LO(O)SE40!

緩く自由に色んな物をどんどん海に投げていく旅の始まり

川崎ツアーズ②

2018年09月12日 00時09分03秒 | Weblog
さて、前回の続きです。

産業道路を越えて、扇島に行き工業地帯を抜けて人工砂浜のある公園へ。台風前(9月4日でした。)に来る所ではなかった。強風、強風、たまにザッと雨。海と空と工場と倉庫とプラント、果てしなくグレー。人通りゼロ。わんわん広場もわんわんゼロ。馬鹿が三人、爽快です。
この辺りは若い頃に奴隷バイトで来たことがあるけど、町に人の気配が無いのに建ち並ぶ工場や倉庫の中に入ると、沢山の人が働いていて、うるさくて、暑い。で、色んな国の人や言葉が飛び交ったり、なかなか普段聞けないような罵倒やギャグも激しかった。
でも、外からは見えないし、朝晩バスに詰められて行って来いで解散して、いつも不思議の国に行くような感覚だったのを思い出しました。

川崎は南北で雰囲気が違って北は田園都市線沿線に代表される豊かな住宅街、南は川崎駅より更に南下〜工業地帯辺り。磯部涼氏のルポ川崎で舞台になっていた桜本や池上町もこの辺。てな訳で、そのまま池上町方面へ。

ルポ川崎を読んだ時も思ったけど、結構懐かしいこの雰囲気。昔はまだまだ下町と貧しいといい加減とヤル気がぐっちゃぐっちゃになったような、こういう汚くて臭くてぎゅうぎゅうの路地や住宅街って結構あった気がする。
都内だったら大崎もあんな再開発始まる前はゴチャゴチャしてたし、銀座九丁目の裏通りの方とか、西新宿から柏木の方とか、高校生の時初めて三河島に住む友達の家行った時もこんな感じした。横浜だったら日ノ出町、寿町とか福富町とか。私が子供の頃住んでいた鎌倉でもここまで町じゃなくても建物と建物が身を寄せ合うような一画はまだあった。

在日朝鮮人の人達や、他県からの出稼ぎ移住者が住み着いたのが町のルーツっぽいのだけど、川の方へ追いやられて寄り添って出来た感じが、そのまま建物も寄り添う様に隙間なくびっちり町になった感じ。人の家の軒先抜けて通りが繋がってるとか、区画とか権利とかどうなってるんだろうか?と思う「ここ俺んち!」で建てちゃった者勝ちで出来てしまったような。
台風前の平日の日中てのもあったんだろうけど、家々が密集した中を歩いていても静かでした。死んでないか心配になる。写真撮りながらウロウロしてても誰も出て来ないし、出くわさない。たまに猫が離れた所からじっと見てるくらい。
こういう町は突然町ごと再開発で消えたりするので、今あるうちに美味しいという焼肉屋も行きたい。どう見てもアパートの一室だった見てくれからして外さないと思う。言われなきゃ、焼肉屋と分からない、やたらいい匂いのするただのアパート。ダクトとか路地に面してて危険で最高。

FUNIさんはアテンドしつつ、思い出を掘り起こしつ、よーじ君は見るもの新鮮な小学生の様にシャッターを切りつつ、私は懐かしさと、やっぱりこういう町は共産党と公明党のポスター多いな、とか思いつつ、思い思いにワシワシ路地を抜けて遠足終了。
一度車を置いて、工場に挨拶して、バスに乗って川崎駅方面は昼間から空いてる安酒屋がゴール。
続きはまた。


バラの棘を利用したエコロジーさわるな危険

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