静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

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変わる心が、変わる世界に

2009-12-11 20:39:56 | Weblog
一人一人が阿頼耶識の生み出した世界に生きている。
ということが仏教に教えられています。

阿頼耶とは蔵の意味で、蔵にはものが蓄えられています。
同様に、阿頼耶識にも蓄えられているものがあり、それが、私たちのやった行為(業)です。
この業を植物の種子になぞらえて業種子(ごうしゅうじ)ともいいます。種子には、太陽や水や土などの縁によって発芽し、やがて木となり実を結ぶ力があります。 
同様に、業種子には、縁によって私たちにこの〃現実世界〃をあらわし、タネに応じた苦楽を受けるという結果を起こす力があるのです。一切は、阿頼耶識に記録された原因が、毎日現れてきているのです。

煩瑣になるのを避けるため、概要だけですが、もう一つ触れておくならば、

天親菩薩は『唯識三十頌』という書の中で、阿頼耶識を、
「恒転如暴流(恒〈つね〉に転ずること暴流〈ぼうる〉の如し)」
と説かれています。「暴流の如し」とは、滝のように速い水の流れのことです。滝を遠くから見ると、一枚の布を垂らしたように見えるけれど、実際は無数の水の粒が激しく入れ替わっています。一瞬たりとも同じ状態ではないにもかかわらず、滝は滝としてずっと存続しています。

このように阿頼耶識は過去世・現在世・未来世にわたり流転する主体なのですが、絶えず変転していて、それは固定不変の魂のようなものではないということです。

「暴流の如し」。私たちのこの〃現実世界〃が、変転極まりない阿頼耶識の現わした世界である以上、この世界も原理上、絶えず変転するもので、絶対不変の世界とはいえないということです。

それは、「栄枯盛衰は世の習い」というような、感覚的に分かる次元の話だけでなく、その「世の中」というものの基軸である「時間」や「空間」自体、不変絶対のものではないということです。

19世紀以前の、ニュートン力学が支配的だった頃の世界観は、絶対時間、絶対空間というものが当然のこととして想定されていました。
しかし、アインシュタインの「相対性理論」の登場で、絶対時間、絶対空間はもろくも否定されてしまいました。
でも、アインシュタインの登場を待たずとも、仏教ではもともと絶対的な時間も空間もないことが教えられていたということです。

変わる心が、変わる世界で、一体、何を築いて、この人生に「幸福」の二字を刻印するつもりなのでしょう?

こういう話があります。

昔、楚の国(中国)の愚人が、家宝の剣をひそかに持ち出し、急流に浮かべた舟上で、試し切りに興じていた。切れすぎた反動で、剣は飛んで水中にジャボンと落ちた。舟はどんどん流されてゆく。驚いた彼は、さっそく、剣の落ちた舟べりに小刀で、深く印を刻み込み、〝やれやれこれで、剣のありかは安心じゃ〟とつぶやいたという。刻印の移動が念頭にない愚かさを笑ったものであろう。
 金や財を力にしている者は、金や財を失った時に顛倒する。名誉や地位を力にしている者は、それらをなくした時に失墜する。親や子供を力にしている者は、親や子を亡くした時に倒壊する。信念を力にしている者も、信念ゆらいだ時にまた崩壊する。(『なぜ生きる』)


私たちは迷いが深く、こう言われても、どこかに崩れないた確かなものがあるように思い込み、安穏と暮らしています。でも、一切合財が変わるということを本当に理解したならば、人生観は変わるでしょう。
崩れるものを頼り切ったこの人生が、たちまち薄氷を踏むような、不安に満ちたものと気づかされるはずです。いや、そんな不安、感じたことない、という人もあるでしょうが、それは幸福なのか、愚鈍なのか、胸に手を当てて考えてみればいいと思います。

臨終にはすべてが、私の身体も何もかも、世界ごと跡形もなく消えてゆきます。何にも残りません。人々の記憶に残る、など、本当のことが分かれば何の慰めにもなりません。重い業を担って、泣く泣く出て行くだけです。

「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一も相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」(御文章)

次回は、各自が自分の生み出した世界を生きていることの補足と、それに関連し、「自分の行為が自分の運命を作っていく」という因果の道理の厳格さを、もう一度振り返ってみたいと思います。(つづく)




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