堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

…囁紀…より

2012-10-27 16:33:44 | 日記
…囁紀…『…坊さんで、坊さんに成る前から不動尊信仰のオレが言うのも何だが、北海道は札幌で生まれ幼稚園に入る前に江別市大麻に引っ越し 育ったオレが、いつから【宗教信仰】に反感拒否感嫌悪感を持つ様に為ったか……【無宗教無信仰無神論】な傾向に為り【自然信仰祖先崇拝】が薄く為って行ったのか……考えて観る……。


祖父・曾祖父は樺太の豊原神社で神主をして居た……【伴雄三郎】氏である……
石川県から樺太に行ったとか……金沢の大乗寺に伴家御先祖の墓が在り、御参りに行った事有り……。父親は公務員で神主では無い……。


さて、我が家は仏壇(樺太から引き揚げてから神道以前の宗派に戻ったそうな…。)は在ったが昔はそんなに信心深い家では無かったと思う……。


札幌から江別市に引っ越した時最初に住んだのは大麻小の前の団地に住んで居た……
隣りが神社であった。

…よく神社の境内で遊び豆林檎(ヒメリンゴ)の木に登ったりして居た…
たまに、神社裏の道に在る側溝で蚯蚓を採り釣りの餌にして居た……。
近くの中央公園や通称厚別川・厚別新川(ガキの頃の地名の付け方は今思えば怪しい…。)


寺や墓や御堂や道祖神は、幼稚園児や小学生低学年の行動半径には無かった……。

神社には馬頭観音三体と石碑が在った……。
馬頭観音も当時は境内の林に並んで居た気がする……。

特に地域の長老に、『神様仏様には手を合わせるもんじゃ!』と言われた記憶は無いが、石碑や馬頭観音石仏を観て『御墓かな?』と思い手を合わせた事がある様な気がしないでもない……。


ガキの頃は神社で遊んで居たせいか、神社を宗教信仰と言う眼で見た事は無かった……。

また、月参りで坊さんが仏壇に向かって、御釈迦様や御先祖様に御経を唱えて居ても、宗教信仰と意識した事は無かった……。
坊さんの後ろで正座したり合掌はしてた気が……。


小学校低学年位時は、『宗教信仰は困った時に勧誘され入会し大金取られ戦争の原因と成る!』と言う意識はまだ無かった……』

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