LO(O)SE40!

緩く自由に色んな物をどんどん海に投げていく旅の始まり

正解が無いからと言って、何もしない理由にはならない。

2018年03月21日 22時32分59秒 | Weblog

先日、国会前のデモに初めて行って、官邸前にも行ける時は行ってます。ドン引く人もいるだろうな、自分でもビックリだ。
デモ自体好きじゃなかったけど、今のこの状況を打破するのに国民の声や動きを可視化する(頭数になる)事以外、何も持たない自分に出来る事が何も思い浮かばないので自然に足が向いてました。
あと、今の動きは言い出しっぺが誰であれ、デモの為のデモというか、オールドスクール左派の縦幟がやいやい立つデモじゃなく、仕事帰りや学校帰り、はたまた家族連れ、自分もそうだけど、普通の個人が普通に集まって来ているので、参加しやすくて心強いのは勿論、良い兆候だと思う。そして、官邸前や都心だけでなく、全国に広がってる。地方の駅前に一般人が自由意思で集まるのは10人、50人でも凄いことだと思う。

震災後の反原発、安保法制、SEALDs等、普通の人が集まるデモは過去にもあったけど、当時は全く興味なくて(言ってる事に賛同することとは別にデモ自体に)、そこまで自民党もバカじゃないだろ、何なら仕事帰り新橋に流れてくるデモ帰りの人にかち合うとうるさい位に思ってたけど、当時と今とは危機感がまるで違う。
そして、その危機感が野党もメディアも共有されて来た。当時から声をあげてた人には「いまさら」な気持ちもあるかもしれないけど、やっぱり中々、普通に生活に追われるなかでこの危機感を共有するのは、とても難しい。朝日新聞のスクープ、毎日新聞の参戦、野党の本気、その他メディアの焦り、やっと、普通に生活に追われる層に届き始めた。

政策に反対、反権力なんてものではなくて、これは国家存続の危機なんだと思うわけです。リアルタイムでオウム真理教と地下鉄サリン事件を見てきた身には、今の内閣のむちゃくちゃな逃げぶりと戦いぶりを見ると、追い詰められた上九一色村に見えるわけです。
あの時も最初は笑ってました。駅前でオウムが街宣してると一緒に歌って囃し立てたりしてました。信者と取り戻したい家族の揉め事も「そういう奴は取り戻しても他の新興宗教に行くかマルチに行くだろう」と冷めた目で見てました。
あのまま、オウムも一風変わった新興宗教団体でいれたかもしれない。けど、そうはならなかった。何でか?。自己愛はあるのに自己肯定感は低い、自己顕示欲はあるのに昇華させる自信や技術がない、又は自信も技術もあるのに社会性が無い、そんな人が大抵カルトやマルチに行くよなあ、と昔から思っているのですが、いわゆるそんな「自意識の高い系」が宗教に自己肯定間を埋めてもらい、オウムの中だけで王国を作り、国の政府と変わらないような役職を与え、熟成されて「自分達が理解されない世の中の方が間違ってる」と、新興宗教からカルト集団に変貌し、外に出てポアという名の殺人、テロ行為を起こすまでになった。
集団の意思なのか、尊師の意思かは分からないけど(マインドコントロール化にあって逆らえなかったとも言う)、嫌々だろうが、洗脳されてようが、やったことはやったわけです。

現政権とオウムがダブるのは、まず閣僚としての各担当省庁の管理・運営や国会議論、様々な委員会での課題解決、国民の声のフィードバック、そんな当たり前の政治活動が内閣府と言う閉じられた場所で物事が決まるようになって行き、国会は形骸化し、野党は無力で、メディアは与党に追従し、気が付けば、閉じられた王国の中で首相は御輿に担ぎ上げられ、調子に乗ってる御輿の下で担いでる手下は自分達やステークホルダーが好き勝手に出来るよう道を作り、首相夫人が中世の王妃の様な振る舞いで官僚たちが振り回されるまでになっていった。
ここまでが、オウムが王国を作りあげるまでと一緒。

勿論、現代でそんな無茶が永遠に続くわけがないので、どんどん無茶が漏れてくる。それが、去年からの一連の「森友学園問題」「加計学園問題」「レイプ揉み消し問題」「自衛隊日報隠蔽問題」と吹き出してきたのが昨年。諸問題が追求され始めても、与党は強気です。しかし、どんどん証拠は出てきて、支持率も下がってくると国会開催に応じなくなる。これはオウムが上九一色村にとじ込もって行ったのと一緒。
そして、国会召集したかと思ったら、まさかの解散。今思えばこれが最初のテロ行為。政治の暴力だと思いました。テロや暴力の例えが言い過ぎだとしたら、政治への冒涜と言ってもいいです。
そして希望の党の結党騒ぎがあり、野党は疑心暗鬼になって分断し、勝てた選挙を負けてしまった。三分の二以上の議席を渡してしまった。カルト政権の誕生です。国会含め王国にしてしまった。どれだけ新事実が出て突きつけられても、昔なら辞職や辞任ものだったスキャンダルが出ても、笑っていないしてるだけで良い。
テレビにはどうでもいいニュースばかりが踊り、真っ当な言葉は真っ当な言葉を欲して自力で取りに行かなければ得られなくなりました。何かが間違ってる。でもどうにもならない。でもこんなことが続くわけ無い。今の日本、特に都市部は思考停止して生きていくにはいくらでも生きていけます。とりあえず、毎日忙しいし、やること一杯あるし、暇もいくらでも潰せるし、日々垂れ流される情報を受けて、腹が立ったらつまらないニュースの炎上騒ぎに荷担すればいい。
そこで思考停止出来ない人は、くそつまらない愚民を尻目に能動的に情報にアクセスしそれぞれのビジネスやソーシャルワーク、様々なカルチャーに邁進し、それはそれで政治からは離れて行きます。そして、経済的な格差だけではなく、知の格差も広がろうとしている。その狭間でそれで良いのか?と自問する毎日が続いていた昨今。

それでもやはり、追求を続ける野党議員がいて、地道に情報請求する市民団体や学者さん、弁護士がいて、屈辱的な扱いを受けながら静かに力を蓄えて来た朝日新聞、羽をもがれてたメディアや封殺されてきた言論人、3/2朝日スクープ以降、足並みが揃ってきました。
王国の情報が、悪事が、外に出て来るようになりました。人も亡くなりました。去年感じた危機感は間違ってなかった。遅きに失したけど、遅かろうが早かろうが、おかしいものはおかしい。そのおかしさが、行政システムの破壊という恐ろしいものにまでなってしまった。

公開された森友事件の決裁書を見て、改竄された事も問題だけれども、役所と仕事した事のある人や、そこそこ大きな会社で社内稟議にかけるのに苦労して来た人は分かると思いますが、改竄前の色々盛り込まれた文書に悲しみや怒りを感じた人は多いと思います。
決裁書が決裁されて契約に至ります。契約書というのは、責任の所在を明確にして、後々何か起こった際に万難を排せるように、又は解決出来るように作られています。その為の決裁ですから契約した後に想定しうるリスクを明確にしなければなりません。
しかし、案件自体が責任の所在を明確に出来ないものだったので、それが一番のリスクでした。そして、リスク回避の為には何故そんな案件を通さなければいけないか盛り込む必要があった。実際にその作成作業で苦労した官僚の方々は安倍トモでも何でもない部下の方々でしょう。そして、作業部隊と安倍トモ上司に挟まれた管理職の方も神経がすり減ったことでしょう。それでもどうにかこうにか、通して、終わった。と思っていたら今度は、無理矢理通すために盛り込んだ箇所を削らなければならない。自分のミスでも無いことで。どっかの王国の人達の立ち居振舞いや失言のせいで。仕事にプライドのある人や真面目な人であればあるほど辛い局面だったろうと思います。これも政治の暴力だと思う。

たとえば、森友だけでこれ。他の諸問題も沢山の政治の暴力が行われていた事でしょう。で、なければリークも出ないし、裁判も起こされません。こうして、国会を見れば、首相は逃げの一辺倒です。正しいのであれば、誰を呼んで誰に話させても困らないはずですし、そもそも改竄当時の理財局長だった国税庁長官が辞任することも無かったでしょう。
もうとっくに詰んでいるのに認めない。認めない。認めない。認めない。あらゆる手を使って真正面から応じず済むようにあの手この手を繰り出しています。質の悪いショッカーを次々繰り出しては時間稼ぎをしているようにしか見えません。この今の状況を見て、上九一色村に重なるわけです。

オウムが坂本さん一家殺害事件や刈谷さん拉致殺害事件、松本サリン事件を起こして追求されても認めなかった。

そして上九一色村で機を待っていた。

安倍内閣がそこまでして守りたいもの、オウムがあそこまでして守りたかったもの。それが同じなのかもしれないと思えて来る。王国の住民にはそれまでの悪事がばれたら罰せられるというのもあると思う、首相や夫人にしてみれば(オウムの場合は麻原と一部の幹部や信者)、自分達の物語が崩壊してしまう、向き合いたくなかった自分の中にいる王でも何でもない自分と向き合わなければいけなくなってしまう。
安倍さんも昭恵さんも良い人だと友人知人の方々は言うし、実際良い人なんでしょう。良い人だろうが、悪い人だろうが、逃げれば捕まる。自分から逃げ続けた人は必ず自分に捕まります。それは大変に苦しいことだと思いますが、苦しい思いをしなければ自分を受け入れられないし、そこで権力を使って逃げ続ければ、権力を行使された側が政治の暴力に苦しむことになります。

あの去年の総選挙で小池百合子都知事が希望の党の騒ぎを起こして結果的に安倍政権延命の最大功労者になったように、今回も東京都迷惑防止条令の改正をぶち上げ、権利を求めて声を上げるような行為を時の施政者の判断で捕らえられるような拡大運用出来る内容になっていて、審議時間もろくにとらずに採決に持ち込むナイスアシストぶりです。

一年かけて、政治の暴力に慣らされてしまいそうだった自分には、もうここで更なる暴力に耐えられないし、ここまで行政システムが破壊されてしまったら、行政に連なる個々人の生活も破綻してしまう。

最初は笑って見てたオウムもあんな事をしでかすとは思わなかった。そして、どうしてあんな事になったか、どこかでどうにか出来なかったのか、自分の中にもあっち側に行ってしまってた可能性があるんじゃないか、答えの出ない問いがある。でも、答えが出ないからと言って、分かった振りでやり過ごしたり、忘れてしまおう、そうしてる内に時代はさらなるモンスターを作り上げてしまった。
答えが出ない問いは、考え続ける。それが、私の答えです。デモが正解じゃないかもしれない、かといってそれが何もしない理由にはならない。どんな事があっても日々は過ぎるし、人生は続きます。この後も続く自分の人生のために、今これ以上の崩壊を止めるために、他に策が見当たらない。
祭りをぶち上げて思い出で終わるようなデモにしてはいけない。デモの為のデモのような自分達の価値観を確かめ合うような集まりでもない。モンスターの暴走を止めるために、無力な個人が出来ることは目に見える数を作る事だと思う。さかなのスイミーのように。

出来れば夜は早く家で寝てたいし、他にしたいことも仕事もあるから体力的にもきつい。短期戦であることを切に願う。安倍内閣総辞職したとして、多分その後も、むしろその後の方がまた長い戦いが始まると思うのですよ。

とはいえ、自分が楽しむことを奪われたくないし、いつでも隙あらば楽しみたい。
本当に、楽しく生きるのは命がけ。

頑張りましょう。おやすみなさい。


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