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真宗界の崩落の歴史(5) 黒船来航 

2010-06-03 20:30:37 | Weblog
浄土真宗が近代以降、教義が変質していった歴史的な経緯を、いろんな側面から書こうとしています。
今回は、真宗界に突きつけられた外部思想の圧力です。
外国からやってきた【実証主義】【唯物論】【相対主義】【ヒューマニズム】の4隻の黒船に、太平の眠りからゆり起こされた東西本願寺が、卑屈な〃通商条約を締結〃させられた悲しい歴史でもあります。


【実証主義】
学問上の学派、学者らの態度の一つであり、19世紀以降の自然科学・工学の急激な進歩と社会的成功を目の当りにしたことで、知識の形態として科学だけを有効と見なすようになり、科学で知識を統一しようと試みた考え方・態度である。

つまり、

「誰にでも経験できる事実として確認できるまで何も信じません」という態度で、「直感や超越的な感覚」などは初めから排除されている。

この実証主義が浸透することで、
「何の根拠もなく、世の中に広く信じられてきた前提」が次々と覆っていった。
例えば、ひのえうまの年に生まれた女性は夫を短命にするという迷信や、天狗や河童などの存在、あるいは雨乞いの儀式で雨を降らせるなどという風習は、今日、だれも信じなくなった。

それはいいことではあるのだが、この実証主義者たちが、当時の真宗人の感情を逆なでしたことは疑いない。
先祖代々、当たり前だと信じてきた弥陀や浄土に対し、
「じゃあ、実証してみ?」と問い詰めるからだ。

ここで感情的になり、「おまえはなんてことを言うんだ!先祖代々信じられてきたことを正しくないとは、とんでもないことだ!けしからん!」と言ったところで実証主義者は、
「分かった分かった。それはいいから。はやく実証してみろよ」とくる。


【唯物論】
世界の理解について、原子論と呼ばれる立場がよく知られている。これは原子などの基本的な物質的構成要素と、その要素間の相互作用によって、森羅万象が説明できるとする立場である。

人間の、意識・心理現象・自由意志などの精神活動については、大脳の物理化学現象とみなすか、あるいはより極端に、自由意志自体を否定する見方もされる場合がある。

この唯物論に立てば、地獄極楽は〃おとぎ話〃。人間は機械的存在で魂のようなものは否定され、人は死後、無になることになる。


【相対主義】
・絶対的な価値観や真理はなく、すべては相対的なものでしかない。
・人間が、絶対的な真理を知ることなんて到底できない(不可知主義)。

水が「冷たい」とか「暖かい」とかは、それぞれの人間が、自分の尺度(基準)で勝手に決めたものである。
だから結局、絶対的な真実として、「水が冷たい」とも、「水が暖かい」とも、決して言うことはできない、
そういう結論になる。

これにしたがって考えれば、「善」や「悪」についても同様のことがいえる。

ある国(人)では、「善」である行為が、別の国(人)では、「悪」だったりする。
極端な話、旅客機をハイジャックして、アメリカの高層ビルに激突することを大多数の人は「悪」と感じるが、一部の人たちにとっては英雄的な行為「善」だったのである。

したがって、誰かが「善だ」「悪だ」と言っても、それは自分を基準にして勝手に大騒ぎしているだけであり、つまるところ、「あの水が冷たい」という言葉が絶対的な真実ではないのと同様に、「あれは善いことだ」も「あれは悪いことだ」も、絶対的な真実として言えないのだ。

だから、
「人を殺すことは、絶対的に悪だ」なんてことも言えないのである。

要するに、
「絶対的なものなどない」という主張である。その考え自体、絶対的なものかどうかという自己矛盾をはらんではいるが、大筋において、今日、多くの人に支持されている考えである。

ここからは因果の道理が大宇宙の真理であるなど、「信じられませ~ん!」ということになるのだろう。


【ヒューマニズム】

一般に、ヒューマニズムといわれているものを概括してみます。

ヒューマニズムは、超自然的な存在を否定し、理性・倫理・正義を信奉し、神など、この世を超越した存在への信仰を要さずに、人は虚無的に陥らず、道徳的たりえるとする立場の総称。
盲目的な信仰・教条主義・啓示・宗教的道徳の代わりに科学的手法による真実の探求が奨励され、「科学的ヒューマニズム」という言い方もされる。

「僕が僕であるために~♪」という主張も、こういうヒューマニズムに根ざしていると考えられる。



以上、見てきたように、浄土真宗の学者たちは、近代以降、これら【実証主義】【唯物論】【相対主義】【ヒューマニズム】などの新しい思想の挑戦を受けて惨敗し、教義を曲げて仲良く同調していったのでしょう。
それは今日、親鸞会が親鸞聖人の教えを明らかにしようとすればするほど、浄土真宗のはずの人たちから上記のような非難攻撃を受ける事実からも明らかです。


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