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真宗界の崩落の歴史(6)王様抜きの将棋

2010-06-04 20:46:14 | Weblog
近代以降、西洋から流入した思想に、当時の真宗界はすっかり足元をすくわれた。恐らくそういう表現がピッタリなのだと思う。
江戸三百年間に、錚々たる学者たちによって整理されてきた真宗学は、他宗や異端者との法論においては絶対に負けない、完璧な理論体系にはなったけれど、昨日書いたように、外圧には案外もろかったのである。

それは相手が想定外だったためだろう。

仏典の権威を認めない、因果の道理を信じない、宇宙空間を真の実在と信じ、弥陀や浄土の存在も信じなければ、死後の浄土往生も信じない、そして科学や哲学を武器に、理性に揺さぶりを仕掛けてくるような相手は明治以前にはなかったはずです。

そういう者たちの、理性を軸とした論調が、新しい時代をもたらすものとして歓迎される一方、伝統にどっかり腰掛け、生活の安定をつかんだ代わりに布教意欲を失くした僧侶たちは、古き社会の形骸、時代の落伍者、という印象に変わっていった。

そして今日に至っては、僧侶をだれも社会の先導者とは認めず、その言うことも、生き方、考え方の一つとして参考にする程度で、生死の一大事をかけ、真剣に耳を傾けるような人はいない。

つまり教えが、この頃から「人生の目的」から「生き方」へスライドしたのである。
「なぜ生きる」の抜けた、「どう生きる」という教えになってしまったのだ。

「どう生きる」。「生き方」なら人それぞれであり、信じるも自由、信じないも自由、求めるも自由、求めないも自由、科学で実証されようがされまいが、その教えをその人がいいと思うならそれでいいのであり、だれもとやかく言う必要はない。
だから仏説を、「人生の目的」から、「生き方の教え」へシフトさせることで、科学や哲学など新しい思想との正面衝突を回避したのだろう。

だが「浄土往生」という仏教究極の目的が抜けてしまった浄土真宗は、まさに王様抜きの将棋を始めたようなもので、このあと、言う事なす事がことごとくトンチンカンになっていくのである。

その悲劇的な事例を、戦時中の真宗界に見てみることにする。(つづく)



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