寝る前には、気持ちよい文章に触れるのがいい。
そのほうが気持ちよく眠れる気がする。これが文章
のまずい作家だと、ところどころの言葉遣いにひっ
かかって目が覚め、言い回しのまずさに憤って目が
覚め、展開のしょぼさに「えー」とがっかりして目が
覚めてしまう……。その点、村上春樹は当代きって
の文章の名手であるから、どの作品もさながら銘酒の
味わいがある。寝る前に読むには最適であろう。
長編は時間がなくて中々読めないが、短編ならいい。
最近、読んだもので特に印象に残ったものがこれ。
『沈黙』という一編である。(ネタバレ注意!)
ボクシングジムに通う31歳の青年が、リングの外で
「たった一度だけ、人を殴った体験」を同僚に語り始
める。
彼は中高一貫の進学校で過ごした日々を回想する。
クラスには、勉強もスポーツも抜群で、容姿も頭の回
転もよく、先生からも人望のある、青木という同級生
がいた。
だが、この青木には芯というべきものがない。人間と
しての深みのようなものが、完全に抜け落ちていた。
自分の優位を保つため、ただ巧妙に人の中を立ち回ること
だけに長けた、つまらない奴なのだ。
しかし、そのことに気づいていたのは彼一人だった。
中学の時、彼はその嫌らしさが我慢できず、激情に駆
られて青木を殴ってしまう。
青木はプライドを傷つけられたことをずっと根に持ち
続ける。そして3年後、青木は、ある同級生の自殺事件を、
彼の暴力によるものだという噂を巧妙に流し、彼を完全に
孤立させてしまう。
彼は怒り狂う。しかし誰一人理解してくれぬことに
ひどく落ち込み、自殺まで思いつめる。だがある日、満員
のバスの中で青木とバッタリ視線が合った。身動きさえでき
ぬ状況下、睨み合いが続く中、青木の目の奥に一瞬、怯え
の色が浮かんだ。
その瞬間、青木への殺意は消え失せ、一種の憐れみの感
情へと変わってしまう。
青木は、見かけはどうあれ、尊大な着ぐるみを脱がせれば、
ただの怯えるネズミでしかなかったのだ。
その後も、クラスでのいじめの状況は変わらなかったが、
彼の心はふっ切れていた。堂々と孤独を生き抜き、卒業す
るのである。
作品の結末で、彼は、こういう。
負けるわけにはいかないんだと思いました。青木に勝つ
とか、そういうことじゃありません。人生そのものに負け
るわけにはいかないと思ったんです。自分が軽蔑し侮蔑す
るものに簡単に押し潰されるわけにはいかないんです。
でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言
いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中
です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせ
に、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らさ
れて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違った
ことをしてるんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちら
っとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、
決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い
当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たち
の行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りはし
ないんです。本当に怖いのはそういう連中です。
そのほうが気持ちよく眠れる気がする。これが文章
のまずい作家だと、ところどころの言葉遣いにひっ
かかって目が覚め、言い回しのまずさに憤って目が
覚め、展開のしょぼさに「えー」とがっかりして目が
覚めてしまう……。その点、村上春樹は当代きって
の文章の名手であるから、どの作品もさながら銘酒の
味わいがある。寝る前に読むには最適であろう。
長編は時間がなくて中々読めないが、短編ならいい。
最近、読んだもので特に印象に残ったものがこれ。
『沈黙』という一編である。(ネタバレ注意!)
ボクシングジムに通う31歳の青年が、リングの外で
「たった一度だけ、人を殴った体験」を同僚に語り始
める。
彼は中高一貫の進学校で過ごした日々を回想する。
クラスには、勉強もスポーツも抜群で、容姿も頭の回
転もよく、先生からも人望のある、青木という同級生
がいた。
だが、この青木には芯というべきものがない。人間と
しての深みのようなものが、完全に抜け落ちていた。
自分の優位を保つため、ただ巧妙に人の中を立ち回ること
だけに長けた、つまらない奴なのだ。
しかし、そのことに気づいていたのは彼一人だった。
中学の時、彼はその嫌らしさが我慢できず、激情に駆
られて青木を殴ってしまう。
青木はプライドを傷つけられたことをずっと根に持ち
続ける。そして3年後、青木は、ある同級生の自殺事件を、
彼の暴力によるものだという噂を巧妙に流し、彼を完全に
孤立させてしまう。
彼は怒り狂う。しかし誰一人理解してくれぬことに
ひどく落ち込み、自殺まで思いつめる。だがある日、満員
のバスの中で青木とバッタリ視線が合った。身動きさえでき
ぬ状況下、睨み合いが続く中、青木の目の奥に一瞬、怯え
の色が浮かんだ。
その瞬間、青木への殺意は消え失せ、一種の憐れみの感
情へと変わってしまう。
青木は、見かけはどうあれ、尊大な着ぐるみを脱がせれば、
ただの怯えるネズミでしかなかったのだ。
その後も、クラスでのいじめの状況は変わらなかったが、
彼の心はふっ切れていた。堂々と孤独を生き抜き、卒業す
るのである。
作品の結末で、彼は、こういう。
負けるわけにはいかないんだと思いました。青木に勝つ
とか、そういうことじゃありません。人生そのものに負け
るわけにはいかないと思ったんです。自分が軽蔑し侮蔑す
るものに簡単に押し潰されるわけにはいかないんです。
でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言
いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中
です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせ
に、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らさ
れて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違った
ことをしてるんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちら
っとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、
決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い
当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たち
の行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りはし
ないんです。本当に怖いのはそういう連中です。