静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

方便破壊せむものは

2012-10-13 10:42:43 | Weblog
10月5日の日本経済新聞に、親鸞聖人直筆の御和讃
が発見されたという記事が出ていました。
親鸞聖人が聖徳太子を讃えられた「皇太子聖徳奉讃」
の中の一首です。

「如来の遺教を疑謗し 
 方便破壊せむものは
 弓削の守屋とおもふべし
したしみちかづくことなかれ」

如来の教えを疑い謗り、
方便を破壊する者は
物部守屋と思うこと
親しみ近づいてはならない

物部守屋とは、和国の教主(日本のお釈迦様)とも
聖人が仰がれる聖徳太子と対立し、仏法興隆を阻害
した者です。

方便とは、真実に対していわれる言葉です。
だから、真実なしの方便も、方便なしの真実も、
意味をなしません。
目的なしの手段などありえないのと同じです。

ところが今日、件の坊主をはじめ、浄土真宗の看板を
掲げた人たちから、
「方便など要らない、真実だけ聞けばよい」
という方便破壊の言説がまことしやかに語られ、
堂々とまかり通っています。

弥陀の救いで「方便」といわれるのは、救われるまで
の弥陀や釈迦のご教導をいうのに、それを「要らない」
というのだから、結局、
「求めることも、聞き歩くことも、苦労することも
要らない。ただじゃ、そのままじゃ、無条件じゃ」と、
「何もしなくていい」ことを〃一生懸命すすめる(?)〃
漫画みたいな教えになっています。

空虚な内容を、難解な仏教語で深遠そうに見せかけ、
「論より証拠」で、〃私は救われた〃と自分の体験を
好んで語るから、一般の人には、何か深い真理に達した人
かのように見えるかもしれませんが、本質はただの
〃怠け者の自慢話〃であり、〃脱力系の人生訓話〃
でしかありません。

そんなものを「弥陀の救い」と誤解させる者たちに
「親しみ近づいてはなりませんよ」
と、聖人は忠告なされているのです。

そんな怠け者、いや〃現代の物部守屋〃たちに先導
された浄土真宗が、この100年でどうなったか?
先日、ここに書いたとおりです。
いいかげん目を覚まさないと、本当に浄土真宗は滅び
てしまいます。

今、この時代に、聖人直筆の、上記の御和讃が見つかる
というのも、まことに意味深長なことでありましょう。



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