編者のつぶやき

川田文学.comの管理者によるブログ。文学、映画を中心に日常をランダムに綴っていく雑文

故郷

2008年05月14日 | Weblog
 このゴールデンウィークは、帰省した。5月に帰省するのは何年ぶりだろう。5月の東北は実にすがすがしかった。
 3年前に他界した祖母が、まだどこかで生きていてくれるような気がしていたが、今回の墓参りでやっと踏ん切りがついたような気がした。墓場というのは、静かで清潔な場所だ。わたしは、一生懸命墓石をぞうきんで拭いたり、周りの落ち葉を箒で掃いた。そして無臭で硬質な墓石の前で、私は、死ぬ寸前の祖母の激しい口臭を思い出していた。
 棺桶の中の祖母は、肩をしぼめるようにして目を瞑っていて、何の匂いもしなかった。しぼめるように肩に力をこめるのは、がんばり屋だった生前の祖母の癖で、私の癖でもある。ピアノのレッスン中、夢中になると、自然と肩が上がってくる。その度に、ピアノ教師に注意されるのだが、不思議と、棺桶のなかの祖母の姿が浮かび、充実したような哀しいような感覚に襲われるのだ。
 私は時々、会社からの帰りの夜道で、急に祖母に会いたくなって泣く。死んだひとは、星になるという。ほんのすこし前までは、そんなセンチメンタリズムをバカにしていたものだが、この星の一つが祖母だとしたらどんなにいいだろう!と想像すると嬉しいような気がしてくるから不思議だ。

 充実した思いで、故郷から帰った私は、5月5日の川田先生の誕生日を祝うため、お宅に訪れた。そこで、とても悲しい会話があった。安易に先生の家に訪れる合格者や学生、同僚の先生方、職員は、先生の著作をほどんど読んでいないので、先生を理解しない。先生がどんな文章を書いているのか知らない。どんな詩を書いたのかを知らない。先生の人間嫌いを知らない。映画や音楽、文学を愛していない。私はほとんど泣きたいような気持ちになっていた。
 それから数日間、私は激しい頭痛に悩まされた。祖母にその一部始終を話して聞かせる様子を想像する。祖母は訳もわからずにニコニコと聞いてくれるだろう。そして私は言う、「こんなこと言ったって、ばあちゃんには分からないよね!」祖母は、口臭を気にしながら小声で言ってくれるだろう。「いいや、わかるよ。わかる。」