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桃とかなへび

いらっしゃいませ。

「マチネの終わりに」と「ある男」

2024年11月18日 | ブックエンドとスクリーン
秋田から帰って風邪をひいた。なんにもできずテレビの前に座って、撮りだめしていた映画を一日一本ずつ見た。私の場合録画して1年以上見てないなんてザラ。
そのうちふたつの原作が平野啓一郎さんだった。

「マチネの終わりに」
スランプのギタリスト蒔野とパリ在住の記者洋子の、出会いと長い長いすれ違いを経た後の再会の物語。ドラマとしての出来は以前劇場で見た人に聞いていて、確かにテレビ画面で十分な気がした。すれ違いのくだりは50年前のメロドラマぽくて、妙な懐かしさを覚える。しかしBGMにギターの曲が沢山流れて、それに耳が持っていかれる。これは映画館気持ちいいだろう。原作を読んだというギターの先輩は、とてもよかったから映画は見ないと言ってて、なんとなくそれもわかる気がした。

「ある男」
これは日曜日の合奏帰りのドライブ中に聞いたFMヨコハマで紹介されていた映画。
宮崎の田舎町、バツイチ子持ちの里枝は、ふらりとよそから来て林業に携わる大祐と仲良くなり再婚、子どもも生まれ幸せに暮らしていた。しかしある日、大祐は仕事中の事故で亡くなってしまう。大祐の兄が初めて家を訪れ遺影を見て、これは弟ではないと言う。ではこれは一体誰なのか? 里枝は離婚した時に世話になった弁護士に調査を依頼する。
戸籍の売買や交換や乗っ取りを取り上げた小説やドラマはいくつもあって、名作も多い。これもそのひとつだろう。俳優が豪華で、それだけで一段と深い。真相を追う弁護士の深部も浮き上がるところなど、松本清張のようでもあった。

映画を2本見て、映画館でなくテレビで見た、ということを差し引いても、私は小説を読む方が合っているようだ。平野さんの原作が、より文学的なのだとわかる映画だったのかもしれない。


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