静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

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まず最初に

2009-10-03 14:38:34 | Weblog
最初に。

なぜ過去のエントリーを消したのかとの問い合わせがありましたが、一言で言えば、自身の反省からです。
売り言葉に買い言葉ということもあり、甚だ感情的になり、相手を不快にさせることを幾つか書いたことを素直に認め、お詫びしたいと思います。以前と違い、たくさんの人がここを訪れるようになった今、そのままにもしておけないので、これまで書いたことは消去し、心新たに話を始めることにしました。
と同時に今後、特定の人の(教えとは関係のない)〃言動〃を、あれこれ言うことはしないと約束したいと思います。

ただ、一言言わせていただくなら、だれしも自分の所属する団体のことを悪く言われて快く思う人はいないのです。
例えば、隣国が日本の戦時中の行為をいつまでも、蒸し返し、自国民の敵対心を煽るのを見て、冷静でいられるものでしょうか。なぜなら、私たちは日本で多くのことを学び、育てていただいた恩義があり、また愛してもいるからです。

私は親鸞会で、他では知ることのできない、実に多くのことを学ばせていただきました。それは親鸞聖人のみ教えであり、その恩義は一生かかっても返し切れるものではないと思っています。親鸞会も、その中で聞法される方々も、私は愛しています。それが〃熱く〃なった理由であり、その気持ちを察し、ご容赦願えればと思うのです。

さて、

これからやろうとすることは、問題をできるだけシンプルに整理して提起することです。
そしてあとは粛々と、これまで親鸞会で聞かせていただいた親鸞聖人のみ教えの尊さの一端を、心静かに讃嘆させていただくばかりです。
提起した問題の結論は、これを読まれた方が自由に判断なさればよいと思います。



では、昨日の話の続きに移ります。

人生には良い時もあれば、悪い時もあります。
人生いろいろで、それまで順調だった人生が、地震や火災など予期せぬ災害に見舞われ、急転直下する人もあります。

なぜその災害は起きたのか?その原因を究明し、明らかにすることはできますし、再発を防ぐためにもそれは大事なことでしょう。
しかしそんな時、例えその災害の原因が明らかになったとして、もう一つスッキリしないことがあるのです。
それは、なぜ、その悲劇の主人公が〃私〃だったのか、という点です。
なぜ他の人ではなく、私だったのか?その原因は?……

問題の核心は、そこにあるのでしょう。

それは災害現場をくまなく検証して、解明できることではないはずです。
解明する方角が違うからです。

なぜ、私が?

それが分からないから、人はこの世の「理不尽」を嘆き、やり場のない怒りに苦しみます。
どうして自分だけがこんな目に……という思いをいつまでも引きずるのです。

では、そこに原因は「ある」のか、それとも「ない」のか。「ある」なら、どういうことなのか?
この大事な点については、次回に譲ります。(つづく)
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