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真実の自己(1) 選択を誤れば後悔の人生に

2019-02-07 17:05:33 | Weblog
真実の自己とは(1)

 今回から、「私とは何か?」というテーマでお話しをします。
 これまでは、なぜ生きるか?という話をしてきましたので、話が変わったように思われるかもしれません。しかし、なぜ生きる?というのも、私とは何か?というのも、問われていることは変わりません。

 今から皆さんにお話ししたいことが3つあります。

 1つは、私自身を知ることがいかに大切かということ。
 2つ目は、私のことは私がいちばんよく分かっていると思いがちですが、実は全く分かっていないこと。
 そして3つ目は、仏教に説かれる本当の「私」とはいかなるものかということです。

 まず最初の、私自身を知ることがいかに大切かということについて、お話ししたいと思います。
 ギリシャの神殿の扉に「汝自身を知れ」という言葉が刻まれているそうです。昔から多くの賢者が、自分自身を知りなさいということを教えております。
 ではなぜ、自分を知ることがそんなに大切といわれるのでしょうか?
それは、本当の私が分からずして、私はなぜ生きるのか、それは分かりようもないからです。

それでは、人生の最後に、後悔することになるでしょう。
誰もが後悔したくないと思って生きていますが、現実は、いつの時代、どこの国でも、臨終に「こんなはずではなかった」という後悔が繰り返されています。

では、なぜ、人生の終わりに、そんな後悔することになってしまうのでしょうか?
それは、どこかで「人生の選択」を間違ったからです。

 私たちが「生きる」ということは、いろんな選択肢の中から、どれか一つを選ぶということでもあります。例えば、朝起きたら、食事をするかどうか、するならパンにするか、ごはんにするかという選択をしています。また、今日はどのように過ごすか、誰かと会うか、それとも映画を見るか、それも選択です。一日ボーッと何もしないでいるのも、ボーッとすることを選んだのですから、それもまた選択です。つまり人生は、「あれかこれか」の選択の連続で、後悔というのは、その選択を間違えた結果であります。

 人生には、大学進学や、就職や、結婚など人生を左右する大事な選択する場面がありますが、それを決めるのはすべて私です。その私が「自分のこと」をよく分かっていなければどうなるでしょう。
 それは大学受験で考えても分かると思います。自分の学力とか適性も分からずに、ちゃんと大学を選べるでしょうか。
 偏差値40くらいでは、普通、その人に東大受験という選択はありえません。しかし自分のことが分からず、賢いと自惚れていたら、そういう選択をするかもしれません。その結果は、試験に惨敗、1年棒に振って泣くことになります。

 大学受験くらいの選択なら、己を知るといっても、自分の学力が分かれば十分ですし、間違っても小さな後悔ですみます。
 しかし、これから先のあなたの人生、このまま行って絶対に後悔はありませんか?と念を押されると、どうでしょう?このままでいいのか、それとも別の道があるのか、真面目な人ほど迷うと思います。そういう迷いは結局、自分というものがよく分からないところから来ているのです。

 ですから後悔しない人生を選択したいなら、昔から多くの人が「汝自身を知れ」といわれるように、自分とはいかなるものかを、よくよく知らなければなりません。
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