2011年9月25日 説教要旨 コリント人への手紙第二12章9~10節
パウロは生粋のヘブル人(ベニヤミン族)で、パリサイ人(ユダヤ教の主流派)であり、若い時からサンヘドリン(国会)の議員でした。彼はとても有能な人で、かつてはその熱心さのゆえにクリスチャンを迫害した人でした。しかし、復活のイエスに出会い、劇的な回心をし、大胆にイエス様を述べ伝える者になりました。その後、迫害の中で第3の天(天国)に行くという特別な体験をしました。しかし、その時から、高ぶることのないように肉体にとげ(病気)が許されました。彼は病気をいやしてくださるよう、真剣に神に求めました。宣教にも妨げとなるような厳しい病いだったことがガラテヤ書に書かれています。
しかし、その時に神は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と語られました。神は恵みを十分与えていると語られ、パウロが病を負っているままで、力強く用いていかれました。それはパウロの力ではなく、神の力の現れでした。パウロは「キリストの力が私をおおうために、むしろ喜んで私の弱さを誇りましょう。」と言っています。パウロは自分の弱さのところに神の力が完全に現わされることを体験して、弱さを受け入れ、感謝し、弱いことを誇っていったのです。神は真に弱さを知っている人を用いていかれます。私たちも弱いところを嘆くのではなく、戦うのでもなく、感謝をし、信仰の対応をしていきましょう。また、弱い時、パウロが真剣に神に叫んだように、私たちは神に求め祈るようになります。かつて、ヨシャパテ王が叫んで祈った時に神は預言を通してことばを与えられ、圧倒的な勝利を受けて行きました。多くの場合、私たちは弱い時に、神はことばを与えてくださり、、確信を与え、問題の解決や、勝利を与えてださいます。私たちの群れ(教会)は宣教の第2ステージに入りました。救いの実を見ていく働き、約束の成就を受ける歩みですが、弱さを覚えることが許されます。さらに神により頼み、祈り、主の確信を頂いて進んでいきしょう。
パウロは生粋のヘブル人(ベニヤミン族)で、パリサイ人(ユダヤ教の主流派)であり、若い時からサンヘドリン(国会)の議員でした。彼はとても有能な人で、かつてはその熱心さのゆえにクリスチャンを迫害した人でした。しかし、復活のイエスに出会い、劇的な回心をし、大胆にイエス様を述べ伝える者になりました。その後、迫害の中で第3の天(天国)に行くという特別な体験をしました。しかし、その時から、高ぶることのないように肉体にとげ(病気)が許されました。彼は病気をいやしてくださるよう、真剣に神に求めました。宣教にも妨げとなるような厳しい病いだったことがガラテヤ書に書かれています。
しかし、その時に神は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と語られました。神は恵みを十分与えていると語られ、パウロが病を負っているままで、力強く用いていかれました。それはパウロの力ではなく、神の力の現れでした。パウロは「キリストの力が私をおおうために、むしろ喜んで私の弱さを誇りましょう。」と言っています。パウロは自分の弱さのところに神の力が完全に現わされることを体験して、弱さを受け入れ、感謝し、弱いことを誇っていったのです。神は真に弱さを知っている人を用いていかれます。私たちも弱いところを嘆くのではなく、戦うのでもなく、感謝をし、信仰の対応をしていきましょう。また、弱い時、パウロが真剣に神に叫んだように、私たちは神に求め祈るようになります。かつて、ヨシャパテ王が叫んで祈った時に神は預言を通してことばを与えられ、圧倒的な勝利を受けて行きました。多くの場合、私たちは弱い時に、神はことばを与えてくださり、、確信を与え、問題の解決や、勝利を与えてださいます。私たちの群れ(教会)は宣教の第2ステージに入りました。救いの実を見ていく働き、約束の成就を受ける歩みですが、弱さを覚えることが許されます。さらに神により頼み、祈り、主の確信を頂いて進んでいきしょう。