タイトルの文字は、カンフー映画の名台詞です。
外国映画ですから、現地の言葉か英語で語られます。
本当にこう言ったのか、調べていませんので曖昧です。
映画の字幕は”意訳”ですから、翻訳家の気持ち次第。
でも、違った言葉でも構わないのです。
視聴者が感動すれば結果オーライでしょう。
どうせ暇潰しのエンタメです。
問題が有るとしたら、反日文化の映画である事でしょう。
今ならネトウヨに大騒ぎされて、上映さえされないかも。
実際に右翼やネトウヨに騒がれて、話題だけ残して未上映の作品もあります。
小説が文字で描かれる作品です。
映画は映像なので、最小限の会話で構成されても伝わります。
漫画はその中間でしょう。
テレビドラマは、画像を見ないで過ごす”ながら”が多いです。
なので漫画と小説の中間の作りをしています。
素人や関係者以外知らない事実ですが、特徴があるのです。
そこで同じようでも映画とドラマの脚本に、出発点の違いが生まれる。
平成になってだいぶ近づきましてけれどね。
その他の違いは、単発と連作の違いでしょう。
小説なら読み切り作品と、シリーズ物くらい違います。
漫画だって読み切りと週間連載は違う作りです。
週間と隔週と月刊に季刊と、間隔によって作りが変わります。
この辺りも、読者に関係ない違いですね。
週間連載と季刊連載は、読者の反応が作品に反映されがちです。
考える事と感じる事の違いが、媒体毎に大きく影響します。
なので新人賞に応募する場合は、完全読み切りの短編になります。
小説や漫画、映画もドラマも、その点は共通です。
次の見える終わり方を好みません。
ところがデビューして、売れっ子になると困るのですね。
投稿期間が長い程、読み切り脳になります。
初投稿でデビューすると、いきなり連載に取り組みますが読み切りの影響は薄い。
思考が固まる前に、連続の作風に慣れて成長します。
苦労してデビューすると、上手く行かなくて短命で終わる。
業界の都合で、大切な才能が切り捨てられてしまうのです。
これを新陳代謝と読んで良いモノか?
そう思うのです。
自分も何に取り組んでも上手く行かない。
苦労に苦労を重ねて今に至ります。
技を磨く程に、業界と乖離した才能に育ってしまうでしょう。
お店で売られるペットと同じく、若い程良いのです。
企業で新人を積極採用するのも同じ理由です。
即使える才能を積極採用と言う割に、汎用性や専門性を求めない。
欲しいのは真っ白な才能の余地なのです。
正しく、考えるより感じろ。
考えて知識を補完すると、上書きするのが大変です。
優秀な違う才能は邪魔なだけ。
世の中は、矛盾だらけなのですね。