堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

〈雑言〉

2011-06-06 15:17:31 | 日記
蝉と蛙の合唱団が交互に歌う!

つまり、晴れたり雨降ったり、繰り返しの御天気様なんだな。

おや!
雷様も呟き始めた……。

ごどごどごどど
どどどどぅ

雨も強くなって来た。

空豆七粒蒔いた。

〈雑言〉

2011-06-06 07:00:39 | 日記
最近、北海道の中でも北海道の物事人時場所について、道産子の気質性質について、北海道の政治・経済・軍事・福祉・人権・環境・教育・文化(伝統、芸術、音楽、文学、武道格闘技スポーツ、其他習い事など)・信仰・其他について、地元の歴史、北海道全体の歴史、道央と其周辺部と道南、太平洋側日本海側オホーツク側の歴史、都会地方、港町と平野部、先住民のアイヌ民族と移住者の和人と朝鮮人と諸外国人、表側と裏側、本州と北海道と沖縄、中央と北海道、そして日本史、世界史、他国史を比較対照しながら考えて観る人が増えて来て居る。

自分とは、地元とは、何か?考えて観る人が増えて来て居る。

北海道には、本州や諸外国程の暗黒史、歴史の闇や裏や暗部が無いかの様に思われて居たが、北海道史や地元史を、歴史研究者やジャーナリストや芸術・演劇・音楽・文学・写真・映像・其他の方々が、段々と興味を抱き掘り下げ、背けず逸らさず観て考える様になってきて居る。

地元の天災戦災人災疫病についても興味を持ち、地元史を洗い始めて居る、調べ知り確認把握し始めて居る。
それは、此先将来未来の為の、改善解決修正修復抑止抑制防止予防に繋がる。

地元史を調べ知る内に、図書館の郷土資料だけじゃなく、地元の長老に生の話しを伺い、神社や寺に往き着く様に成る。

地域の無人の御堂や祠や石仏道祖神や記念碑や供養塔も、地元の歴史(天災人災戦災疫病、治安維持、環境保護)に関わって居る事を知る。

地元の歴史、北海道の歴史、其流れ成り立ち、違い善し悪し一長一短を調べ知る事が、地元が善く成る事に、此先将来未来に繋がる。

〈雑言〉

2011-06-06 06:55:46 | 日記
道が文化発信受信の脈と成り、場所が文化発信受信の基地と成り、人が文化発信受信の拠点と成る。

人が想う語る動く身口意の強さ高さ深さ広さ鋭さ正心誠意純粋さは、発信受信の強さに比例する。

発信し続ければ、道を通り人が来る。

道を通り来訪者は熱意を持ち帰り熱を伝え、こちらも道を通り熱意携え熱を蒔く。

道を行き交い、交流が始まる。
交流の中で、此道で共通の礼節礼儀道理道義道徳を、教わり学び気付き覚え活かし使う様に成る。

道を抜けて知られざる世界へ向かう。

道を如何に活かし生きるかは、大事大切である。

好きな音楽一つ取って観ても、音源映像より、生で体感したいさせたい事が有る。招き寄せ呼べば道を通りはるばる来て頂ける。

道を通り知らない文化が運ばれて来る。
道を通りこちらの文化を知らせに行く。

道を行き交い互いの名前が伝え広がる。

祈りも道を通り染み入る。巡礼の道には至る所に想いの痕跡が、観てとれる。

道には、物事人時場所の歴史が在る。
道には、政治経済軍事福祉環境教育文化信仰の歴史が在る。

道の長さ短さ広さ狭さ緩さきつさ支線の多さ少なさは、物事人時場所に影響し、政治経済軍事福祉環境教育文化信仰に影響する。

道を通り様々な文化が運ばれて来るし、こちらから運んで行く事もある。

同時代を、〈生〉で観て聴いて感じたければ、道を通り自ら出向くか来て頂くか、である。

道は、使い方次第使い分け次第使い勝手次第使い心地次第。
道は、使い様である。
道を通り善く成る、道を通り悪く成る。
何れも在る事、忘れず捨てず覚え置く。

道一つ出来ると個人集団の生命生命人生が変わる。

道に陸海空路在り、手紙電話電波ネット在り。
どの道を、如何に活用するか、考えて観る。