静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

道徳の善悪

2009-10-30 18:44:32 | Weblog
仏法だけでなく、道徳や倫理でも善悪を教え、善を勧め悪を戒めます。
そういうところから両者は似通ったものと思われがちですが、実は全く違うものです。

道徳や倫理の目的とは、世の中の秩序を保ち、お互い衝突することなしに仲良く生きていけるように、ということでありましょう。だからその目的にかなう行為が善であり、反する行為は悪とされます。こういう基準で善と悪を分け、善を勧め、悪を戒めるのが道徳、倫理です。
ここから分かるように、道徳も倫理も「生きる」ための手段ということになります。

ということは、生きる目的がなければ、生きるための手段である道徳も倫理も、全く意味をなさなくなってしまうことを示唆しています。

では、道徳や倫理の存在意義を根底で支える、生きる目的とは何なのでしょうか?

その肝心な点が不明瞭では、道徳・倫理はただの形骸と化し、拘束力は失われます。

以前、あるテレビの討論番組で、高校生がボソッと「どうして人を殺してはいけないんですか?」と漏らし、出演者がシーンと静まりかえったことがありましたが、これはそのいい例です。

茨城県では、退屈な毎日に嫌気がさした24歳の男が、通行人をナイフで8人も殺傷し、逮捕後、公判の席で「殺したいから殺しただけ。蚊を殺すのと、人を殺すのとはどこが違うか」とうそぶいたそうですが、この男のように、平気で道徳をひっくり返してみせるその根底には、間違いなく生きる意味の分からぬ深い闇があると思われます。
感情的に、一つの正義感にかられて、その闇を晴らそうと議論に挑めば、底なし沼に引きずり込まれるような事態となりましょう。

仏法を抜きに、前述の高校生に「人を殺してはいけない理由」をきちんと説明できたり、また公然と道徳を踏みつけ、気まぐれで大量殺人を犯す者たちの誤りを、きちんと指摘できる人があれば、聞かせてほしいものです。

仏法では、もちろん人殺しは悪と教えています。
ただ仏法で、善と悪とを分け、善を勧め、悪が戒められるのは、道徳や倫理とは目的が全く異なるのです。
すなわち世の中の秩序を保ち、皆が仲良く生きていけるように、という目的ではないのです。

ではその目的は何なのか?

ここは聞き誤りやすい、大事なところです。詳細はあとに譲りますが、少なくとも道徳・倫理とは全く異なることはよく知っていただきたいと思います。
このように言うのは、釈尊が因果の道理を明らかにされ、そこから廃悪修善を説かれたのと、倫理や道徳で悪を戒め善を勧めることとの区別のついていない人が多いからです。(つづく)

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