静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

唯物論への疑問(6) クオリア

2009-11-30 20:05:12 | Weblog
クオリアとは、つまり、目の前にある赤い林檎を見たときに私の意識にありありと現れる林檎の赤さ、のような質感(本人の内面的な体験)のことです。

人間の脳は、どれほど精緻に観察しても、そこにあるのは物質の化学反応にほかなりません。そこからどうやってクオリアが生ずるのか?

この「クオリアの起源 」という問題は、1990年頃、哲学者デイヴィッド・チャーマーズにより提起され、「人間の意識なんて、脳という機械の産物であり、この機械の仕組みを解明すれば、人間の意識の起源も解き明かされる」と楽観的に考えていた脳科学者、物質主義者たちに、大きな衝撃を与えたといわれます。


脳科学者として知られる茂木健一郎教授も、こういうことを言っています。

「脳科学の知見は飛躍的に増大している。その発展ぶりは、まさに脳科学ルネッサンスと呼んでもいい状況である。このような近年の脳科学に対する関心の高まり、そして脳科学のさまざまな「成果」を耳にしている人々は、脳科学が、実は深刻な方法論上の限界に直面していると聞いたら、驚くかもしれない。

しかし、脳を理解するという人類の試みは、実際絶望的と言ってもよいほどの壁にぶつかっているのであり、その壁が存在すること、それを乗り越えることがきわめて困難であるという事実を、世界中の心ある研究者は理解しているのである。

その壁とは、すなわち、なぜ、脳の中の神経活動によって、私たちの意識が生み出されるのかが、皆目わからないということにある」
(『意識とはなにか』茂木健一郎)

脳科学者をして「皆目わからない」と匙を投げさせているこのクオリア問題を、次回、整理してみましょう。(つづく)