:44:37 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
32・「神武東征の説話」
神武天皇の東征
神倭伊波毗(かむやいわれび)古(こ)命(みこと)は、同母の兄の五瀬命と二人で高千穂の宮に来られて、兄の五瀬命に相談し「どこの問いを拠り所すべきか、天下の政治を平穏に執りましょうぞ。もっと東の方に行きたいものです」と仰せられた。
日向から出発されて、筑紫の国に着かれた。途中豊国の宇沙(うさ)に着かれた時、その国の人で名は宇沙(うさ)都比(つひ)古(こ)・宇沙都比売の二人が足一騰宮(あしひとつあがりみや)を造り御馳走を差し上げた。宇沙の地に移って、筑紫の岡田宮に一年ほど滞在された。
さらに筑紫の国から上に向かわれ、安芸の国の多祁(たけ)理宮(りみや)に七年滞在、さらに安芸国から移り上がって、吉備国の高島宮に八年滞在された。
さらに吉備国から上がって行く途中に、亀の甲羅に乗って、釣りをしながら鳥が飛び翔けるようにやって来る人に、速吸の海峡で出遭った。
その人を呼び寄せて「お前は誰だ」と問いかけた。
答えて「自分は国つ神です」と申した。
「お前は海路に通じているか」の問いに、
答えて「詳しく知っております」と答えた。
「お供して仕えしないか」答えて
「お仕え申し上げます」と答えた。
そこで船棹を差し出渡し、その人を船に引き入れた。
その人に名を与えて槁根都日子と名付けた。

五瀬命の死
東征はその国から更に上がって行くときに、難波の渡りを通過して、白肩の入り江に泊まられた。この時に大和の登美能那賀湏泥毗(とみのうながすねび)古(こ)が軍勢を起こして、迎え待ち構えていた。
そこでイワビコ命一行は御船に入れてある楯を取り出し、船から下り立たれた。その故にその場所の地名は楯津(たてつ)と言う。
日下で登美毗古と戦われた時に、五瀬命は射られた矢で深い傷を負われた。
そこで言われるに「我々、日の神の子孫、日に向かって戦うは不吉、だからこのように深傷を負ってしまった。向きを変えて廻って、日を背に戦おう」と誓い南の方に迂回、血沼海で傷を洗いになった。
更に航行し紀伊国の男の港に着かれた。
深手を負った五瀬命は「こんな傷で死んでたまるか」と悔し嘆き怒り亡くなった。
その地を男水門と言う。
御陵は近くの籠山に葬られた。


☆神武東征の説話
神武天皇(イワレビコ)は兄弟で兄のイッセノと共に東に向かっていくことになった。
筑紫の地から途中豊国の宇沙に着かれた。今の大分県に着かれ、宇沙(うさ)都比(つひ)古(こ)ウサツコヒ・宇沙都比売ウサツヒメの二人が足一謄宮を造って食事をもてなした。
そこから移動し筑紫の岡田の宮に一年間滞在され、そこから上に安芸の国の多祁理宮に七年間滞在され、吉備の国に移られて、高島宮の八年間滞在された。
吉備の国から上がって行く途中に亀の甲羅に乗り釣りをする者が速吸の海峡で出遭った。
そこで呼び寄せて「お前は誰かと問われた」すると「国つ神と答えた。」そこでイワレビコは「お前はこの航路を知っているか」よく知っていると伝えてお仕えしたいと申し出をしてきた。
そこで船棹を渡し、船の中に引き入れた。
槁(さお)根津(ねつ)日子(ひこ)と名付けられた。
浪速までの途中で二人の国津神が案内役を引き受けた。 
日下で登美毗(とみび)古(こ)(登美能那賀湏泥毗古)と五瀬命が戦われた時に射られた矢で深い傷を受けた。そこで「我々は日の神の子孫として、日に向かって戦うことは不吉である。だから賤しい奴から深傷を被ったのだ。
もはや今は向きを変えようと遠廻りして、日を背中にして敵と戦おう。」と誓った。南の方に巡って行くときに血沼海(和泉国)を廻り、深手を御手の血を洗われた。
そこでその地を血沼海と言うことになった。さらに進まれて、紀伊の国の男の港に着いて,五瀬命は「賤しい奴の為に手傷を負って死ぬか」と仰せになって、怒りと嘆いて亡くなられた。そしてその港に名付けて、男水門と言う。御陵は紀伊国が御山にある。
☆『古事記』で重要な神武天皇の東征の部分の記述が少なく、九州は筑紫から難波から上陸の場面が詳しく描かれていない。


☆東征と言う重要な場面を、日向から瀬戸内海を簡略な記述で述べられている。難波までの行程で、宇沙は現在の大分県宇佐市辺りを指しているのではと思われている。
地寧から該当するものに、宇沙と宇佐は似ている。次の岡田宮は現在の福岡県芦屋町。次の速吸門は現在の明石海峡辺り。多祁理宮は現在の広島県府中市付近。
高島宮は現在の岡山県の玉野市付近。血沼海は現在の泉佐野市付近。男之水門は現在の泉南市付近。白肩に津は現在の東大阪市付近と思われる。
◇神倭伊波礼毘古命・書記では「神日本磐余余彦尊」と表わす。神武天皇の和風諡号。
◇岡田宮・福岡県遠賀川の河口付近と思われる。
◇多祁理宮・広島県安芸郡府中町辺りと思われる。
◇吉備の高島宮・岡山県玉野市の宮の浦辺りと思われる。
◇速吸門(はやすひこと)・豊予海峡を指す。
◇竈山・和歌山県和田に竈山神社がある。
◇(私の住む東大阪には実際、楯津の地名があって、日下と言う地名もあって、地理的に大阪湾を上陸したイワレビコ命一行は奈良、大阪の境界の生駒の向こうのに向かったと思われる)
今では日下(くさか)の蓼津(たでつ)と読む。
☆火遠理命は高千穂の宮で五百八十年間過ごされて、所が伊波礼毗古命の東征に要した行程は岡田宮で一年間、多祁理宮で七年間、高島宮で八年間であった。イワレビコ命の記述は難波から熊野、大和への征伐で進軍する様子を多く語られている。
イワレビコ一行は苦戦し入られて、大和の豪族ナガスネビコが迎え撃って、イツセは負傷を負い、日に向かって進むことは不吉であると、一時退却をする。



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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 31・「鵜葺うがや草葺不合ふきあえずの命いのちの誕生の説話」

2016-12-05 04:49:16 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
31・「鵜葺草葺不合命(いのち)の誕生の説話」
時が経て、海の神の娘トヨタマヒメ神は、自身からホオリ神の許に参上し「私はすでに身籠っております。
今まさに生まれようとしております。天孫の御子は海で生まれる訳にはゆきません。」と申し出てきた。
 そこで海辺の浜に、鵜の羽を草の代わりに屋根・壁に囲い産屋を作った。
ところが産屋を作っている最中、おなかが切迫し産屋に入って出産の前に天孫のホオリ神に申して「天上の御子を産むには、その国の姿で生みます。
私は本国の姿になって産みます。どうか出産の私を見ないでください」と申して産屋に入った。
その言葉が不思議に思って、出産の間際に、そっと覗かれた。そこには大きなワニがのたうちまわり、くねくねと這い回っていた。
それを知ったトヨタマヒメ神は恐ろしく、驚いて逃げ出してしまった。
御子を産んだままにして「私は海の道を通って行き来しようと思っておりましたが、あなた様が私の本性の姿見られ、恥ずかしく思います」と言って海の国に帰ってしまった。
御子の名を天津(あまつ)日(ひ)高日子波限建鵜葺(こなぎさたけうあがやふ)草葺不合(あえずの)命(みこと)と言う。
しかし海の国に帰ってからも、ホオリ神を恋しく、恨みつつ、その御子の養育にあたって、妹のタマヨリ神を献上した。
恋しいホオリ神に寄せて次のような歌を詠まれた。
“琥珀の玉のように輝くあなた様はなんて高貴な方でありましょう”
答えてホオリ神は
“鴨が舞い下りる島に、自分と添い寝をした妻を忘れない”
その後、皇孫の御子の養育に妹のタマヨリ神を献上された。
皇孫の御子ウガヤフキアエズ神と育ての叔母のトマヨリヒメ神が結婚された。そして生まれた御子が後の皇孫、イツセ神の神武天皇である。
ウガヤフキアエズ神とタマヨリヒメ神の間にイツセ神・イナビコ神・ミケヌ神・ワカミケヌ神の四神が生まれた。
ミケヌ神は波頭を踏んで常世の国に行かれた。

☆鵜葺草葺不合命の誕生と説話
海の神の娘豊玉毗売は火遠理命の所に参上し「私はすでにあなた様の御子を身籠っております。今まさに出産の時となっております。
天津神の御子孫は海の中で生まれたことありません、そこで参上しました」と申した。
そこで海の渚に、鵜の羽の屋根に、壁を葺く草の代わりとして、産屋を作った。しかし産屋が出来上がる前に、お腹の切迫に耐えられず。産屋に入られた。
今まさに生まれようとした時に、皇孫火遠理命に「およそ他国の人は子を生むに臨み、その本国の姿で生みます。
それで私も本来の姿で出産するので、どうか見ないでください」その言葉に不思議に思われて、産む間際にひそかに覗いてしまった。そこには大きなワニ(さめ)になって体をくねらせて這っていた。火遠理命は光景に驚き逃げ出された。
豊玉毗売命は火遠理命に見られたことを知って、心に恥ずかしさを思った。
その御子を置いたまま「私は何時までも海の道を通って行き来しましょう。けれどあなた様が覗き見されたので恥ずかしく思います」と申した。
そして海の道の境界を塞ぎ、海の国に帰り、入ってしまった。そこでお生まれになった御子の名を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と言う。
しかしながら覗き見された火遠理命に恨みつつ、恋しい心に耐え切れず、その御子を養育申し上げる縁を頼りに、その妹の玉依毗売に添えて、歌を献上した。
この日子穂々手見命(火遠理命)は高千穂宮で五百八十年間暮らした。御陵は高千穂の山の西にある。
☆鵜葺草葺不合命の説話・ホヲリが故郷に戻っている所に、トヨタマヒメがワタツミ宮殿から訪れてきた。
ホヲリに向って身籠ったことを伝えた。それも陸地で生むためにやってきたと言う。ホヲリは早速、鵜の羽根を使い、産屋を建てたが出来上がる前に産気づいたので、産屋に入ったトヨタマビメはホヲリに言った。
「子供を生むときには元の姿になりますので覗かないでください」ところが出来上がっていない産屋の隙間よりこっそり覗いてしまった。
中を見てホヲリは仰天、のたうちまわる巨大なワニの姿だった。無事生むことが出来たトヨタマビメはホヲリに本当の姿を見られ、恥じらい産屋から出て行きワタツミの宮殿に戻って行ってしまった。
しかし思うは子供の事ばかりで、妹のタマヨリヒメに育ててもらうことになった。
生れて育てられた子供がウガヤフキアヘズである。
ウガヤフキアヘズが成長して、叔母で育ての親のタマヨリヒメと結婚して生まれた御子が、イツセ、イワナ、ミヌケ、ワカミケヌが生まれた。
このワカミケヌが伊波礼毘古命(神倭)である。
ホヲリは(火遠理命)はその後、高千穂宮で五百八十年間暮らされたと言う。
御陵は高千穂の山の西にある。
ヒオリは天孫の御子、その御子は海神の娘と生まれた御子は神の子、産んだ母はワニの姿で出産をした。本来の姿で出産をしたトヨタマヒメは海の国に帰ってしまった。
代わりに母の妹の玉依毗売、その育ての母の妹のタマヨリ姫と結婚し神武天皇に成る神倭伊波礼毗古命である。いわばイワレビコ神武天皇は伯母との間に生まれた天孫になる。
☆鵜葺草葺不合命の系譜説話・
この鵜葺草葺不合命がその叔母の玉依毗売命との結婚で生まれて御子の名は、五瀬命、次に稲冰命、次に御毛沼命、次に若御毛沼命(豊御毛沼命)(神倭伊波礼毗古命)、の四神。御毛沼命は波頭を踏んで常世国に渡られた。稲冰命は亡き母に国ということで、海に入られた。
◇鵜葺草葺不合命から神倭伊波礼毗古神(神武天皇)への引き継ぎは簡単な記述でしかあらわされていない。
◎常世に国=①古代日本民族が、遥か海の彼方にあると想定した国②不老長寿の国。仙郷、蓬莱山、③死人の国。黄泉の国とも思われている。★歴史が綴る、伝統文化を、未来に語る継ぐ。


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『歴史の時々変遷』(全361回)28“坂上田村麻呂の蝦夷征伐” 「坂上田村麻呂の蝦夷征伐」平安時代の武官。名は田村麿とも書く。正三位

2016-12-04 05:23:43 | 古事記が描く説話の憧...
『歴史の時々変遷』(全361回)28“坂上田村麻呂の蝦夷征伐”
「坂上田村麻呂の蝦夷征伐」平安時代の武官。名は田村麿とも書く。正三位、大納言兼右近衛大将兵部卿。勲二等。死後従二位を贈られた。天平宝字2年(758)に坂上苅田麻呂の次男または三男として生まれた。田村麻呂は近衛府に勤仕した。田村麻呂が若年の頃から陸奥国では蝦夷との戦争が激化しており(蝦夷征討)、延暦8年(789)には紀古佐美の率いる官軍が阿弖流為の率いる蝦夷軍に大敗した。田村麻呂はその次の征討軍の準備に加わり、延暦11年(792)に大伴弟麻呂を補佐する征東副使に任じられ、翌延暦12年(793)に軍を進発させた。この戦役については『類聚国史』に「征東副将軍坂上大宿禰田村麿已下蝦夷を征す」とだけあり、田村麻呂は4人の副使の1人ながら中心的な役割を果たしたとされる。延暦15年(796)には陸奥按察使、陸奥守、鎮守将軍を兼任して戦争正面を指揮する官職を全て合わせ、加えて翌延暦16年(797)には桓武天皇により征夷大将軍に任じられた。延暦20年(801)に遠征に出て成功を収め、夷賊(蝦夷)の討伏を報じた。いったん帰京してから翌21年(802)、確保した地域に胆沢城を築くために陸奥に戻り、そこで阿弖流為と盤具公母礼ら500余人の降伏を容れた。田村麻呂は彼らの助命を嘆願したが、京の貴族は反対し、2人を処刑した。延暦22年(803)には志波城を造った。延暦23年(804)に再び征夷大将軍に任命され、3度目の遠征を期した。しかし、藤原緒嗣が「軍事と造作が民の負担になっている」と論じ、桓武天皇がこの意見を認めたため、征夷は中止になった(徳政相論)。田村麻呂は活躍の機会を失ったが、本来は臨時職である征夷大将軍の称号をこの後も身に帯び続けた。戦功によって昇進し、延暦24年(805)には参議に列し、翌年の大同元年(806)に中納言、弘仁元年(810)に大納言になった。この間、大同2年(807)には右近衛大将に任じられた。また、田村麻呂は京都の清水寺を創建したと伝えられ、史実と考えられているが、詳しい事情は様々な伝説があって定かでない。他には大同元年に即位した平城天皇の命により富士山本宮浅間大社を創建している。大同4年(809)に平城天皇が弟の嵯峨天皇へ譲位した後に2人が対立した際、田村麻呂は平城上皇によって平城遷都のための造宮使に任じられた。しかし翌大同5年(弘仁に改元)に発生した薬子の変では嵯峨天皇側に付き、子の広野は近江国の関を封鎖するために派遣され、田村麻呂は美濃道を通って上皇を邀撃する任を与えられた。この時上皇側と疑われ身柄を拘束されていた元同僚の文室綿麻呂を伴うことを願い、許された。平城京から出発した上皇は東国に出て兵を募る予定だったが、嵯峨天皇側の迅速な対応により大和国添上郡越田村で進路を遮られたことを知り、平城京に戻って出家した。上皇の側近の藤原仲成・薬子兄妹も天皇側に処刑、または自殺したことにより対立は天皇の勝利に終わった。変から翌年の弘仁2年(811)1月17日に田村麻呂は外孫の葛井親王の射芸を見物、3日後の20日に中納言藤原葛野麻呂や参議菅野真道らと共に、前年暮より入京していた渤海国の使者を朝集院に招き宴を張る任に当たったという。これが現存資料のうち、田村麻呂生前の公的記録として最後とされる。同年5月23日、54歳で病死した。嵯峨天皇は死を悼み「事を視ざること一日」と喪に服し、一日政務をとらず田村麻呂の業績をたたえる漢詩を作った。死後従二位を贈られた。同日、葬儀が営まれ山城国宇治郡来栖村に葬られた。その際に勅があり「甲冑・兵仗・剣・鉾・弓箭・糠・塩を調へ備へて、合葬せしめ、城の東に向けひつぎを立つ」ように死後も平安京を守護するように埋葬されたという。墓所は現在は京都市山科区の西野山古墓と推定されている。★史跡が教える先人の葛藤と情景に学ぶ教訓。

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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 30、「海幸彦・山幸彦の海宮説話(海佐知と山佐知)」

2016-12-03 04:47:20 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
30、「海幸彦・山幸彦の海宮説話(海佐知と山佐知)」
 ホデリ神は海の魚などを獲って暮らしていた。
またホオリ神は山の動物などを獲って暮らしていた。
そんなある日の事、海幸彦のホオリ神が山幸彦のホデリ神に向かって
「互いに道具を取替えて山・海の仕事を交換しよう」と提案した。
兄のホオリ神は三度言っても受け容れなかった。
それでも言ってきたので兄のホオリ神は交換することに同意をされた。
そこでホデリ神は海の道具を持って魚を釣りになった所、一向に魚は釣れず、その上に釣針を海中に無くされてしまった。
互に成果が上がらず、元通り道具を戻そうと兄のホオリ神が言った時「兄さんの釣針では釣れず、釣針を無くしてしまった」と告げられた。
しかし大切な釣針と言って許さず、責め立てた。仕方なく弟のホデリ神は身に付けている大切な十拳の剣を潰し、五百本の釣針にして差し出された。
けれども兄のホオリ神は受け取らず、釣針千本にしても受けたられなかった。
「あの元の釣針を返せ」と言って許されなかった。
思案と途方に暮れた弟のホデリ神は泣き暮れた。
ある日、海辺に行った時にシオツチ神が来て、「何の分けあって泣いていられるのか」と問われ、ホデリ神は事の次第を打ち明けた。
そこでシオツチ神が「私があなた様に善いように計らいましょう」と言ってシオツチ神は籠の小舟に造った。
その船にホデリ神を乗せると押流し
「しばらくこのままお行きなさい。きっと良い道が有りましょう。そこには魚の鱗(うろこ)のように並び立つ宮殿に着かれるでしょう。宮殿の門に着かれたら近くの井戸の畔のカツラの木の上に来られたら、海の神の娘が来て善きに計らうでしょう」と言った。
ニニギ神はシオツチ神の云う通りに事が進んで行った。
そしてカツラの木の上で下を見ていると、海の神の侍女がやって来て立派な器で水を汲もうとすると、器に映った人影に上を見上げると、端整な青年がいて不思議に思った。
青年のニニギ神は、その侍女を見て「水が欲しい」と言われた。
そこで侍女は水を汲み立派な容器に入れて差し上げた。
すると首飾りの玉を解き口に含み、器に吐き出された。
玉は器にくっついて離れずそのまま、侍女はトヨタマヒメ神に差し出した。
その器を見て侍女に尋ね「誰か門に居るのですか」侍女は事の次第をトヨタマヒメ神に知らせた。
トヨタマヒメ神は不思議に思い、外に出てホデリ神を一目見るなり、目を交わして感じ入り父に申した。
「私たちの宮の門の前に立派な青年がいます」そこで海の神が外に出て見るなり
「この方は天孫の御子である大切にもてなすように」父の海の神は伝えた。
宮殿に招き入れて、アシカの皮を幾重にも敷き詰め、その上に太絹の畳を敷きつめてお坐り頂、飾り立てた品々の台上に御馳走を並べて、そこで娘のトヨタマヒメ神に娶せた。
三年半に及ぶまでホデリ神は住まわれた。
 しかし時折ホデリ神はため息をついて何か思い出されている様子に、トヨタマヒメ神は父に溜息の事を知らせた。
「夫は三年余りお住まいですが、時々溜息をなさいますが、何かわけが有っての事でしょうか」と不安げに父に申した。
そこで海の神はホデリ神にその訳を聞かれた。
そこで兄ホオリ神の釣針を無くし、兄から厳しい責めを受けていることの次第を述べられた。
それを聞いた海の神は、海の大小の全ての生き物を集め訪ねて「もしこのような釣針を取った魚がおるか」と尋ねられた。
すると多くの魚が「このごろ鯛の喉(のど)に小骨が刺る、病気に食事が出来ないと困っております」そこで鯛の喉を調べると喉から釣針が出てきた。
その釣針をホデリ神に献上すると大喜び、しかし海の神はホデリ神に教えて渡された。その釣針には呪文が懸けられていて、兄のホオリ神に渡し方の手解きを受けた。
「この釣針は四種類あります、ぼんやり釣針、よろめき釣針、貧乏釣針、うつけ釣針と言って後ろ向きに渡しなさい。また兄さんが田作りで、低い田を作ると言われたら、あなたは高い田を作りなさい。
そうすれば兄さんは三年の内に貧乏になるでしょう。私は水の支配者です。貧乏を恨んで戦いを挑んでくれば、この玉を出せば潮に溺れるでしょう。
憐れ救い請うならば助けてやり「悩ましく苦しめてやりなさい」そこでホデリ神を地上に送り届けることになった。
そこで全てのワニを集められて「今、天孫の御子を地上に上がられようとしている。誰がどの位の日にちで送り報告できるか」と海神は言った。
それぞれ体格に応じて申す中で一尋ワニが「私なら一日でお送りいたします」と申した。
海の神は「それでは一尋ワニが責任を持って安全に送るように」命じられた。
ホデリ神はそのワニの背に掴まって一日の内に送り届けられた。礼にホデリ神は腰の小刀を与えになり、サヒモチノ神と名付けられた。
帰ってからホデリ神は、海の神の言われる通り進められた。
また海神の言った通りに事が進み、兄のホヲリ神はだんだん貧しくなっていった。
やがて兄は挑発的になって攻撃をしてきたので、言われた通りその時に潮満玉を渡し、溺れた兄は憐れみを請うてきた「今日からあなたを昼も夜も守るものとなってお仕えします」と懇願をしてきた。
説話では、その子孫が九州は隼人であると記されている。

☆海幸彦と山幸彦の海宮説話は海幸彦(火(ほ)照(でり)命(みこと))と山幸彦(火(ほ)遠理(おり)命(みこと))兄弟は、兄海幸彦は海の魚を捕獲して日々の生業として暮らしていた。
弟山幸彦は山で獲物を捕獲して日々の生業として暮らしていた。ある日の事、弟のヒオリが兄のヒデリに海と山の道具を取替え仕事の交替を提案をした。
三度目の提案でやっと承諾をした。そこで兄の釣道具でホオリは魚釣りに専念したが一向に魚が釣れなかった。おまけに大切な釣針を失ってしまった。
兄が戻ってきて「山の獲物も海の獲物も道具があってこそ、元に戻そう」と言ってきた。
兄さんの道具で一尾も釣れず釣針を無くしたことを説明をした。
兄のホデリはこれを許さず責め立てた。弟は十柄の剣を潰し釣針にして弁償したが受けたってもらえず、聞き入れらえなかった。
「あの釣針を返せ」と許されず、浜辺で泣き途方に暮れていると、塩椎神がやって来て、問い尋ねて「何の分けあって泣いているのか」問うた。
兄の釣針を海中に無くしたことを説明した。
シオツチ神はあなたの良い方に計らいましょう。シオツチ神は元来た目の結んだ加護を作り小舟に乗って、教えて「この船に乗せて押します。その道を行くと、魚の鱗のように並び立つ海宮殿に着くでしょう。そこが綿津見神の宮殿です。
そこの門にカツラの木が有って、その木の上がっていられると娘が来て取り計らいましょう」と言った。
しばらくその通りに行くと、シオツチ神の言った通りに木の上で待っていると娘豊玉毗売が来て言葉を交わす内、娘はただの青年ではないと感じ入り、その事を父の海神に「門の前に立派な人がいます」と言った。
そこで海神が「この人は天津日高の御子の虚空津日高おられる」と言って中に案内させて、足かの皮を敷き詰めて太い絹の畳を幾重にも、多くの品々の御馳走を台の上に並べて、また娘のトヨタマ姫を娶わせて三年間も海宮で暮らした。
その後、時々ヒオリ神は思い出してはため息を突く日々に父の海神に話すと父神は「娘が言うに昨夜溜息をつかれるのを聞きましたが何かあるのでしょうか」と尋ねると、そこで兄のヒデリ神の釣針を無くしたことを話した。
事の仔細を知った大神は海の魚の大小を集めて「もし、この中で釣針を取ったものがるか」と尋ねられた。
すると魚たちは最近、鯛が喉に小骨を突き刺して物が食べられないと心配をしております。
そこで鯛の喉を見ると釣針が出てきて取り出し、ホオリに見せて
「この釣針を兄のホデリに見せて、この針はぼんやり針、貧乏針、うつけ針と言って後ろ手で渡しなさい」他に田を作る選択にも低い、高い方を選ばせ水の、大神は支配をしているので必ず貧乏になるように仕組み、それを恨んで戦を仕掛けて来ても潮を満ち溢れる玉を出して溺れさせ、憐れみを請うなら悩ましくしめましょう」と兄のホデリの制裁の方法を授けた。
ホオリが暮らしていた国に送る為に一尋のワニに一日の内にお返ししようと元暮らしていた国に帰された。
言われた通りホオリは兄のホデリに釣針を返された。兄のホデリは日々暮らしが貧乏になって行き、潮の溺れた時は助けてやり、額を地に付けて詫び誤った。
「今後、あなた様に昼も夜もお仕え申します」と言った。
この戦いに敗者となったのがヒデリの子孫が九州隼人と言われている。

☆海幸彦・山幸彦と海宮の説話は古来日本にある伝説、民話が点在する物語の原型になったと言える。
また浦島太郎の竜宮城も海宮に似ていて、これも日本の童話などに大きな影響を与え、東南アジアや世界にはこれによく似た伝説が残されている。
しかし『古事記』の海幸彦と山幸彦の説話はなかなか込み入っている。
海幸彦のホデリ神と山幸彦のホオリ神の話は結果、弟を正しい生き方として描かれている。邪悪な心のホオリ神は最後は制裁を受ける。
『古事記』の場合より複雑に設定されているので、天孫の紆余曲折を、国つ神と天つ神に、天上と地上の意味合いを持たせながらの筋書きはまれに見る傑作である。
敗者の兄のホヲリ神の子孫が九州は隼人となっている。
少なくとも先住民族の隼人に先祖は壮烈な戦いに敗北した。
弟のホデリ神は勝つために強力な協力者がいたと事も考えられる。
勝者が弟で兄が敗者になっているが『古事記』の説話には弟が正当化されているのも特徴である。
この海佐知と山佐知の部分の物語の筋書きが長く解り難い部分で、『古事記』ではさほど重要な部分ではないかもしれないが、日向三代で宮殿と海底の世界とおとぎ話は、中国や東南アジアでの影響から挿入されたか、山の神の大山津見神に対して、海神(わたつみ)の娘の物語など、海と山の生業を登場させている。
海神の国つ神と天孫のニニギ神が婚姻することで融和が図れた。
☆この物語の筋書きは複雑に描かれている。日々の営みを、交代を提案をしたホオリの海の漁でうまく行かず失敗、おまけに大切な釣針を失う。代わりのものにも兄のホデリは許さなかった。
途方に暮れた山幸彦は不思議なホオリはシオツチ神に出会って海宮に誘い込まれシオツチ神の娘と結婚する。しかし兄のホデリの釣鉤未だ見つからず、海宮で尋ね捜して鯛の喉に釣針を発見し、それをホデリの許に持ち帰った。ただし釣針を返す前に呪文をかけてあった。その功が有って兄のホデリ不幸になった話である。
話の展開が海宮のシオツチを巻き込んで、鯛の喉に引っかかった釣針までの展開は古代の話としては優れた説話である。
☆登場者・
◇天孫の迹々(にに)芸(ぎ)命と天孫の御子
◇木花之佐久夜毗売(このはなさくやびめ)は迹々(にに)芸(ぎ)命妻の間に生れた御子は三御子、火(ほ)照(でり)命は(海佐知毗(うみさちび)古(こ))火(ほ)遠(おり)理命は(山佐知毗(やまさちび)古(こ))
◇火(ほ)照(でり)命は=(海佐知毗(うみさちび)古(こ))ニニギ神の子、母はコノハナサクヤ神。弟のホオリ神と幸を変えて、屈服し俳人(わざびと)として宮廷の宮門の守護になった。隼人の始祖とされている。
◇火(ほ)遠(おり)理命=は天孫御子(山佐知毗(やまさちび)古(こ))別名虚空津日高
◇塩椎神=海神、海彦・山彦の場面で登場する。神武天皇が東方に統治に適した土地と奉じた神。
★歴史が綴る、伝統文化を、未来に語る継ぐ。

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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 28・天下り説話 タケミカズチ神の国譲りによって、アメノオシホミミ神

2016-11-29 04:20:00 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
28・天下り説話
タケミカズチ神の国譲りによって、アメノオシホミミ神「今、葦原中国の平定が終わったと報告が有った。委任をしたようにアメノオシホミミ神に葦原中国を統治をしなさい」と命じられた。
指示を受けたアメノオシホミミ神は「自分が天下りをしょうと用意をしている間に子が生まれました。
名はニニギ神と申します。この子に天下りをさせると良いと思います」アメノオシホミミ神は、すでにタカギ神の娘のヨロズトヨアキツシヒメ神と結婚をしていた。
ニニギ神の兄アメノホアカリ神が生まれていたが、弟のニニギ神が選ばれた。
そこでニニギ神に「豊葦原の水穂国に降り統治をしなさい」と命じられた。
そこでニニギ神が降ろうとされた。天上界から天の道の八つ辻の分岐点に立たれ降ろうとされたその時に、下から明かりを照らす神があった。
そこで不審に思ったアマテラス大神とタカギ神が、アメノウズメ神に「なよやかな女神(色気)である、『天孫が降ろうとする道で何をしょうとしているのか』と問うように」と命じられた。
アメノウズメ神に問われた不審な神が答えて「私は国つ神のサルタヒコ神です。ここでお待ちしている理由は、天つ神の天孫が天下れることを聞き、ならば先導しお仕え致したく、お迎えに参った次第です」と申し上げた。
用意が出来て、天降る時に、天の岩戸に使用した五種の首長分け加えて天下った。
“勾玉と鏡、草薙の剣”とまたお供に思金神・手力男神・天石門別神をお付けに成った。
それぞれの神々には、天下りにお祭りをする鎮座する神々に役割を与えた。地上で役割を与えられた神々は、それぞれの地域の氏族の祖先になられた。
そこで天孫のニニギ神には高天原の玉座を離れ、天の八重にたなびく雲を押し分けて、荘厳(そうごん)な御幸の道を歩み、開き進んで行った。
そこで地上を望める天の浮橋に浮島があるので、そこで悠々しく、立たれ、筑紫の日向の国の高千穂の聖なる峰に舞い降りられた。
天下りには、アメノオホシ神とアマツク神の二人が同行し、天上界の堅固な勒を背負い、柄頭が槌状の太刀を身に付けて、天のはじ弓を手に持ち、天の真(ま)鹿児(かご)矢(や)を脇にはそんで、先頭に立って、お仕え申したのである。
天と地の境界線に立たれたニニギ神は「ここより韓の国に向き合い、探し求めて笠紗の岬を通り行き、日差しの射す国、夕日が照り輝く国こそ、吉の地である」と示され、大地の岩盤に柱を太く立て天高く宮殿に千木を立てられた。
天降れたニニギ神はアメノウズメ神に命じて、この天下りに際して先導役を務めたサルタヒコ神に労われ、アメノウズメ神は猿女君として志摩の地に送って行くように命じられた。

☆天下りの説話場面は天上界ら地上に降る光景を描写したものである。
さしずめ天孫の御子ニニギ神が筑紫は日向の高千穂の峰に降った折は、感動的光景である。
二人の供を従えて、武具を持たせて悠然と神々しく荘厳に峰々の頂点に立つ光景はまさしく『古事記』最大の憧憬である。
 タケミカヅチ神の国譲りが成立を受けてアマテラス大神とタカキ神は、今、葦津中国の平定の報告が有ったので、以前に委任をしたアメノオシホミミ神に葦原中国に降るように指示が出された。
指示受けたアメノオシホミミ神は「自分が天下りをしようと支度をしている間に子が生まれました。
名は迹々芸神、この子を降す良いかと思います」とアマテラス大神に進言をした。
この御子はアメノオシホミミ神とタカキ神の娘の万幡豊秋津師比売神と結婚をし、兄の天火明神がいる。その次に生まれた御子が迹々(にに)芸(ぎ)神(かみ)である。
そこで再び迹々(にに)芸(ぎ)神(かみ)に葦原中国へ降ることに委任された。
言葉に従って迹々(にに)芸(ぎ)神(かみ)が天下りをしようとする時に、天の八辻の分岐点に差しかかた時に、上は天上を照らし、下が下界を照らす神がいた。
アマテラス大神とタカキ神がアメノウズメ神に向かって、お前はふくよかな女神である。
不審な神に出会ってもお前の眼力はにらみ勝つ神である。
お前ひとり行き問うべきは『我が子孫が天降ろうとする道に居るのは誰か」と問え』と指示された。
アメノウズメ神は支持された通り問うと、相手は自分を国つ神で、名は猿田毗古神です。
ここに来たわけは、天つ神の御子孫が天降るなされと聞き、先導してして、お仕えしたくて参りました。
先導するサルビコ神が案内役をかってきてくれて一同ここ強い思いで天降ることになった。
アメノコヤネ神・フトダマ神・イシコリドメ神・アメノウズメ神・タマノオヤ神の五神がそれぞれに五の職能を持つ首長を分けて加えて天下りをされた。(五つの職能は各氏族の祖先となった。アメノコヤネ神は中臣連・フトダマ神は忌部首の先祖・アメノウズメ神は猿女君の先祖・イシコリドメ神は鏡造り連の先祖・タマオヤ神は玉祖連の先祖)
そして三種の神器となる、勾玉・鏡・草薙の剣をトコヨオモイカネ神、テジカラオトコ神、アメノイワトワケ神に付けて下された。
アマテラス大神はこの鏡は唯一我が御霊として、我を祭ると同様に祝い祭りなさい。
次にオモイカネ神には今言った事を守り取り仕切り祭事執行しなさい。
ニニギ神とオモイカネ神の二神は伊勢の皇太神宮を拝み祭りなさい。
伊勢神宮の外宮として、渡会に鎮座する神、登(と)由宇(ゆう)気(け)神(かみ)を。宮廷の御門の神は天(あま)石戸(いしど)別(わけ)神(かみ)を。
以上の神々をアマテラス大神は任務と指示命令された。
ニニギ神は高天原の玉座を離れ、天の八重にたなびく雲を押分けて、荘厳な御幸の道を開き進んで、天の浮橋の浮島に立って、そこから筑紫の日向に向かって高千穂の聖なる峰に、お下りになった。この天降りに当たって、天忍日神と天津久米神の二人が同行し、天上界の堅固な勒を背負い、柄頭が槌状の太刀を身に付けて、天のはじ弓を手に持ち、天の真鹿児矢を脇にはそんで、先頭に立って、お仕え申したのである。
天と地の境界の地の山頂に天下ったニニギ神は「ここは韓の国に向き合い、探し求めて笠紗の岬に通り過ぎ、朝日の刺す国、夕日の照輝く国である。この土地も吉の場所である」と仰せになり、太地の岩盤に宮殿の柱を太くして、天空高く宮殿に千木を上げてお住まいになった。
☆猿女君になった天宇受売命
天降られた迹迹芸命は天宇受売命に「この度天降りの先導をつとめ仕えた猿田毗古神について、お前が送りなさい。またその神の御名はお前が受け継ぎお祭りしなさい」と仰せられた。
そこで猿田毗古之男神の名前を継いで、女は猿女君と呼ぶ縁起になった。
☆この猿田毗古神の海鼠(なまこ)についての謂れについて書かれている。
仰せに従って猿田毗古神を送って戻って海の大小に生き物を集めて「お前たちは天つ神の御子孫に仕えいたすかと問われた」多くの魚達は申したが海鼠だけは言わないので、天宇受売命は「この口だな、返事をしない口は」と言って小刀で口を裂いた、だから今でも海鼠の口は避けていると言う説話である。
◎猿田毗古神を無事送り届けて、猿女君の天宇受売は天の岩屋戸の時にも踊り舞い天照大御神を気を引き連れ出す時に大活躍、その役割は行事の祭司のような役目、それが霊能者や祈祷師、大嘗祭、鎮魂祭に進化させていたのではと思われる。猿女の元々の居住地は稗田(奈良県は大和郡山市付近)『古事記』を誦習した稗田阿礼の出身地とされている。天宇受売は稗田阿礼の祖先と言われている。★歴史が伝える伝統文化。未来に語る継ぐ。



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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 27・「葦原中国平定の神々」 天下り活躍した神々、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。国譲り(くにゆずり)ともいう

2016-11-27 04:48:23 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
27・「葦原中国平定の神々」
天下り活躍した神々、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。国譲り(くにゆずり)ともいう。「古事記」では天照大御神ら高天原にいた神々(天津神)は、「葦原中国を統治すべきは、天津神、とりわけ天照大御神の子孫だ」とし、何人かの神を出雲に遣わした。大國主神の子である事代主神(ことしろぬし)・建御名方神(たけみなかた)が天津神に降ると、大国主神も自身の宮殿建設と引き換えに国を譲る。
●天忍穂耳の派遣
天照大御神は、「葦原中国は私の子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(あめのほしおみみ)が治めるべき国だ」と命に天降りを命じたが、命は天の浮橋から下界を覗き、「葦原中国は大変騒がしく、手に負えない」と高天原の天照大御神に報告した。
●天菩比の派遣
高木神(高御産巣日神・たかみむすび)と天照大御神は天の安の河の河原に八百万の神々を集め、どの神を葦原中国に派遣すべきか問うた。思金神(おもいかね)と八百万の神が相談して「天菩比命(あめのほひ)を大国主神の元に派遣するのが良い」という結論になった。高木神と天照大御神は天菩比命に大国主の元へ行くよう命じた。しかし、天菩比命は大国主の家来となり、三年たっても高天原に戻らなかった。
●天若日子の派遣
高木神と天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、八百万の神々と思金神が相談して「天若日子(あめのわかひこ)を遣わすべき」と答えた。そこで、天若日子に天之麻古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)と与えて葦原中国に遣わした。しかし、天若日子は大国主の娘の下照比賣(したてるひめ)と結婚し、自分が葦原中国の王になろうとして八年たっても高天原に戻らなかった。
天照大御神と高木神がまた八百万の神々に、天若日子が戻らないので、いずれの神を使わして理由を訊ねるべきかと問うと、八百万の神々と思金神は「雉(きぎし)の鳴女(なきめ)を遣わすべき」と答えたので、天つ神は、鳴女に、葦原中国の荒ぶる神どもを平定せよと言ったのに、何故八年経ても帰らないのかを、天若日子に聞くように命令した。鳴女は天より下って、天若日子の家の木にとまり理由を問うと、天佐具賣(あまのさぐめ)が「この鳥は鳴き声が不吉だから射殺してしまえ」と天若日子をそそのかした。そこで彼は高木神から与えられた天之麻古弓と天之波波矢で鳴女の胸を射抜き、その矢は高天原の高木神の所まで飛んで行った。
高木神は血が付いていたその矢を、天若日子に与えた天之波波矢であると諸神に示して、「天若日子の勅(みことのり)に別状無くて、悪い神を射た矢が飛んで来たのなら、この矢は天若日子に当たるな。もし天若日子に邪心あれば、この矢に当たれ」と言って、天之波波矢を下界に投げ返した。矢は天若日子の胸を射抜き、彼は死んでしまった。鳴女も高天原へ帰らなかった。
●天若日子の葬儀
天若日子の死を嘆く下照比賣の泣き声を、天にいる天若日子の父天津國玉神や母が聞き、下界に降りて悲しみ喪屋をつくった。阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこね)が弔いに訪れた時、天若日子によく似ていたため、天若日子の父と母が「我が子は死なないで、生きていた」と言って阿遅志貴高日子根神に抱きついた。すると阿遅志貴高日子根神は「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、剣で喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。この喪屋が美濃国の喪山である。阿遅志貴高日子根神の妹の高比賣命は、歌を詠んだ。
●建御雷の派遣
天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、思金神と八百万の神々は、「稜威雄走神(いつのおはばり)か、その子の建御雷神(たけみかづち)を遣わすべき」と答えた。天之尾羽張(あめのおはばり)は「建御雷神を遣わすべき」と答えたので、建御雷神に天鳥船神(あめのとりふね)を副えて葦原中国に遣わした。
●事代主の服従
建御雷神と天鳥船神は、出雲国伊那佐の小濱に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主に「この国は我が御子が治めるべきだと天照大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と訊ねた。大国主神は、自分の前に息子の事代主神に訊ねるよう言った。事代主神は「承知した」と答えると、船を踏み傾け、逆手を打って青柴垣に化え、その中に隠れた。
●建御名方の服従
建御雷神が「事代主神は承知したが、他に意見を言う子はいるか」と大国主に訊ねると、大国主はもう一人の息子の建御名方神にも訊くよう言った。その間に建御名方神がやって来て、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」と建御雷神の手を掴んだ。すると、建御雷神は手をつららに変化させ、さらに剣に変化させた。逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、葦の若葉を摘むように握りつぶして投げつけたので、建御名方神は逃げ出した。建御雷神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海(諏訪湖)まで追いつめた。建御名方神は逃げきれないと思い、「この地から出ないし、大国主神や事代主神が言った通りだ。葦原の国は神子に奉るから殺さないでくれ」と言った。
●大国主の国譲り
建御雷神は出雲に戻り、大国主神に再度訊ねた。大国主神は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神たちは、事代主神に従って天津神に背かないだろう」と言った。大国主神は出雲国の多藝志(たぎし)の小濱に宮殿を建てて、たくさんの料理を奉った。建御雷神は葦原中国平定をなし終え、高天原に復命した。★歴史が伝える伝統文化。未来に語る継ぐ。

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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 27・「葦原中国平定の神々」 天下り活躍した神々、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。国譲り(くにゆずり)ともいう

2016-11-27 04:48:23 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
27・「葦原中国平定の神々」
天下り活躍した神々、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。国譲り(くにゆずり)ともいう。「古事記」では天照大御神ら高天原にいた神々(天津神)は、「葦原中国を統治すべきは、天津神、とりわけ天照大御神の子孫だ」とし、何人かの神を出雲に遣わした。大國主神の子である事代主神(ことしろぬし)・建御名方神(たけみなかた)が天津神に降ると、大国主神も自身の宮殿建設と引き換えに国を譲る。
●天忍穂耳の派遣
天照大御神は、「葦原中国は私の子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(あめのほしおみみ)が治めるべき国だ」と命に天降りを命じたが、命は天の浮橋から下界を覗き、「葦原中国は大変騒がしく、手に負えない」と高天原の天照大御神に報告した。
●天菩比の派遣
高木神(高御産巣日神・たかみむすび)と天照大御神は天の安の河の河原に八百万の神々を集め、どの神を葦原中国に派遣すべきか問うた。思金神(おもいかね)と八百万の神が相談して「天菩比命(あめのほひ)を大国主神の元に派遣するのが良い」という結論になった。高木神と天照大御神は天菩比命に大国主の元へ行くよう命じた。しかし、天菩比命は大国主の家来となり、三年たっても高天原に戻らなかった。
●天若日子の派遣
高木神と天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、八百万の神々と思金神が相談して「天若日子(あめのわかひこ)を遣わすべき」と答えた。そこで、天若日子に天之麻古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)と与えて葦原中国に遣わした。しかし、天若日子は大国主の娘の下照比賣(したてるひめ)と結婚し、自分が葦原中国の王になろうとして八年たっても高天原に戻らなかった。
天照大御神と高木神がまた八百万の神々に、天若日子が戻らないので、いずれの神を使わして理由を訊ねるべきかと問うと、八百万の神々と思金神は「雉(きぎし)の鳴女(なきめ)を遣わすべき」と答えたので、天つ神は、鳴女に、葦原中国の荒ぶる神どもを平定せよと言ったのに、何故八年経ても帰らないのかを、天若日子に聞くように命令した。鳴女は天より下って、天若日子の家の木にとまり理由を問うと、天佐具賣(あまのさぐめ)が「この鳥は鳴き声が不吉だから射殺してしまえ」と天若日子をそそのかした。そこで彼は高木神から与えられた天之麻古弓と天之波波矢で鳴女の胸を射抜き、その矢は高天原の高木神の所まで飛んで行った。
高木神は血が付いていたその矢を、天若日子に与えた天之波波矢であると諸神に示して、「天若日子の勅(みことのり)に別状無くて、悪い神を射た矢が飛んで来たのなら、この矢は天若日子に当たるな。もし天若日子に邪心あれば、この矢に当たれ」と言って、天之波波矢を下界に投げ返した。矢は天若日子の胸を射抜き、彼は死んでしまった。鳴女も高天原へ帰らなかった。
●天若日子の葬儀
天若日子の死を嘆く下照比賣の泣き声を、天にいる天若日子の父天津國玉神や母が聞き、下界に降りて悲しみ喪屋をつくった。阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこね)が弔いに訪れた時、天若日子によく似ていたため、天若日子の父と母が「我が子は死なないで、生きていた」と言って阿遅志貴高日子根神に抱きついた。すると阿遅志貴高日子根神は「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、剣で喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。この喪屋が美濃国の喪山である。阿遅志貴高日子根神の妹の高比賣命は、歌を詠んだ。
●建御雷の派遣
天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、思金神と八百万の神々は、「稜威雄走神(いつのおはばり)か、その子の建御雷神(たけみかづち)を遣わすべき」と答えた。天之尾羽張(あめのおはばり)は「建御雷神を遣わすべき」と答えたので、建御雷神に天鳥船神(あめのとりふね)を副えて葦原中国に遣わした。
●事代主の服従
建御雷神と天鳥船神は、出雲国伊那佐の小濱に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主に「この国は我が御子が治めるべきだと天照大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と訊ねた。大国主神は、自分の前に息子の事代主神に訊ねるよう言った。事代主神は「承知した」と答えると、船を踏み傾け、逆手を打って青柴垣に化え、その中に隠れた。
●建御名方の服従
建御雷神が「事代主神は承知したが、他に意見を言う子はいるか」と大国主に訊ねると、大国主はもう一人の息子の建御名方神にも訊くよう言った。その間に建御名方神がやって来て、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」と建御雷神の手を掴んだ。すると、建御雷神は手をつららに変化させ、さらに剣に変化させた。逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、葦の若葉を摘むように握りつぶして投げつけたので、建御名方神は逃げ出した。建御雷神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海(諏訪湖)まで追いつめた。建御名方神は逃げきれないと思い、「この地から出ないし、大国主神や事代主神が言った通りだ。葦原の国は神子に奉るから殺さないでくれ」と言った。
●大国主の国譲り
建御雷神は出雲に戻り、大国主神に再度訊ねた。大国主神は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神たちは、事代主神に従って天津神に背かないだろう」と言った。大国主神は出雲国の多藝志(たぎし)の小濱に宮殿を建てて、たくさんの料理を奉った。建御雷神は葦原中国平定をなし終え、高天原に復命した。★歴史が伝える伝統文化。未来に語る継ぐ。

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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 26・、国譲くにゆずり説話 天あま若わか日子ひこの派遣はけん

2016-11-25 04:29:17 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
26・、国譲(くにゆず)り説話
天(あま)若(わか)日子(ひこ)の派遣(はけん)も旨くいかなかったので、アマテラス大神は次にどの神を派遣すればよいか、またもや思金神が「天の安河の上流の石屋に住まいの天(あめの)尾羽(おは)張(はり)神(かみ)を遣わすがよろしいかと思います。
またこの神が行けない場合、子の建御雷之男(たけみかづちおの)神(かみ)を遣わすがよろしいかと思われます」と答えた。
所が、天尾羽張神が安河の水位を上げて通行止めをしており、特に天迦(あめのか)久(く)神(かみ)を派遣して尋ねるがよいと分かった。
そこで天迦久神を派遣して天尾羽張神にお問になられた。
「恐れ多い事でありあます。お受けいたしますが葦原中国への道には我が子の建御雷神を遣わしてください」と申し直ちにタケミカヅチ神を進言申し上げた。
そこでアマテラス大神は天(あめ)鳥(とり)船(ふね)神(かみ)をタケミカヅチ神に付けて葦原中国に派遣をされた。
こうして二神は出雲の国の伊耶(いざ)佐(さ)の海辺に舞い降りた、タケミカヅチ神は十掬(とつか)の剣を抜き波頭を刺し立てて、その剣の刃先にあぐらをかき座って、葦原中国のオオクニヌシ神に問いただした。
「私はアマテラス大神とトタカキ神の仰せで、あなたに問うべく使者として遣わされた。そなたらが占有している葦原中国は、もともと我らの子孫が統治すべき国として委任された。その事につきそなたの真意を聞きたい」と言った。
所がオオクニヌシ神の返事は「私は申すまい、我子の八(や)重言代(えことしろ)主(ぬし)神(かみ)が返事を申すでしょう。
息子は鳥や魚の猟に美保の岬に行って、まだ帰ってはおりません」そこでタケミカヅチ神はトリフネ神を遣わして、八重言代主神を呼び寄せて、問い詰めた所、コトシロヌシ神は父のオオクニヌシ神に語って「恐れ多いことで、この国は天つ神の御子孫に献上致しましょう」と言った。
そうして乗ってきた船を踏み傾けて、天の逆手と言う拍手をすると、船は一瞬にして青い柴垣に変わって、その中に隠れてしまった。
再びオオクニヌシ神に向かって「今、そなたの子のコトシロヌシ神は、このように申したが他に申すべき子がいるのか」問うと「もう一人建(たけ)御名方(みなかた)神(かみ)がおります」と申した。
交渉をしている所にタケミナカタ神が千人力で引くほどの岩を手先で持ち上げてやって来た。
「誰なのか、我が国にひそひそ話をするものは。それでは力比べをしよう」と言ってタケミナカタ神がタケミカヅチ神の手を取ったとたんに、握らせたタケミカヅチ神の手が氷柱に変え、剣の刃先に変えた。
これを見て恐れをなして後ろに下がった。
今度はタケミカヅチ神がタケミカナタ神の手を握ろうと引き寄せ握ると葦(あし)を握りつぶすようにして投げ飛ばした。
驚いたタケミカナタ神は逃げ去ってしまった。
そこでタケミカヅチ神は追って追って信濃国は諏訪の湖にまで追いつめた。そして殺そうとした時、タケミカナタ神は「あなたは恐ろしい方だ、私を殺さないで下さい。自分はこの地以外に場所には行きません。父上のお言葉に背くことはしません。八重事代主神の言葉に背きません」そして「葦原中国の天つ神の御子に献上致します」と申した。
タケミカヅチ神は再び出雲国に帰ってきた。
オオクニヌシ神に向かって「そなたの子供たちコトシロヌシ神とタケミカナタ神の二神は天つ神の御子に従って相反しないと申した。そなたはどうか」と問うた。
「私の子の二神が申した通り、私も相違ございません。葦原中国を献上致します。
ただ私の住まいとしては、天つ神の子孫が天つ日継を受け、統治なさる立派な宮殿そのままに大地に太く岩盤に柱を太く立て、天空に千木を高々と上げてお作り下さいるならば、私は道の曲り数多くの果てに隠れましょう。
また私の眷属の神どもは八重事代主神が後尾を守り、先頭にお仕えするならば背くことはございません」と言った。
こうして出雲の国の多芸志の小浜に、オオクニヌシ神のための宮殿天の御舎を造って、水戸の神の孫の櫛八玉神を料理人として、天の御馳走を奉る時に祝言をして、櫛(くし)八玉(やたま)神(かみ)は鵜に姿を変えて、海に潜り、海底の埴土をくわえて、その土で天の平瓮(ひらか)という容器を作り、海藻の茎を切り取り、火を切り取る臼を作り、火を切りだして言う言葉はこうである。
“私が切り出した火は、高天原の神産(かみさん)巣(す)日(ひ)御祖(みそ)命(みこと)の立派な宮殿のように、オオクニヌシ神の宮殿も天上界の新宮殿でするように、「すす」が長々と垂れさがるまで樹木を焼き、祓(はら)をし、宮殿を支える柱は、大地深く岩盤にまで叩き込み、宮殿の楮の縄は千尋(ちひろ)の縄を打ちのばし結び固め、延縄(はえなわ)漁(りょう)で釣り上げた口の大きく、尾ひれが翼のように鱸をわざわざと引き寄せ、打つ竹のしなるほど鱸(すずき)をしとめて、天の魚料理を奉ります。“
こうしてオオクニヌシ神はこの宮殿に鎮座し祭りを受け容れたので、タケミカヅチ神は天に帰り天つ神の許に参上し、葦原中国の平定するまで、経緯を説明申し上げた。

☆国譲りの説話の場面は、変化に富んで天の安と出雲国の様子を描いている。
最初に派遣されたアマワカヒコ神のオオクニヌシ神の交渉は悉く失敗し、オオクニヌシ神の真意をただすことはできなかった。
そこで安の河の上流の天(あめの)尾羽(おは)張(はり)神(かみ)と建御雷之男(たけみかづちおの)神(かみ)の親子に白羽の矢が立った。快く引き受けた親子は息子のタケミカヅチ神が選ばれた。同行する神にアマトリフネ神が決まった。
場面は出雲国は伊耶佐の海浜で有名な光景、タケミカヅチ神が剣の刃先を上に向けてその先にあぐらをかいて座する姿である。
そこでオオクニヌシ神に向かって直談判をする。自分は天つ国のアマテラス大神とタカキ神の遣いで葦津中国は天つ神の御子が統治するとこで、その御子に委任されたのでオオクニヌシ神の真意を聞きたいと迫った。
そこであっさり国譲りを認めたが、二人の息子達にも聞いてほしいと返事をした。
上の息子八重事代主神は出かけていたので、トリフネ神に呼び戻し国譲りの事を打診、このコトシロヌシ神も承諾したが、この時の所作が乗ってきた船の上で天の逆手と言う拍手をした。
その直後に船は瞬間に青い柴垣と化しその中に隠れてしまった。
兄と思われるコトシロヌシ神は気弱に、タケミカヅチ神はあっさり、要求を承諾をした。
しかも青い柴垣に隠れてしまった。
次にタケミカヅチ神は次の息子は何処にいるかの問いに、すでにタケミカヅチ神の面前にタケミカナタ神が千人力で引くほどの大岩を手先に持ち上げてやって来た。
国譲りの事では力比べで決しよう提案してきた。そしてタケミカナタ神はタケミカヅチ神の手を握って来た、するとその手が氷柱に変え、剣に変えた。
代わってタケミカヅチ神が手を取ろうとすると後ずさりをしたが、その瞬間、葦の掴むようにして投げ飛ばした。
タケミカナタ神は逃げ去った。そこで追って追って信濃国は諏訪湖まで追いつめて行った。
タケミカナタ神は懇願し「どうか私を殺さないでください。決してこの地より外に出ません。父兄の考えに背きません」と約束をしたので許した。
タケミカナタ神とタケミカヅチ神の腕力の差は歴然であった。
しかも出雲に戻らずに逃げた土地に住み続ける約束までした。
元の出雲国に帰って、再びオオクニヌシ神に「息子二人も献上する約束をしたがそなたの真意はどうか」と尋ねた。
そこでオオクニヌシ神は国譲りには条件を出して約束を求めた。
天つ神の子孫が引き継に、代々それを受け継ぎ統治される立派な宮殿をオオクニヌシ神の住まいの宮殿を建て、その宮殿については高く、太い柱を地中深く突き立て、天空に高々と千木を上げてくれるなら私は道の曲がり角に隠れましょう。
これに対して天つ神の約束として出雲国の多芸志の小浜に宮殿を造り、立派な料理御馳走を用意し、天上 界の宮殿のように、「すす」がたまって垂れさがるまで、長く住めるような宮殿を用意しましょう。
この要求を受け容れられてオオクニヌシ神は宮殿に鎮座した。
この一部始終をタケミカヅチ神は天つ神に報告をしたのである。

☆国譲りの説話でオオクニヌシ神が天つ神の子孫の御子に献上する条件はきめ細やかに示された。その偉容を物語る伝説民話に「雲太・和二・京三」と並べた句が残っている。一位に出雲大社、二位に東大寺、三位に平安京大極殿と言う。二位と東大寺が高さ四十七メートル、それ以上となる出雲大社は近年発掘調査で直径三メートルの巨大な柱の痕跡が発見された。★歴史が伝える伝統文化。未来に語る継ぐ。


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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 25・天菩比あめのほひ神かみと天あめ若わか日子ひこの派遣はけんの説話

2016-11-23 04:30:42 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
25・天菩比(あめのほひ)神(かみ)と天(あめ)若(わか)日子(ひこ)の派遣(はけん)の説話
天上界ではアマテラス大神が「豊(とよ)葦原(あしはら)の千秋の長五百秋の水穂の国は,我御子天(あま)忍(おし)穂(ほ)耳(みみ)命(みこと)が統治する国である」と言って、天忍穂耳命を委任された。
そこで天忍穂耳命は天の浮橋に立って「豊(とよ)葦原(あしはら)の水穂の国はたいそう賑わいている」と言われて、天に帰られて、その事情をアマテラス大神に報告された。
そこでアマテラス大神とタカミムスヒ神の仰せによって天の安河(やすかわ)に神々を集めて、思金神に思い計らせて「この葦原中国は我ら御子の統治する委任された国であるが、所がこの国、強暴で荒ぶれたる神どもが多くいるようであるが、御子の統治の前にいかなる神を派遣したものか」と提案された。
そこで神々が相談をして「天菩比(あまほひの)神(かみ)を遣わすがよろしいかと思います」と申した。
そこで天菩比神が遣わされた。
所が三年経ってもオオクニヌシに諂(へつら)って報告もしてこなかった。
そこでまた思金神が「天津国玉神の子、天若日子を派遣しましょう」と派遣をした。
派遣にあたって持ち物に天の麻迦(まか)古弓(こゆみ)と波々(はは)矢(や)を与えられた。
下界に降るとすぐにオオクニヌシ神の所に参って娘の下照比売と結婚し、その国を自分の物にしようと企てた。
そして八年も経っても報告もしてこなかった。
アマテラス大神とタカミムスヒ神は天上の神々に尋ねられ「天若日子は長い間、返事をしてこない。さらにどのような神を派遣をし、天若日子に報告の無いことを問いただすべきか」
そこで思金神はそれでは「雉子(きじ)の、名は鳴女を遣わすがよろしいかと思います」
アマテラス大神とタカミムスヒ神は鳴女に「地上界に居る天若日子に葦津中国に行ったのは何のため
かと,荒ぶる神どもを平定するための使命と報告をしないことに,訊問をしてくるように」と指示を与えられた。
そこで雉子の鳴女は天から舞い降り、天若日子の家の門のユツ桂木(かつらき)の上にとまって、指示された文言を伝えた。
すると天の佐具売(さぐめ)と言う女がこの鳥の言葉を聞いて「この鳥鳴き声が禍禍(まがまが)しい。どうぞ射殺をしておしまい」と告口をした。
聞くと直ぐに天若日子は天つ神とり賜った、波士(はじ)弓(み)と加久(かく)矢(や)を手に取って雉を射殺をした。
その矢は雉の胸板を貫き通し、天上に向かって飛んで行き、天の安河の河原におられたアマテラス大神とタカキ神(タカミムスヒ神)の所まで飛んで行った。
タカキ神は手に取って見ると矢に血がついていた。またこの矢は天若日子に与えたものである。
神々に見せて「もし天若日子が命令を誤ることなく悪神を射るために放った矢であるなら天若日子に命中することなかれ、もし、謀反の心あらば天若日子に禍いあれ」と言って、その矢を手に持ち、元来た穴から突き帰された。
朝になって寝ている天若日子の胸板を突きぬき死んだ。
このことで天若日子の妻下照比売の泣き叫ぶ声が風と共に共鳴し天まで届き、天若日子の父親と天津国玉神と天若日子の妻が聞き天上界より舞い降りて来て泣き叫び悲しみ葬儀を行った。
雁が食物を供える役を、鷺は掃除をし、清める役、雀は碓を突く女の役、雉は鳴き女役、この様に八日八夜わたり歌い踊り葬儀を執り行った。
葬儀の弔問に阿遅(あぢ)志紀(しき)高日子(たかひこ)根(ね)神(かみ)がやって来た、所が葬儀の場所にいたみんなが驚いた。
誰が見ても死んだはずの天若日子そっくり、瓜二つ、一同錯覚をして「我が子は死なずに生きていた」「我が夫は死なずに生きていらっしゃる」と手足にすがって大声で泣いた。この二人の神は容姿が似ていて間違ってしまった。
そこで阿遅(あぢ)志紀(しき)高日子(たかひこ)根(ね)神(かみ)は縁起でもない。
死人に間違われてひどく怒った「自分は友人だから弔問に来たのに、どうして穢(けがれ)らしい」と腰に付けていた十柄の剣を抜いて葬儀の殯屋(もがりや)を切倒して、足で蹴っ飛ばし天若日子の葬儀を台無しにしてしまった。
これも天津神アマテラス大神の命に背いた天罰だったのだろう。

☆天菩比(あめのほひ)神(かみ)と天(あめ)若(わか)日子(ひこ)の派遣(はけん)の説話の場面は天上界から地上界への派遣使者の説話である。
この説話は実に複雑に起伏に富んだ筋書、鳥も一役買った活躍するように描かれて面白い説話である。
『古事記』には天上と地上との直接やり取りは、熊野編で八咫(やた)烏(がらす)と剣が天上から投げ下ろされる場面の二回ある。
第一回目の派遣された使者はアマテラス大神の御子のアメノホヒカミ神である。所がそっと天の浮橋に立って下界の騒々しいさまを見て、オオクニヌシ神に交渉の使者の派遣を神々によって協議した。
最初に派遣されることになった天菩比(あまほひ)神(かみ)はオオクニヌシ神に媚びへつらい三年経っても天上界に報告に帰ってくることが無かった。
そこで思金神ら神々は天(あま)若(わか)日子(ひこ)を遣わすことになった。今度は武器を与えて地上界に下った。アマヒコ神は着くと直ぐにオオクニヌシ神の娘下照比売と結婚し地上界を自分の物しようと企て八年経っても報告に戻って来なかった。
ここに遣いを鳥の雉子(きじ)の名は鳴女を口上をしっかりと覚えさせ地上に遣わせた。
鳴女はアマワカヒコ神の門の桂の木に留まって一語違わず荒々しい神どもを平定する役目を果たさず八年も報告をしないのかと訊問をした。
すると天の佐具売と言う女がアマワカヒコ神に語って「この鳥鳴き声が喧しく騒がしい。どうぞ波士弓と加久矢で射殺するように進言をした。
すかさずアマワカヒコ神は雉に向かって弓を射った、するとその矢は雉の胸板を射ぬき天上に向かって生きよい良く飛び天の安河の河原にいるアマテラス大神とタカキ神の所まで飛んで行った。
タカキ神がその矢を手に取ってみると血がついていた。しかもその矢は地上界に派遣をした折にアマワカヒコ神に授けたものであった。
神々にその矢を見せて再び野に呪文を賭けるように「アマワカヒコが命令通り悪神を討つために放った矢であるならば、アマワカヒコ神に命中するなかれ、もし謀反の心あるならアマワカヒコ神に禍あれ」と言って、その矢を手に持って、矢が来た穴から突き下された。
翌朝寝床に寝ていたアマワカヒコ神の胸板に命中し死んだ。
このアマワカヒコ神の死によって妻の下照比売の泣き叫ぶ声が天上まで届いたと言う。これを聞いた天上の妻と子,アマワカヒコ神の父親のアマツクニタマ神も、地上界に降って泣き叫び悲しんだ。
その場に殯屋を作り葬儀の用意をした。
鳥たちに役割を与え、雁に食物を供える役目、鷺に箒で掃き清める役目、翡翠(かわせみ)に調理をする役目、雀に碓を突く役目、雉に鳴き女の役目、葬儀は式次第の予定通り進んでいると、弔問に阿遅志紀高日子根神がやって来た。
天上界からも親子知人の神々が弔っていた所に、全く瓜二つでよく似て見間違う程の阿遅志紀高日子根神を見て「我が子は死なずに生きていた」「我が夫は死なずに生きていた」と手足にすがって大声で泣いたが容姿のそっくりの神であったことが判明し、阿遅志紀高日子根神はひどく怒って「自分は親しい友人、縁起でもない死人と間違えられ穢らわしい」と言って腰に付けていた十柄の剣を抜いて葬儀の殯屋を切倒し蹴っ飛ばしてしまう。
こうして最初の地上界の国譲りは失敗に終わった。
☆アマワカヒコ神とアマホヒ神の地上界への派遣は失敗、使いの雉まで討たれた。
最初に派遣されたアマホヒ神の消息は記述にはないが、オオクニヌシ神も強かで次々に派遣された使者を手懐けてしまい、アマホヒ神は三年間天上に報告をさせなかった。アマワカヒコ神に至っては自分の娘下照比売を与えて取り込んでしまう。
雉の使いではアマワカヒコ神は天罰が「返り矢」に射られて死んでしまう。
その時の様子をまるで人間界のように葬儀を行い、しかも天上界、地上界を行き来する光景は距離感がない。
天津国の天孫の地上界攻略はオオクニヌシ神の勝利に終わった。
☆諺に「返り矢」の起源にある。あの雉は帰らない「雉の頓(ひた)使い」と言われている。★歴史が伝える伝統文化。未来に語る継ぐ。


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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 24・「国作りの説話」

2016-11-21 04:26:23 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
24・「国作りの説話」
少名毗古那神と御諸山の神、大物主神の国作り
オオクニヌシ神が出雲の美保(みほ)岬(みさき)に行き国作りをしていた所、波頭を伝わり、蔓草のガガイモ(薬用になる多年草)
実を船にして小鳥のミソサザイ(雀科の小さな鳥)の羽毛を衣にまとい近寄ってくる神がいた。
名前を聞くが答えない神に廻りも神に聞いても分らず、ヒキ蛙が来て答えて「この者はクエビコ(案山子)が知っているでしょう」と言った。
そこでクエビコを呼んで尋ねると「カンミムスヒコ神の御子のスクナビコ神です」と答えた。天上界のカンムスヒコ神に問い申した所「これはまさしく我子、子供たちの中でスクナヒコは私の手からこぼれ落ちた子です。
だからオオクニヌシ神と兄弟になって一緒に国作りをしなさい」と言われ以後二人で国作りに勤しまれた。
☆国作り説話・大国主神が出雲国の美保岬で国作りをしていると、波頭に伝って羅摩船に乗って、小鳥の羽根をまとい近寄ってくる神があった。
その神の名を誰に聞いても分らず、蟾蜍(ひきがえる)が言うにカカシノクエビコが知っているでしょうと答えた。そこでクエビコは答えて「これは神産巣日神の御子の少名毗古神です」と申した。そこで大国主神が御母の神産巣日神に申しに天上界に送り上げた。
答えて「これは私の御子です、手の指の間から漏れ落ちた御子です。蘆原色許男神(大国主神)と兄弟になって、国作りを固めなさい」そこで大国主神と少名毗古那神の二神は一緒にこの国の国作りを始めた。
その後、少名毗古那神は常世国に去って行った。大国主神は一人で途方に暮れていると。その時に海の彼方から光照らしながら近寄る神があった。
私を十分に祀るなら、国作りは成功するでしょう、」大国主神は「お祭りするにはどうすれば良いのですか」と尋ねると「私を倭の青々とした垣を成す東側の山の上に祀りなさい」と言った。
これが御諸山の上に鎮座する神である。そ
の神が山を御神体とするオホモノヌシ神であった。(奈良大神神社)
☆国作りの説話の場面は国つ神の役割、スサノヲ神からオオクニヌシ神に引き継がれ、自分によく似た謎の神が一緒に国造りを手伝ってくれる。
それが海の彼方からやってくる設定である。神産巣日神の子で体が小さいが俊敏、医薬・まじないの神と言われている。
☆国作りの説話・オオクニヌシ神の国造りは一人で諸国を平定していた。
そんな時に現れた協力者は少名毗古那神であるが、自分について語らず、ヒキガエルと案山子が代弁し、天上界に居る、神産巣日神の御子であると教える。
神産巣日神は別天津神の五神の一人、オオクニヌシ神が根之堅洲国でスサノヲ神の試練の時に、八十神に逆襲にも助けを出したのが神産巣日神であった。別天津神の一神の国津神は国津神のオオクニヌ神を支え続けるのである。 
二番目の協力者は一人の神が海を輝かせオオクニヌシ神のもとにやってきたのである。
その神の言うのには、自分は大和の東の山の頂に祀れば、一諸に国造りをしよう。
オオクニヌシ神は早速大和は御諸山に(三輪神社)祀った。こうして第二の協力者を得て国作りは終えた。 
◎常世の国に渡ってしまったと言われる少名毗古那神は農耕神クエビコは今では山田の案山子であり、一本足で歩けないが悉くこの世の事を知っていると伝えられている。スクナビコナ神は『伯耆風土記』や『日本書記』には粟が実った時、粟茎にはじかれて「常世の国」に渡ったとされ、『播磨風土記』にも大国主神と少名毗古那神の興味深い説話が記されているという。
大物主神と大国主神と同一神格とさているが、別神とする方が、説明がつきやすい。

 




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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 23・「根之堅洲国」

2016-11-19 04:33:12 | 古事記が描く説話の憧...

『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
23・「根之堅洲国」
「根之堅洲国」の試練はスサノヲが我子のオオクニヌシへ神の試練によって国作り神としての資格を認めたもので、スサノヲ神の後継者としてのお墨付きを当てたものとして、情愛の有る試練の場面である。また根之堅洲国の入り口として出雲の国の比良坂まで追いかけてくる場面は、黄泉の国と同一視される所以であるが、あくまでも黄泉の国は死後の世界と考えた方が理屈に合い、根之堅洲国は地底の国ととらえた方が理解がし易い。そして根之堅洲国の主がスサノヲ神と考え、今もスサノヲ神が地底の国に住み続けているとすれば時限を超えて存在している。
●根の国(ねのくに)は、日本神話に登場する異界である。『古事記』では「根之堅州國」(ねのかたすくに)・「底根國」(そこつねのくに)、『日本書紀』では根国(ねのくに)、祝詞では根の国底の国(ねのくにそこのくに)・底根の国(そこねのくに)と書かれる。根の国は、その入口を黄泉の国と同じ黄泉平坂(よもつひらさか)としている記述が『古事記』にあり(大国主の神話)、一般には根の国と黄泉の国は同じものと考えられている。しかし六月晦の大祓の祝詞では根の国は地下ではなく海の彼方または海の底にある国としている。柳田國男は、根の国の「ネ」は琉球の他界信仰である「ニライカナイ」と同じものであるとし、それに「根」の字が宛てられたために地下にあるとされるように変化したとしている[2]。また、高天原も根の国も元は葦原中国と水平の位置にあったのが、高天原を天上に置いたために根の国は地下にあるとされるようになったとする説もある。いずれにしても、根の国が地下にあるとされたことで、それが死者の国である黄泉の国と同一視されるようになった。祝詞においては、罪穢れは根の国に押し流すとしていたり、悪霊邪鬼の根源とされたりしている。逆に、『古事記』では大国主が王権の根拠となる刀・弓矢・琴を根の国から持ち帰っていたり、スサノオが根の国を「妣(はは)の国」と呼んでいたりする。これらのことから、根の国は正と負両方の性格を持った世界と捉えられていたと考えられる。柳田國男は根の国が「ニライカナイ」と同根であるとの考えから、根の国は本来は生命や富の根源の地(=根の国)であり、本来は明るいイメージの世界だったとしている。根の国のあった場所は言うまでもなく地下であるという主張もあるが、一方で古くから神話を現実的に解釈し、地上のどこかに当てる説が行われた。その場合、イザナミやスサノオと縁の深い出雲国に入口があるとする説がある。特に、夜見(よみ)という地名のある鳥取県米子市と、黄泉平坂の比定地のある島根県松江市の間の島根県安来市には、古事記にも「出雲国と伯耆国の堺の比婆山」と記されたイザナミのものと伝えられる御神陵があることからこの出雲東部一帯が根の国とする説が安本美典著『邪馬台国と出雲神話』]では述べられている。また、大国主が根の国へ行く前に「木の国」へ行ったとの記述が神話にあることから、紀伊国、特にスサノオとの縁が深い熊野であるとする説もある。『日本書紀』の一書にイザナミが熊野に葬られたとの記述もあるように、熊野もまた古来より他界信仰の霊地であった。ただし、出雲説を支持する立場からは、「根」からの連想で「木」を持ち出しただけであるとする反論もある。
★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。
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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 22、大国主神の試練の説話

2016-11-17 04:21:58 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
22、大国主神の試練の説話
オオクヌシ神が八十神たちの意中のヤカミヒメを娶ること知った大勢の八十神の神々は、オオクニヌシ神を殺そうと計画、伯(ほう)岐(き)国(くに)の手間の山にオオクニヌシ神を連れて行き「この山に赤い猪(いのしし)がいる。我らが上から追い落とすので下で待ち受けて捕えよ、もし捕えなければお前を殺す」と言って、大きな石を火に焼き転がり落とした。
この時オオクニヌシ神は知らずに焼かれて熱を持った石を捕えて火傷で死んでしまった。
これを知った御母は声を上げ悲しん直ちに天上界に参上しカンムスヒノ神にお願いを申し上げた。
するとキサカイヒメとウムカイヒメ(貝の神)を遣わして貝の粉を集め、自信の貝殻に入れて貝汁に入れオオクニヌシの体に塗って復活をさせた。
その後また多くの神々がオオクニヌシ神を騙(だま)して山に連れ去り大木の隙間(すきま)に押し込めて押しつぶし殺してしまった。
これを知った母神は鳴きながら探し当て木を裂き救い出した。
母神はオオクニヌシ神に向かって「お前がここにいると大勢の神々に殺されてしまうでしょう」と言って、紀伊国のオオヤビコ神の元に人目を避けて行かせた。
母親の情愛でオオクニヌシ神は助けられた。所が途中大勢の神々の追手が迫ってきた。
そこでオオヤビコ神が木の俣の下を抜けさせて逃がしてやろうとオオクニヌシ神に「スサノヲ神の居る根之(ねの)堅(かた)洲(す)国(くに)に向かえば旨く取り計らってくれるでしょう」言った。
そこでオオクニヌシ神はスサノヲ神の許に行った所、その娘スセリビメが出てきて目と目とを合わせただけ一目ぼれになってしまった。
直ぐに結婚を言い交わし父に申した「たいそう立派な神が来ています」そこで大神は言う「葦原色許男(あしはらしこおの)命(みこと)(オオクニヌシ神)と言う神だ」直ぐに呼び入れて蛇の部屋に案内させた。
そこで妻になったスセリヒメは「部屋で蛇が噛みついたらこの領巾(ひれ)(魔物を払う布)を与えた。
お蔭で蛇は静まり返り、その次の日の夜夷には蜈蚣(むかで)と蜂の部屋に入れられたが領巾で振り払った。
次にスサノヲ神はオオクニヌシ神に鏑(かぶら)矢(や)を野に放ち、この矢を捜し取ってくること命じた。
その野に火をかけられて焼野原に逃げ惑うオオクニヌシ神に鼠が現れ「内はほらほら、外はすぶすぶ、外側はきゅーとすぼまっておる」と教えられ、その場所を踏み込むと小さな入り口から中は洞窟状の穴に落ちた。
そこに潜んでいるうちに、火はその上を通り過ぎ、鼠は鏑矢をくわえ持ってきてくれた。
おかげで鏑矢をオオクニヌシ神は献上をした。
夫が死んだと思いこんだ妻のスセリヒメは葬儀の用意をしながら大泣きをして野に出て見ると、オオクニヌシ神が鏑矢を持って現れてスサノヲ神に持参した。
今度はスサノヲ神の家に連れて行き頭の虱(しらみ)を取らせた。頭には沢山の蜈蚣(むかで)がいて妻のスセリヒメは椋の木の実と赤土を夫に与えた。
オオクニヌシ神は実と赤土を口に含みつばと共に吐き出すと、スサノヲ神は蜈蚣を噛み砕いて出していると勘違いをして、可愛い奴と思って寝てしまわれた。
その寝ている間にスサノヲ神の髪の毛を軒の幾本かの垂木に結び付け、五百人力でも動かせない大岩を部屋の戸口を塞がれ追って来れないようにした。
急いで妻を背負い、スサノヲ神の太刀、弓矢、天の沼(ぬま)琴(こと)を持って一目散に逃げられた。
気づいたスサノヲ神は葦原中国の境の黄泉比良坂まで追いかけてこられ「お前の持っている太刀、弓矢でお前の異母兄弟神を坂の尾根に追い伏せ、河の瀬に追い払い、お前が大国主神と成って、わが娘のスセリヒメを妻として、宇迦の山の麓に地中深く柱を立て、棟の千木を空高く建てて住め、こいつめが」と言われた。
スサノヲ神がオオクニヌシ神に与えた試練は愛情のこもった試練で、独り立ちさせる親の恩愛がにじみ出るものであった。
その度、母に妻に肉親の愛情で苦難を乗り越えることが出来た。
オオクニヌシ神の境遇には悪しき兄弟の神々を振り払って、逃げなければならなかった。
オオクニヌシ神はその太刀と弓矢で悪き神々を追い落とし、坂の尾根に追い伏せ、河の瀬を追い払って、国造りをされたと言う。
 イザナミ神は夫のイザナキ神の願いも適わず黄泉の国から帰還はできなかったが、オオクニヌシ神は母の願いによって聞き入れられた。

☆八十神の逆襲と大穴牟遅神の再生の説話・
オオクニヌシの説話はオオクニヌシの母の情愛と、根之堅洲国の試練を前篇の黄泉の国とは違った様子が描かれていて、黄泉の国と混同されるが違った描写になっている。
オオクニヌシには宿命的兄弟として八十神とは切り離すことが出来ない。結婚相手のスセリヒメとの争奪合戦で敗れた神々は容赦のなく追撃の手を緩めない。
稻羽の素兎後、八十神は快く思わず、オオクニヌシ神を殺そうと企てる。伯岐国(伯耆(ほうき)国(くに))の手間の山の麓につれて行き「赤い猪がこの山にいる、我らが猪を追い下すので、「お前は下で待ち受けて捕まえろ。
もしお前が待ち受け捕えられないなら、お前を殺す」猪に似た大きい石を火で焼いて、転がり落とした。大穴牟遅神は火に焼かれた石を捕えて焼きつかれて死んでしまった。
オオクニヌシ神の御母は声を上げ泣いて悲しみ、天上界の神産巣日之命に助けを求めた。
天上界から二人の神キサカイヒメとウムカイヒメを遣わし二神の貝女神の身を削り、貝汁を練り合わせ、母乳のようにしてオオクニヌシ神に塗った所、見事に蘇生し甦った。
☆根の堅洲国(試練)の世界
大穴牟遅神は八十神の迫害に母神の救いの手に一生を得た。復活をした大穴牟遅神を見て八十神たちは、次の手口は旨く山に誘い込み切り倒した大きな樹にヒメ矢と言う楔を打ち込み、そこに出来た隙間にオオクニヌシ遅神を入らせるとヒメ矢を打ち外し叩き潰してしまった。
この時の母神はオオクニヌシ神を見つけ出し、木を裂き中から助け出した。そこで「お前はここにいると、終には殺されてしまうでしょう」と言って紀伊国に大屋毗(おおやび)古神(こかみ)の元に人目を避けて行かせた。
所が八十神たちは、何処までも追いかけてきて、大屋毗古神のもとにやって来て、引き渡すように押し寄せてきた。
大屋毗古神はオオクニヌシ神を密かに木の俣をくぐらせ「須佐之男神の居られる根の堅洲国に向かいなさい、きっと大神は取り計らってくるでしょう」と逃してくれた。
オオクニヌシ神がスサノヲ命の御許に行くと、その娘湏勢理比売が出てきてオオクニヌシ遅神と目を合わせ、一目見ただけで結婚を言い交わした。娘は父神に「たいそう立派な男が来ております」と告げた。
父神は「これは葦原色許男命(大穴牟遅神)と言う神だ」と言って蛇の室に招き入れた。
そこで妻の湏勢理比売(すせりびめ)命(みこと)は蛇の領巾(ひれ)を渡し「室の蛇が噛みつけばこの領巾を三度振って下さい」言われるようにすると蛇は静かになった。
次の日の夜は、蜈蚣(むかで)と蜂の室に入れられた。
妻のスセリビメは蜈蚣と蜂の領巾を与えこれを防がれた。次にスサノヲ命は鏑矢を大きな野の中に射込んで、その矢をオオクニヌシ神に持ってこさせた。
そこで野に入った時に、火を掛けると逃げ場を失ったオオクニヌシ神は鼠がやって来て「内はほらほら、外はすぶすぶ」内は穴が開き外は狭くなった洞窟状の穴に落ち、隠れている間に火の上を通り過ぎ助かった。
すると鼠がやって来てあの鏑矢をくわえ持ってきたのを大オオクニヌシ神はスサノオ命に献上した。
夫がすっかり死んだと思っていた妻は、葬儀の支度をし、大声で鳴いている所に大穴牟遅神が現れた。
今度はスサノヲ命に柱の多くある部屋に入れられた。
そこで頭の虱を取らせた、ふと頭を見ると蜈蚣が群がっていていた。それを見た妻のスセリビメは椋の木の実と赤土を取って来て夫のオオクニヌシ神に渡した。
すると椋の実の皮をかじり、赤土と一緒に口に含み吐き出すと大神は勘違いされ蜈蚣を砕いているものと思い、可愛いやつ思って寝てしまわれた。
それを見てスサノヲ命の髪を掴んで屋根の棟木の椽(たるき)に結び付け、入り口に大岩を塞ぎ、妻のスセリビメを背負い、さらにスサノヲ命の武器を持って逃げられた、その時に天の沼矛が触れて太地が振るわんばかりに鳴り響き、スサノヲ命が目をさまし、椽(たるき)に結ばれた髪を解く間に遠くに逃げられた。
スサノヲ命は葦原中国との境界線の黄泉比良坂まで追いかけて行き、遥か遠く坂の上を見上げて、大穴牟遅神に呼びかけた「お前が持っている生大刀と生弓矢で、お前の異母兄弟(八十神)大勢の神どもを、板の尾根に追い伏せ、また河の瀬に追い払って、お前が大国主神となって都志国主神となって、その娘湏勢理毗売(すさりほめ)を正妻として、宇迦の山の麓に、地中の岩盤に宮殿に柱を太く立て、棟には千木を空高く立てて住むがよい。こいつめ」と言われた。
大主国命のあの因幡の八上比売は、約束通り大穴牟遅命と結婚したが、正妻の湏勢理毗売を恐れて、自分の生んだ子を、木の俣に刺し込んで置いて稲羽の国に帰ってしまった。
スサノヲ神も息子神のオオクニヌシ神を国つ神として、出雲の国の未来を託す期待感と満足感と安堵であったろう。
☆オオクニシ神の妻と母親の献身的な助けによって、この厳しい試練を乗り越えられた。木の神紀州の大屋毗(おおやび)古神(こかみ)の支援を得て、また鼠までオオクニヌシ神を助ける。大国主神が鼠に助けられてた。鼠はその事によって良い大黒さんとは関係が残されている。オオクニヌシ神もスサノヲ神の試練から逃れるに策略を講じて難を越えることが出来た説話も面白くさせている。★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。


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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 21・大国主神と因幡いなばの素兎うさぎ説話

2016-11-15 04:18:36 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
21・大国主神と因幡(いなば)の素兎(うさぎ)説話

因幡の白兎と説話
オオクニヌシ神の兄弟は八十神もの大勢いいるので多くの問題を抱えていた。多くの兄弟は因幡(いなば)(稲羽)ヤカミヒメと結婚をしたい気持ちを持っていた。
ある日、皆で一緒に稻羽(いなは)に行った時、多くの神々はオオクニヌシ神を従者として大きな袋を背負わせて連れて行った。
そして気(け)多(た)の岬に着いた時、毛をむしり取られた裸の兎(うさぎ)が臥(ふせ)せっていた。
そこで大勢の神々はふざけて「お前は海水にすべきことはこの海水を浴び、風にさらして山の上で乾かせばよい」と悪こいとを教えた。
たちまち兎の体はただれ痛みに泣いている所に、オオクニヌシ神が通りかかり兎に尋ねた。
「お前はそのような姿で泣いているのか」兎は答えて、そのいきさつを話しをした。
「自分は淤(お)岐(き)の島に住んでいるものです。こちらに行く術(すべ)がないので、海のワニを騙(だま)して『自分達とワニ達一族の数比べをしょう』と言ってワニ達を島から気多の岬まで並べさせ、そのワニの上を踏み越えながら着地寸前に『自分はお前たちは騙されたのだ』と渡り切る前に有頂天に言ってしまった。その時に最後の一匹にこのように身ぐるみはがされたのです」と泣きながら答えた。
更に「先ほど行かれた神々が海水で洗い日に乾かせば治ると教えられて、このように酷くなりました。」
そこでオオクニヌシ神は「今すぐ河口に行って体を真水で洗い蒲の花を摘み、その上でごろごろしておれば治る」と教えた。
その教えの通りするとすっかり元通りになった。
これが稲羽の素兎と言って、兎神であった。その兎がオオクニヌシ神に向かって「あの大勢の神々はヤカミヒメを射とめることはできません、きっとあなた様が娶られるでしょう」申した。
結果ヤカミヒメはオオクニヌシ神の求婚に応えた。

★オオクニヌシ神の因幡と素兎の説話・因幡の素兎の説話は日本の民話として誰もが知っている説話である。
オオクニヌシ(大穴牟遅神)の兄弟は八十(やそ)神(かみ)も大勢いたので問題も多かった。しかし多くの兄弟神は大国主神に譲って身を引いた。
身を引いたとは故、まだ多くの兄弟は因幡の八上比売(やかみひめ)に好意を持っていて、皆で一緒に稻羽に行った時に、大穴牟遅神は大きな袋を背負わせて気多の岬で毛をむしられた伏せった白兎に出合った。
大勢の意地悪な八十神の神々は白兎に海水をぬらし高い山で乾かすと良いと悪い事を教えた。
その内皮膚がただれひび割れし、泣き伏している所に大穴牟遅神が通りかかり、「お前はそんな姿で泣き伏しているのか」と聞かれた。
自分は淤(お)岐(き)の島(隠岐島)に住んでいて、ここに渡りたいので海のワニ(鮫)を欺き「自分の一族と、ワニの一族の多寡(数の大小)を調べてやるので気多の岬まで並ぶよう」に提案しワニは騙されて並び伏した所をワニらの上を渡り終えようとした時に「お前たちは欺かれたのだ」と言い終えると同時に最後の一匹に捕まえられ、身ぐるみ剥された経緯を話し、八十神に出合いまた騙された話をした。
八十神が通りかかりワニに皮をはがされた事情を話すと「海水を浴びて風にあたっておれば治る」と教えられ、その通りにすると、ますます傷はひどくなり泣いているのですと打ち明けた。
そこで大穴牟遅神は「今すぐに河口の行き、真水で体を洗い蒲の花の上でごろごろしておれば、元の姿に治る」と教えた。
そこで兎はその通りにして元通りになった。これが「稻羽の素兎」の話である。
☆大黒さんの名称で親しまれている大国主神は古来、薬の神さんで知られている。
理由は兎がワニを騙した仕打ちに皮を剥がれ苦しんでいる所、治療法を授けたことに有るらしい。
また大黒さんは仏教の大黒天と習合し頭巾をかぶり、大きな袋を担いでいる福の神の恵比寿さんと共に縁起の良い神さんとして商人に信仰されている。

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『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 20・大蛇退治の説話

2016-11-13 04:15:32 | 古事記が描く説話の憧...
『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記)
20・大蛇退治の説話
天上を追われたスサノヲ神は新天地をめざし地上に舞い降りたのが出雲地方、肥(ひ)河(かわ)の上流は鳥髪と言う所で、周りを見渡しても何もなく、ただ草木が覆い茂り人の気配さえない寂しい所でたたずみ様子を窺って見た。
川の流れに目をやると何かが流れてくるのを発見、スサノヲ神は箸(はし)が流れ来るのを見て人が住んでいることに気付いた。
スサノヲ神は河上に向かって探し求めて歩んだ。
やがて娘のすすり泣く声が聞こえ、ふと目をやると老夫と老女が童女を中に鳴き悲しんでいた。
「汝らは誰ぞ」と問うた。
「我ら国つ神、大山津(おおやまつ)見(み)神(かみ)の子アナヅチと妻タナヅチ」と名乗り娘を櫛名田比売(くしなだひめ)と告げた。
「汝らの泣く訳はなにぞ」とスサノヲ神は問うた。
その訳を聞けば、古来よりこの地には恐ろしい大蛇(おろち)が棲(す)み着き、毎年娘をいけにえ差出させ村人に恐れられていた。
丁度今年の娘を差出順番が、老夫婦の娘の櫛名田比売の番に廻って来たのだ。
大蛇の約束事を破ることも出来ず、泣き途方暮れている所だった。
話しによると大蛇は目が赤くほうずきの形をし、体一つに八つ頭、八つの尾に身には杉が生えその長さは八つの谷を渡り、八つの尾根を越えて、腹には血がしたたり恐ろしい姿と毎年一人の娘の生贄(いけにえ)を食らうと言う怪物である。
老夫と老女はスサノヲ神に助けを求めた「そのあかつきには娘をくれないか」と答えると、老夫婦は「おうせの通り差し上げます」と答えた。
スサノヲは大蛇退治に一計を案じた。
老夫婦に良く醸(かも)した酒を用意させ、酒台を八面に置き、それぞれに桶に酒を入れて置くように指示をした。
やがて大蛇がやって来て酒を見つけると、八つの桶に八つの首を入れて旨そうに飲みだし、とうとう酔って眠ってしまった。
スサノヲは寝込んだことを確かめて腰に挿していた十握(とつか)の剣を抜き大蛇の尾を切った。
中から一振りの剣が出てきた。これが後の「草薙(くさなぎ)剣(つるぎ)」である。
このスサノヲ神の退治の場面は、勇敢に立ち向かい丁々発止の太刀を振り上げ魔物に向かう打ちの召す光景が描かれている。
また八岐大蛇の恐ろしい形相は古代妖怪の物語の場目を描いている。
こうしてスサノヲ神の活躍は目覚ましいもので、葦原中津国の人に役立って民に貢献した。
荒々しいスサノオ神だったころからの大変身で輝かしい活劇を『古事記』は伝える。
大蛇退治後は約束通り稲田姫との新居は八重垣を作られて、夫婦の契りを結ばれて子の大巳貴神が生まれた。
天上を追われたスサノヲ神は地上での活躍に善き伴侶に出会え、子孫を残すことも出来て達成感と爽快感に満足をした。
こうしてスサノヲが地上に降り出雲の国に根を下ろすことから、天上界の天津神と地上界の国津神の分離が始まる。出雲の説話の始まりである。
スサノヲが初めて根をおろし新天地開拓、国造り拠点としたのは出雲地方であった。
諸説はあるが古代には倭の前に立ちはだかる巨大な王国が存在し対立をしていたと言う。
出雲説のもとに『古事記』の出雲地方の描き方が有ったようである。
須賀の宮を造り「根の国」に鎮坐された。

☆八俣の大蛇退治の説話・
天上界を追われたスサノヲ命は、出雲国の肥(ひ)河(かわ)の上流の鳥(とり)髪(かみ)と言う所に降った。この時に上流より箸が流れてきた。
それを見たスサノヲ命は人が住んでいることに気づき、尋ね求めて上がって行くと、老翁と老婆がいて、そばに娘を置いて泣いている所に出合った。
「お前たちは誰だ」と尋ねられた。
「私達は国津神で大山津見神の子であります。私の名は手名(てめい)椎(づち)で妻の名は手名椎と言い、娘の名は櫛名田比売(くしなだにめ)と申します」と答えた。
スサノヲ命は「おまえの泣き叫ぶわけは何か」と尋ねた。
老翁は答えて「私の娘は八人おりました。それが高志の八俣の大蛇が毎年やって来て、娘を食ってしまうのです。
今、大蛇がやってくる時期で、それで泣いております」と答えた。
その大蛇の様子を聞くと、その目は赤くカグチのように、一つの胴体に八つの頭と八つの尾があって、その体には日影蔓と杉、檜が生え、長は谷が八つ、峯八つは渡るほど、その腹には血が流れております。
そこでスサノオ命は「お前の娘をくれないか」と言われ、
老翁は答えて「恐れ多いことで、でもお名前も存じません」と申し上げた。
「自分は天照大御神の弟で今、天上から降りてきた。」
「左様な方なら娘を差し上げます」と答えた。
スサノオ命はその娘に瞬時に櫛に変じさせ、自分の髪に差し込んだ。そして老翁、老婆に強い酒を用意させ、垣根を張り巡らせ、その垣根の入り口に八つの入り口を設け、入り口に棚を作り、その棚に酒を置かせた。
準備が整い待っていると、八俣の大蛇は言葉通りにやって来て、入り口の一つ一つの樽に頭と入れて酒を飲んでいった。
鱈腹一杯酒を飲んで長々と寝込んでしまった。そこでスサノオ命は腰に付けた十拳の剣を抜き、大蛇をズタズタに切り裂かれた。
肥河はたちまち血の川となって流れた。ところが大蛇の尾の付近を切って、十拳の刃がこぼれたので不思議に思い尾を裂き見た所、つむ羽の太刀が出てきた。ただの剣でないと思い天照大御神に献上された、これが草薙ぎの太刀である。
この地で清々しく思い湏賀宮を造り住まわれたと言う。



★大蛇退治の場面の説話・「古事記』の中で憧憬の快挙である。
天上界では邪魔者で評判は芳しくなく描かれているが、地上に舞い降りたスサノヲは困っている人々に、果敢に恐ろしい形相をし、しかも人間を食って脅し続ける赤目で恐ろしい形相、胴体一つに頭が八つに尾が八つの妖怪化け物に戦い描写になっている。
誓約に使われた十拳を振り回す立ち回りに八岐大蛇を切り刻み尾の中から草薙の太刀まで出てくる話は後篇の『古事記』の説話に結びついていく心憎い設定である。
酒を飲ませて退治する策略も暴れ回ったスサノヲと一変させる活躍である。
退治に関して後述に述べる倭建命のイズモタケル・クマソタケル征伐に似て丁々発止活劇である。『古事記』の説話場面で躍動或る光景である。
スサノヲ命が地上界に降り立ったのは黄泉の国に近い、出雲国であった。
☆この八岐大蛇の前段で説話に、最初に出合った穀物、食物を作り出す神、大気都比売神で食物を求めた所、尻から口から出しているので殺したが、蚕の頭で尻から糸の代わりに食物出していた。
その他の部位から穀物の種子、糞の肥やしから作物が、また国作りに必要な種を採取、五穀の素となった。
肥河でスサノヲ命の妃になる櫛名田比売は大山津見神(山の神)の子の娘、大山津見神の孫にあたる。
出雲での大蛇退治のスサノオ命の出雲国での基盤が築かれて、国津神系の葦津中国が築かれていく拠点となったことを示すものである。
また大蛇退治は先住勢力との戦いに、スサノオ命系が天下った地で勝ったこと意味するのではないかと思われる。
大蛇退治は、その後の日本の民話や地域伝説に大きな影響を与え、邪悪な物への正義者の退治物語には日本の各地の民話に残されている。
また一つの胴体に8つの首頭と尾は、この地方の洪水や水害の川に例えられえているとも言われている。
桃太郎の鬼が島への鬼退治など、それらは治水を行なった事を意味したりすることもある。
例えば洪水、水害などで田畑に悪影響を及ぼした河川を有るものになぞらえ、例えにして伝承され自然脅威を悪者の仕業としてこされている。
池に住む龍伝説や八俣は八つの大きな川の氾濫の意味をしたり、例えは様々、人喰う説話に仏教に鬼子母神などがある。人質に娘を差し出す説話などがある。
出雲は国津神の拠点、原点と考えれば、いろんな面が考えられ、先住民族の影響、渡来(とらい)民族(みんぞく)の影響、征服民族、大和民族に静かなる禅譲を考えれば、以降の出てくる国譲りの場面に合致する。  
出雲神話を単なる架空の作り話と思われていた常識を、覆したのは一九八四年から翌年までに発掘された荒神(こうじん)谷(たに)遺跡(いせき)である。銅剣三五八本・銅鐸六個・銅矛一六6個と驚異的、且つ大量の古代武器の発掘は大和王朝に対抗できる巨大国家の存在を暗示するかのような出来事であった。
それ以降、出雲神話に対する学者、歴史学者の見る目が変わったのではないだろうか、今、出雲が熱く語られている。伊勢神宮の遷宮と共に、出雲大社の遷宮が二〇一三年に完成し、古代史を語るが上の大イベントである。



「スサノオから生まれた神々」
●須佐之男命から大国主命への系譜
スサノヲ命と大山津見神系から櫛名田比売と間に大国主命が生まれている。スサノオ命から大国主命への系譜は複雑で難しい。
*スサノヲ命は出雲に降って、大山津見神の孫娘
① 櫛名田比売と結婚、その子◇八島士(やしまし)奴(しぬ)美(み)神(かみ)は大山津見神の娘、~
② 木花知流比売(このはなちるひめ)と結婚して生まれた~◇布波能母遅(ふわのもち)、その布波能母遅
日河比売(ひかわのひめ)と結婚し~◇深淵之水(ふなふちのみつ)夜(や)礼(れい)花(はな)神(かみ)が生まれた。深淵之
③ 天之都度閇(あまのつとへ)知(ち)泥(ね)神(かみ)結婚し~◇淤(お)美(み)豆(め)奴(ぬの)神(かみ)が生まれ、淤美豆奴神
④ 布(ふ)帝(て)耳(みみ)神(かみ)と結婚し~天之(あまの)冬(ふゆ)衣(きぬ)神(かみ)が生まれ、天之冬衣神は
⑤ 刺国若比売(さしくにわかひめ)と結婚して~◇大国主命が生まれた。大国主命はスサノヲ命から数えて6代目にあたる。
◎因みに大国主命は五つの名前を持っている。大国主神・別名・大穴牟遅(おおあなむち)神(かみ)・葦原色許男(あしはらこょお)神(かみ)・八千代矛神・宇都(うつ)志(し)国(くに)玉(たま)神(かみ)と合わせて五つの神名をもつ。★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。



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