もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

8 067 池井戸潤「ノーサイド・ゲーム」(ダイヤモンド社:2019)感想5

2019年07月18日 02時47分28秒 | 一日一冊読書開始
6月17日(水):  

402ページ       所要時間8:40        図書館

著者56歳(1963生まれ)。

日曜9時のドラマ第2回を見て、その原作として手に取った。結局、二日間、8:40をかけて一気に読み切った。素直に面白かった。

物語りの筋立て自体はとても単純である。話ができ過ぎていて「そないにうまくはいかんやろう!」とツッコミ箇所満載なのだが、とにかく話の展開のテンポが良く、とんとんとんと進んでいくのが気持ちが良い。涙が流れることはないが、適度に意外な展開(ドンデン)がちりばめられていて深くはないが楽しい気分にしてくれる。

痛快で典型的勧善懲悪・因果応報の物語りに気持ちよく浸ることができた。スカッとする。カタルシス。著者は稀代のストーリーテラー、読本作家、現代の滝沢馬琴と言えるか。著者の本が、少し昔の貸本であれば、大勢の借り手がついただろう。

「原作が面白いドラマは必ず面白い!」の法則で日曜ドラマはきっと面白くなると思うので最後まで録画する予定だ。

【目次】第1部 ファースト・ハーフ :プロローグ /第1章 ゼネラルマネージャー /第2章 赤字予算への構造的疑問 /第3章 監督人事にかかる一考察 /第4章 新生アストロズ始動 /第5章 ファーストシーズン /エピローグ
第2部 ハーフタイム :
第3部 セカンド・ハーフ :第1章 ストーブリーグ /第2章 楕円球を巡る軌跡 /第3章 6月のリリースレター /第4章 セカンドシーズン /第5章 ラストゲーム /ノーサイド

【内容情報】未来につながる、パスがある。大手自動車メーカー・トキワ自動車のエリート社員だった君嶋隼人は、とある大型買収案件に異を唱えた結果、横浜工場の総務部長に左遷させられ、同社ラグビー部アストロズのゼネラルマネージャーを兼務することに。かつて強豪として鳴らしたアストロズも、いまは成績不振に喘ぎ、鳴かず飛ばず。巨額の赤字を垂れ流していた。アストロズを再生せよー。ラグビーに関して何の知識も経験もない、ズブの素人である君嶋が、お荷物社会人ラグビーの再建に挑む。

8 066 塚田祐之「その情報、本当ですか?」(岩波ジュニア新書:2018)感想2

2019年07月14日 14時26分58秒 | 一日一冊読書開始
7月14日(日):  

245ページ      所要時間1:20      ブックオフ66円

著者66歳(1952生まれ。)2016年NHK専務理事退任。

肩書を見て、読むのを躊躇したが、岩波ジュニア新書を信じて読んだ。残念ながら負の予想が当たった。巨大組織に胡坐をかいて、言い訳と自慢話を連ねてばかり、自らを反省する姿勢はポーズだけ。批判精神のかけらもない。高いところからのお言葉などいらない。この程度の内容は、他の本で十分に知ることができるので本書が書かれる必然性は全くない。

中学生、高校生をだますために書かれた本のようだ。

NHKは不偏不党のジャーナリズム精神と高い番組制作力を生かして、確かな情報を伝えるとともに、人々が自由に意見交換できる開かれた広場の役割を果たし、視聴者のみなさんから信頼され、支持される「公共放送」として、さらに力を発揮していかなければならないと思います。それを支えるのが、公共放送で働く職員の使命だと私は考えてきました。197ページ」だそうである。どの口が言うのか。

アベ自民・創価学会への忖度ばかり、そしてアベに7時と9時のニュースを毎回長時間乗っ取られ、アベの手先である岩田の噓八百のヨイショ解説をさせてるくせに…何が不偏不党だ。ちょっと腹立ってきた。まず、自らを省みて直くんば発言せよ。でなければ恥を知れ。

8 065 齋藤孝「座右のニーチェ 突破力が身につく本」(光文社新書:2008)感想3+

2019年07月13日 02時36分58秒 | 一日一冊読書開始
7月12日(金):  

222ページ       所要時間2:20       何故か?蔵書

著者48歳(1960生まれ)。

「ツァラトゥストラ」は、ニーチェ版「聖書」だそうだ。知識ではなく諳んじる血肉として読まれることが望ましいそうだ。若い時から、ニーチェには関心があった。本書を通じて、少しだけニーチェに接することができた。本当に少しだけだ。坂口安吾とニーチェを並べて論じてるのに既視感があった。

著者は、年間40~50冊の著作をものしているそうだが、本書は自分が気に入っているニーチェの言葉に気楽に解説と世間で流布されている手柄話をちりばめた感じの内容である。非難している訳ではない。その程度の本だということを述べているに過ぎない。

たくさん付箋はしたので、持ち歩いた時にでも線を引いて読み直してみたいと思う。今回の眺め読みでは、あまりピンとこなかった。

ツァラトゥストラとは、ゾロアスター教の開祖の名前であるザラスシュトラ(ゾロアスター)をドイツ語読みしたものである。(ウィキペディア)

【目次】第1章 一本の矢になれ(目指すは憧れの矢/自画自賛力/愛せないなら通り過ぎよ/ルサンチマンから逃れよ/嫉妬を消し去れ/友ならば敵であれ/頼りない友人ならいらない/原罪の概念を蹴飛ばせ/平等を説く者は毒ぐも/逃れよ、君の孤独の中へ)/第2章 一瞬を生きよ(瞬間を生きよ/偶然の力/これが生だったのか、よし、もう一度/最初から飛ぶばかえいでは、高くは飛べない)/第3章 肉体の声を聞け(踊る神を信じよ/肉体は本来のおのれ/大河にならねばならぬ/エネルギーの元栓を開けておけ/大地に忠実であれ)/第4章 過剰を贈れ(太陽の光/蜂蜜たれ/知恵は贈り物/祝祭の技を習得せよ/リーダーの危険は、羞恥を失うことだ/師弟関係を卒業して、友になれ/読書する怠け者)/第5章 クリエイティブに生きろ(力への意志/身体の内側から感動する力/評価というクリエイティブ/自分が回りたいから回るのだ/運命を浴するか/風を受けよ/エッジを走る人を敬え)

【内容紹介】ニーチェに触れると、心の垢がみるみる落ちる。克己心に煽られ、一本の矢のように生きてみたくなる。
私にとってニーチェは、体系的に研究すべき対象というわけではない。研究したいと思ったこともない。ニーチェ自身は、思想を理解してもらうことより、「このことばが僕の今を、明日を、明るく照らしてくれた」と思われることを喜ぶタイプである。逆に、「あなたの本をいろいろ勉強して、知識を貯めました。だいたい、このようなことですね」と、ニーチェの思想を愛さず、要約するような人間にニーチェは失望する。肉体性を以て読む。それが本書のミッションだ。(あとがきより一部改変して抜粋)

8 064 藤田孝典「貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち」(講談社現代新書:2016)感想4+

2019年07月12日 01時56分07秒 | 一日一冊読書開始
7月11日(木):  

222ページ       所要時間2:25       古本市場86円

著者34歳(1982生まれ)。社会福祉士。

日本は深刻な衰退状態にあり続けている。国家として未来の展望はほぼ行き詰まっている。何が問題か、どうするべきかは明白だ。それは本書に書かれている。端的に、是正のための財源はないのではない。「(富裕層から)取らないから、ない」のである(197ページ)。

本書に挙げられた内容、事例は具体的でわかりやすい。言いたいことが明快に伝わってくるが、いまいち心に響かない。眺め読みだからというのではなく、本書で投げられたボールの受け手の存在をイメージできないのだ。今の政府は、本書の内容を歯牙にもかけないか、敵視・攻撃するだけだろう。

大方の読者も「言ってることはわかるが、さて…どうしたものやら。どうなるものやら」空振り感を持つ気がする。これは、著者のせいではない。今の日本の政治状況が反映しているのだ。

今の自公政府のままでは、何も変わらない。結局、<政権交代>させるしかないのだ。これだけひどい若者の貧困世代、下流老人を生み、追い詰められているのに怒り方を知らない<ゆでガエル>状態の日本人というのは、もう終わってしまっているのかもしれない。今後10年間以上、大量の外国人労働者という最貧困層を抱えることで日本社会の貧困世代、下流老人をめぐる情勢は悪化こそすれ、改善は見込めない。

アベ自民と創価学会の罪は深重だが、<ゆでガエル>状態で何もできないで貧しく衰えていく日本・日本人は哀しい。

【目次】第1章 社会から傷つけられている若者=弱者(栄養失調状態で駆け込んでくる/事例1 所持金13円で野宿していた伊藤さん(21歳男性) ほか)/第2章 大人が貧困をわからない悲劇(あまりにも「しんどい」/ソーシャルワークという方法 ほか)/第3章 学べない悲劇ーブラックバイトと奨学金問題(ブラックバイトの発見/「殺してやるからな」 ほか)/第4章 住めない悲劇ー貧困世代の抱える住宅問題(住宅政策の議論は希薄/住宅は最大の福祉制度である ほか)/第5章 社会構造を変えなければ、貧困世代は決して救われない(アセスメントを最重視せよ!/生身の若者に接する大切さ ほか)

【内容紹介】学生はブラックバイトでこき使われて学ぶ時間がない。社会人は非正規雇用や奨学金返還に苦しみ、実家を出られない。栄養失調、脱法ハウス、生活保護…彼らは追いつめられている。

昨年『下流老人』が20万部超えのベストセラーとなった著者の新書第2弾!今回は若者の貧困に着目し、「一億総貧困社会」をさらに深く読み解く。これまで、若者は弱者だとは認められず、社会福祉の対象者として扱われなかった。本書では、所持金13円で野宿していた栄養失調状態の20代男性、生活保護を受けて生きる30代女性、脱法ハウスで暮らさざるを得なくなった20代男性などの事例から、若者の貧困を分析する。
 「貧困世代(プア・ジェネレーション)」は下流老人よりも悲惨だ!
 「現在の若者たちはもはや、ロスト・ジェネレーションのような一時的な就職難や一過性の困難に置かれているのではない。雇用環境の激変を一因とする、一生涯の貧困が宿命づけられている。
  若者たちは何らかの政策や支援環境の再編がない限り、ワーキングプアから抜け出せないことも増えてきている。
  ここでわたしは、現代の若者たちは一過性の困難に直面しているばかりではなく、その後も続く生活の様々な困難さや貧困を抱え続けてしまっている世代であると指摘したい。彼らは自力ではもはや避けようがない、日本社会から強いられた貧困に直面している。日本史上でも類を見ない、特異な世代である。
  だからこそわたしは、彼らの世代を、『貧困世代(プア・ジェネレーション)』と総称することにした」(「はじめに」より)
  大多数の若者たちは、現代日本の社会構造のおかげで、夢や希望を叶える活力を持ちながらも、それを生かせずにもがいている。しかも悪いことに、若者たちは支援が必要な存在だと認識されておらず、社会福祉の対象としては扱われてこなかった。/ 貧困世代約3600万人はまるで、日本社会がつくった監獄に閉じ込められている囚人のようである。
 若者は働けば収入を得られる、若者は家族が助けてくれる、若者は元気で健康である、昔の若者のほうが大変だった、若者の苦労は一時的なものだ・・・・・・こうした「大人の言説」はすべて間違っている。/ 本書では、所持金13円で野宿していた栄養失調状態の20代男性、生活保護を受けながら生きる30代女性、ブラック企業でうつ病を患った20代男性、脱法ハウスで暮らさざるを得ない20代男性の事例などの、筆者自らが聞き取った体験談を分析し、いかに若者が社会からこき使われ、疲れ果て、貧困に至っているのかを書き尽くす。/ 貧困世代のつらさを全国民が深く理解し、いびつな社会構造を変えなければ、下流老人も含めた日本固有の貧困問題は絶対に解決しない。

190709 一年前:180708 大河ドラマ「軍司官兵衛」(2014)コンプリート!感想5 痛快の一語に尽きる!

2019年07月09日 22時48分23秒 | 一年前
7月9日(火):
180708 大河ドラマ「軍司官兵衛」(2014)コンプリート!感想5 痛快の一語に尽きる!
7月8日(日):   この数日、大河ドラマ「軍司官兵衛」(2014)の録画DVDを延々と見続けていた。何度目かのはずだが、まったく新たに観た気分だった。織田信長、荒木村重、清水......


190709 二年前:6 079 中村哲「天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い」(NHK出版:2013)感想特5

2019年07月09日 22時44分40秒 | 一年前
7月9日(火):
6 079 中村哲「天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い」(NHK出版:2013)感想特5
2017年07月05日 01時27分38秒 | 一日一冊読書開始

2017年7月4日(火):         


254ページ   所要時間9:45      図書館→途中でAmazon発注1568円(1311+257)著者のサイン入り本だった。嬉しい!!  

著者67歳(1946生まれ)福岡県生まれ。医師・PMS(平和医療団・日本)総院長。九州大学医学部卒業。日本国内の診療所勤務を経て、84年にパキスタンのペシャワールに赴任。以来、ハンセン病を中心とした貧困層の診療に携わる。86年よりアフガニスタン難民のための医療チームを結成し、山岳無医地区での診療を開始。91年よりアフガニスタン東部山岳地帯に3つの診療所を開設し、98年には基地病院PMSを設立。2000年からは診療活動と同時に、大旱魃に見舞われたアフガニスタン国内の水源確保のために井戸掘削とカレーズ(地下水路)の復旧を行う。より根本的解決を図るために2003年から大河クナール川からの取水口を設け、全長25kmに及ぶマルワリード(真珠)用水路を拓き、広大なガンベリ砂漠の緑地化までも達成した。その仕事は、グーグルマップで確認できる!

【目次】はじめに―「縁」という共通の恵み/序章 アフガニスタン二〇〇九年/ 第1部 出会いの記憶1946~1985(天、共に在り/ペシャワールへの道)/第2部 命の水を求めて1986~2001(内戦下の診療所開設/大旱魃と空爆のはざまで)/第3部 緑の大地をつくる2002~2008(農村の復活を目指して/真珠の水―用水路の建設/基地病院撤収と邦人引き揚げ/ガンベリ沙漠を目指せ)/第4部 沙漠に訪れた奇跡2009~(大地の恵みー用水路の開通/天、一切を流すー大洪水の教訓)/終章 日本の人々へ

著者のことは、これまでに断片的に見聞きしてきたが、昨年9月10日のNHKETV特集「武器ではなく 命の水を~医師・中村哲とアフガニスタンの録画を繰り返し繰り返し見続けることで強く意識するようになった。恥知らずな人間が幅を利かせる日本に絶望しかけていた中で、「こんな偉い誇らしい日本人がいる!」のが素直に嬉しかった。「6 077 中村哲「医者、用水路を拓く」(石風社:2007)感想5」を読んで著者への信頼と尊敬は確信となった。

本書の内容は、NHK「知るを楽しむ―この人この世界 2006年 6ー7月 (NHK知るを楽しむ/月) 中村哲 アフガニスタン・命の水を求めて ある日本人医師の苦闘」のテキストに7年分加筆修正を加えたもの。マルワリード用水路第1期工事13km完成までを描いた中村哲「医者、用水路を拓く」(石風社:2007)との内容的重なりはできる範囲で省かれているので、重ね読みの感じはない。著者の幼少期、青年期から語り起こしている。人には定めがある。アフガニスタンでの取り組みの総決算的な内容。

本書を早く読みたかったが、新本を定価(+税)1728円で購入するのは厳しいので、図書館に購入希望を出したらすぐに買ってくれたので喜んで6月30日(金)から読み始めた。読みだすとどんどん付箋が増えていく。どうしても自分の本にしたくなり、ブックオフを3軒探して回ったが、ダメだった。諦めて数年後の値下がりを待つ気になりかけた。

著者の本は速読しづらい。読み取りにくい外国の地名、人名が出てくるからというわけではない。読みにくいのかと言われれば、著者は職業作家でないのに、論理的かつ人のぬくもりを感じさせる良い文章を書く。著者は、常に弱い立場の人々に寄り添う生き方を貫いていく。著者は、自らの意志で青年期にキリスト教に改宗している。結局、「読み飛ばすのがもったいない気高く優しい精神がそこにある」ということになる。

複雑で変転著しい国際紛争・国際関係や気候変動などの困難な事態に翻弄され、自らの小ささ、無力を覚えながらも、アフガンの人々と信頼を重ね、手探りで一歩ずつ進んでいく著者や日本人、現地スタッフの様子を自分に置き換えて感じることの中に真実が現れているのであって、そこを読み飛ばすことは俺レベルの読み手には読まないに等しい。

読んでる側から見ると途方もない困難に直面しているにもかかわらず、著者は極めて冷静である。慌てふためき、深い絶望を覚え、あたふたじたばたし続けているのだが、著者の心の奥底に静かに「覚悟」が鎮座している。そのため、外見的にどんなに絶望的状況にあっても、著者の考えや行動およびその継続性は全くぶれない。理屈を超えた圧倒的な内容は、わずかな想像力さえあれば、日本社会にはびこる軽々しい理屈の愚かしさ、安っぽいウソをわからせてくれる。本書の内容の偉大さがわかる。

昨年9月10日のNHKETV特集「武器ではなく 命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン」の中で全く描き切れていない果てしなく尽きることのない困難の繰り返し、繰り返し、繰り返し。そして、最終目的地ガンベリ砂漠の灌漑の段で、<栄光>という言葉が浮かんだ。これこそ真の<栄光だ>。

グーグル・マップでアフガニスタンのジャララバード付近を見てみると、明白に確かに著者の成し遂げた仕事(灌漑事業)が、目視できた。これは本当にすごい偉大なことである。

時間をかけて読み進むうちに、発作的に定価に近い1568円のアマゾンプライムをクリックしていた。本が、昨日7月3日(月)届いた。驚いたことに著者「中村哲」のサインが入っていた。同じ日にアマゾンで届いた著者の「医者 井戸を掘る アフガン旱魃との闘い」(石風社:2001)258円(1+257)にも著者の「中村哲」のサインが入っていた。全く同じ字体だった。著者の謦咳に少しでも触れたい俺にとっては望外の幸せであった。ただ考えてみれば、全くの私的組織であるペシャワール会の活動を広げるために著者が懸命に本を売ろうとしてきたことの証拠だろう。仇や疎かにはできない。著者の著作の多さは、大変な発信力であるが、実はPMSの活動への理解、協力を求める戦いであったと思い至る。今後、俺も必ずペシャワール会に寄付をするぞ!

やっぱり自分が所有する本はいい!。読みかけの図書館の本から付箋を付け替えながら要所を読み返し、横線を引き続けて、無上の幸せを味わった。「この人を見よ!」「この小柄で日に焼けた日本人を見よ!」 本書は真実の「真理と知恵の書」だと思う。著者は、単純な善悪二元論思考ではなく、とことん現実的で多元的なしぶといへこたれない思考・行動をとる。一方、根っこで<縁>を大切にしながら、人間の存在を前向きに信じて捉えている。

本書(=著者の人生)の評価は読み手によって違うだろう。読み飛ばして、本書の良さがわからない人もいるだろう。しかし、著者は「人は見ようとするものしか見えない」という言葉をよく口にするが、その言葉に従えば、俺にとって本書は「実践的な大いなる知恵の書」であり、感想は特5以外には考えられない。中村哲医師と同じ日本人であることが心の底から誇らしくありがたく思える。

本書の内容をまとめて紹介する時間も力も俺にはない。しかし、最後にアフガニスタンというまだ紛争の収まり切れない渦中で活動する著者の活動のすさまじさの一端を紹介して擱筆する。

・全254ページの終わり近く225~227ページで: (2010年の大洪水に際して)「水路を切れ、排水だ!」略。「俺に貸せ、水路は後で治せる。人命が先だ!」自ら掘削機に乗り込み余水吐きを必死の思いで切り崩し始めた。略。「ドクターサーブ、危ない!」と引き留めたが、見る見るうちに水嵩が増していた。略。これは戦場だ。やらねば多くの村民が死ぬ。

「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。私たちは、いとも安易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる。 244ページ

今、周囲を見渡せば、手軽に不安を忘れさせる享楽の手段や、大小の「権威ある声」に事欠かない。私たちは過去、易々とその餌食になってきたのである。このことは洋の東西変わらない。一見勇ましい「戦争も辞さず」という論調や、国際社会の暴力化も、その一つである。経済的利権を求めて話を損ない、「非民主的で遅れた国家(もみ注:北朝鮮か)」や寸土の領有に目を吊り上げ、不況を回復すれば幸せが訪れると信ずるのは愚かである。人の幸せは別の次元にある。/人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも私は「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信から自由である。何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。/略。進歩だの改革だのと言葉が横行するうちに、とんでもなく不自由で窮屈な世界になったとさえ思われる。 245ページ


アフガニスタンは、本来食料自給率100%の国(日本は28%)であったが、100年に一度あるかないかの干ばつで大変な食糧難になっている。

餓死とは、抵抗力がなくなった状態で、汚い水を飲んで子供など弱いものから腸をやられて簡単に死んでいく。

8 063 前川喜平・寺脇研「これからの日本、これからの教育」(ちくま新書:2017)感想4+

2019年07月07日 01時35分14秒 | 一日一冊読書開始
7月6日(土):  

270ページ        所要時間3:00       ブックオフ51円

著者 前川喜平61歳(1955生まれ)。
   寺脇研 64歳(1952生まれ)。

前川喜平氏と寺脇研氏の対談。1ページ30秒の縁結び読書。十分に時間をかけてない分、読み取れた分も少ない。それでもこの二人が文部官僚のトップとして世の中の実態とあるべき姿のイメージがよく見えていたことが伝わってきた。繰り返すが眺め読みなので内容を十分に記憶に残すことはできていない。

しかし、目を通す中で共感できる部分がかなりたくさんあり、違和感を覚える部分は少なかった。また、読み進む瞬間瞬間に「学びを得た」という感覚が何度もあった。特に前川喜平氏の述べる内容に魅かれることが多かった気がする。付箋だけはたくさんしたので、後日そこだけでも読み返してみたいと思う。

前川喜平氏のような人が文部科学省で主流なのか、傍流なのかでこの省に対する信頼度は大きく違うことになる。

十分な時間をかければ、感想5の可能性も高いと思うが、その余裕がないのだ。その時間があればより多くの本をこなしたいと思うのだ。

以前、マイノリティと言われる人たちのことを、考えつくかぎり書き出してみたことがあります。その上で、世の中の何パーセントになるのか、いろんな資料で調べて計算してみたんです。/たとえば(略)そういったマイノリティと言われる人たちを、考えられるだけ書き出して、そのパーセンテージを足してみると、五〇パーセントを越えるんですね。つまり、多数になる。/逆説的ですが、マイノリティはマジョリティであるという結論に至ったわけです。つまり、大多数の人は何らかの意味でマイノリティに属していると考えていいと思うんですね。/略。一人ひとりが違う存在なんですね。だから、いろんなタイプのマイノリティがいるということを、自覚しないといけない。/特に学校という場所には、あらゆる人が学びに来るわけですから、学校や教師は、そのことを知っておかなければいけない。文部科学省も、そのことをきちんと知っておく必要がある。164~165ページ

【目次】第1章 「命がけ」の文部官僚/第2章 改革派の誕生/第3章 このクビと引き換えにしてでも…/第4章 国民のみなさんに、問いたいことー加計問題と教育行政のゆくえ/第5章 人間の、人間による、人間のための教育/最終章 読者のみなさんへ

【内容情報】一人ひとりの生きる力をサポートするのが教育の使命。その思いのもと、どんな人でも、いつでもどこでも学べるよう改革を進めてきた二人の文部官僚。復古的なナショナリズムと、弱肉強食を放置する市場主義が勢いを増すなかで、加計学園の問題は起きた。この問題を再検証し、生涯学習やゆとり教育、高校無償化、夜間中学など一連の改革をめぐって、とことん語り合う。これからの日本、これからの教育を展望する希望の書である。

8 062 みなもと太郎「風雲児たち12 田沼の崩壊」(希望コミックス:1986)感想4

2019年07月06日 19時35分15秒 | 一日一冊読書開始
7月6日(土):  

203ページ     所要時間1:40       蔵書

著者39歳(1947生まれ)。

今回の内容は、ちょっと寂しい感じの内容だった。第9巻~第12巻で第三期「幕府鳴動編」完結。

・最上徳内の面目躍如の活躍。彼は当代一の算学者本多利明の住込み下男から才能を見出され、幕府の蝦夷地調査隊の下僕に推薦され、みるみる頭角を現した人物であり、のちにシーボルトをして驚かしめる国際人かつ自然・地理学者であった。
・大黒屋光太夫と磯吉らとロシア人との交流。
・徳川家治の死とともに田沼意次の権力および事業(印旛沼干拓、蝦夷地探検隊他)の瓦解が一気におとずれる。その際、天明の江戸打ちこわしが、大大規模にかつ非常に整然と統制のとれた形で行われた事実は銘記すべき事柄である。

【目次】第一章:どこまでもどこまでも /第二章:アムチトカ四年越し /第三章:台風一直線 /第四章:おらカムチャツカ行くだ /第五章:政変 /第六章:挫折 /第七章:庶民 /第八章:相良藩始末記

8 061 みなもと太郎「風雲児たち11 北方大探検」(希望コミックス:1986)感想5

2019年07月05日 03時45分40秒 | 一日一冊読書開始
7月4日(木):  

195ページ      所要時間1:45       蔵書

著者39歳(1947生まれ)。

田沼意次の時代の幕閣は魅力的だ。蝦夷地探検隊派遣は、日本人にとって蝦夷地の再発見である。アイヌ、さらにその先のロシアへの探究心。田沼派遣の蝦夷地探検隊の驚くほど開明的で自由な精神。大嫌いな松前藩(コメは取れないが、<一万石以上格>)と大好きな最上徳内(調査隊の人夫から出発)の両方についてよくわかった。普通の歴史書ではなかなか頭に入ってこないイメージが、漫画だとスムーズに入ってくる。驚くべきことに、最上徳内は、田沼時代の最初の探検で、択捉島北端まで行って、漂流ロシア人と交流していた! 600万石の蝦夷地開墾移住計画の・の人々を「下人」と称していたのは正確な表現なのか? 松平定信は好きになれない。

【目次】第一章:飢餓の爪あと /第二章:蝦夷史・前編 /第三章:蝦夷史・後編 /第四章:進めや進め 歩けや歩け /第五章:なげたらアカン /第六章:冬越し /第七章:近くて遠きは日本と外国

8 060 みなもと太郎「風雲児たち10 天明大地獄」(希望コミックス:1985)感想

2019年07月03日 02時29分04秒 | 一日一冊読書開始
7月2日(火):  

203ページ      所要時間1:15      蔵書

著者38歳(1947生まれ)。

田沼意次はやっぱり良い!開国を目指す息子意友も良い。転変地異に苦しみながらも、空気が明るい。しかし、天明の大飢饉と浅間山の大噴火は厳しい出来事だった。大黒屋光太夫の漂流譚も「おろしゃ国酔夢譚」を読んでいるので知っているはずなのだが、きれいさっぱり忘れていて興味深く読めた。

風雲児たちWIKIより

第一章:ちょっといーですか?
■エピソード
高山彦九郎と仲間は、京の商家を回って救民募金を始めるが、なかなかはかどらない
-----------------
神昌丸ではクジで陸からの距離を占っている。2度引いて、2度とも「600里」と出て、皆失望する。
-----------------
天明三年(1783年)4月、3か月の運動で2両3分2朱の募金が集まるだけであったが、白木屋彦太郎の千両寄付により救民事業が成る(のち、古典落語のネタになる)。
彦九郎、京から上州までわずか3日で駆け抜け、新田郡の一揆に参加。二子山から伊勢崎城下を目指して進撃を開始。

第二章:ななな 何だこあれは
■エピソード
天明三年(1783年)7月、浅間山が史上最大の大爆発を起こした(日本史上最大)
チチング著「将軍列伝」に浅間山噴火のスケッチが掲載されている。
光太夫の船は、7月だというのに雪にあう。そんな中、仲間に最初の犠牲者がでる。

第三章:こここ ここはどこだ
■エピソード
光太夫たちは、最初の犠牲者(磯八)を水桶に入れて水葬にだす。
その晩、これまでで最大規模の嵐にあう。神昌丸は二日間続いた嵐に耐え、漂流を続ける。
海上に浮遊するワカメ昆布を見つける。
昆布発見の翌日、天明三年(1783年)7月20日、陸を発見する。
アリューシャン列島のひとつアムチトカ島に漂着していた…
島には、原住民とロシア人がいた。
夜半に海が荒れ、何十石の米や船荷とともに神昌丸は水没してしまう

第四章:ややや やったぜ江漢
■エピソード
さすがの光太夫も絶望するが、笑いの中に生きる希望を見出す
翌日、光太夫らはロシア人の住居に案内され、そこで暮らす事になる
8月9日三五郎が亡くなり、8月20日次郎兵衛が亡くなる(のこり14名/17名)
-----------------
日本本土では浅間山噴火の影響で壊滅的な不作となり、米価が急騰。田沼親子も打つ手なし。
-----------------
大槻玄沢は、前野良沢から学んだ蘭語カリキュラムを蘭学初心者向けのテキストとしてまとめる(蘭学階梯)
蘭学階梯は5年後に出版され、日本最初の蘭語入門書になってゆく
司馬江漢は、玄沢の時間を奪いながら、エッチング研究を続けていた
-----------------
その年、1783年9月3日、イギリスはアメリカ独立を承認(6年に及ぶ独立戦争はアメリカの完全勝利で幕を閉じた)
-----------------
9月の半ば、司馬江漢がついに腐食銅版画を成功させる
眼鏡で覗いて鑑賞するスタイルを工夫し、爆発的ヒットになる
文化的貢献が評価されなかった事に江漢は不満。
-----------------
松平定信、天明の大飢饉の始まろうとする荒れ果てた奥州白川藩の藩主になる

第五章:凶刃

第六章:ああ意知

第七章:飢え

8 059 みなもと太郎「風雲児たち9 彦九郎が行く」(希望コミックス:1985)感想4

2019年07月03日 00時19分33秒 | 一日一冊読書開始
7月2日(火):    

193ページ      所要時間1:35       蔵書

著者38歳(1947生まれ)。

漫画である。しかし、本書でなければ知りえないのではないが、固い書籍を読み込んで知る暇がない。江戸中期の人々のにぎやかな人間模様(特に田沼時代)が楽しい。

風雲児たちWIKIより
プロローグ
第一章:彦九郎暴れる
■エピソード
仙台藩医工藤平助(48歳)が、赤蝦夷風説考を上梓する。
一関藩大槻茂質が遊学期限が切れる所であったが、工藤が藩主に口利きしてくれる。
杉田玄白に娘が生まれる。玄白の長男は知恵遅れの為、跡取りを養子に迎える必要がある
玄白、建部清庵の五男・伯元を養子にする。
-----------------
(数か月のち)
高山彦九郎(35歳)、郷里新田村で一揆が起こった事を知り、農民に加勢するために急ぎ帰郷する。
暇な連中30名が彦九郎を心配して、彼の後を追う

第二章:彦九郎もてる
■エピソード
(数年前の回想)旅の途中で相次いで2人の女性を助け、2人とも妻にした
彦九郎が郷里に戻ると、一揆は昨日終わったとこのこと
彦九郎は数日滞在し江戸に戻るが、領主は彦九郎が気に障る模様。
-----------------
天明元年(1781年)11月の仙台
林子平、宝暦の大飢饉を凌ぐ大飢饉が間もなく起こる起こる事を訴え、藩政改革の建白書(第2次)を仙台藩家老・佐藤伊賀に提出。

第三章:江戸城大ゲンカ
この章の白眉は、意次と定信のやり取り。庶民を豊かにしようとする田沼意次と質素倹約で家康以来の秩序を守ろうとする松平定信。このやり取り、現代日本のリフレ派とデフレ派の対立そっくりで興味深いデス。
■エピソード
仙台藩は林子平の上申を完全無視。
もし改革を実行していれば、飢饉の被害を最小限に抑えることができた他、少なくとも幕末の激動に取り残されることはなかったと考えられる。
-----------------
天明二年(1782年)5月、ヘイトの後任のチチングがオランダ商館長として、江戸参府。
200年前の装束で。
江戸の蘭学者がチチングに面会。オランダ語の会話を楽しむ。
中川淳庵、ツンベリー先生からの手紙を受け取る(この後、数度の往復書簡を交わしている)
淳庵の手紙をみて、チチング「ヨーロッパ圏外でこれだけ正確なオランダ語を綴れる人は見たことがない」と評す。
前野良沢を別格として、中川淳庵の蘭語は当時最高峰であった。
司馬江漢、チチングより「画家必携」をもらう。
江漢にとっての「画家必携」は、良沢・玄白にとっての「ターヘルアナトミア」に匹敵するものであった。
しかし蘭語が読めない江漢は、他人に頼らざるを得ない…
-----------------
同七月、江戸城中。田沼意次は印旛沼の干拓計画に取り組んでいる。
積極投資で庶民を豊かにして国を栄えさせようとする意次に対し、松平定信は倹約により財政を引き締め庶民を管理することで幕府の権威を守ろうとする。2人は激論を交わす。
意次が干拓工事に取り掛かれたのは、オランダ貿易収支が黒字化した為(←これ源内の提案)。
貨幣改造するも、吉宗公時のようなインフレになっていない
-----------------
松平定信は、御三卿・田安家初代の次男。一橋治定や十代将軍に疎まれ、奥州の小藩・白河藩の養子として、江戸城から追い出されてしまう。定家(16歳)が奥州に去って間もなく兄が亡くなり、田安家の血は絶える。
というわけで、定信は田沼意次を激しく恨んでいる
-----------------
天明二年(1782年)7月15日、小田原を震源とする大地震が関東一帯を襲った

第四章:震災余波
就任以来、度重なる天災。田沼意次は本当に不運な宰相だなぁ。
■エピソード
大地震で、庶民の怨嗟は田沼意次に向く。
-----------------
大槻茂質、大槻玄沢と名を改める
杉田伯元、正式に杉田玄白の養子になる
建部清庵が亡くなる
建部懸案の遺言:来るべく飢饉に備え「民間備荒禄」をできるだけ多く刷り、人々に無償配布せよ
-----------------
高山彦九郎が久々に故郷に帰ると、長男・儀助が生まれていた
興学運動を行うため、木曽路を通って京へ向かう
-----------------
林子平が4年ぶりに長崎に到着すると、折しもオランダ船が入港する所。子平はさっそくこれをスケッチ。
英国がオランダ本国を攻撃している為、チチングは帰国できない
暇を持て余したチチングは日本研究に没頭する(のちに優れた研究書を著し、日本を世界に紹介する)

第五章:彦九郎運動する
■エピソード
林子平、天下に警鐘を鳴らす書を著す為、長崎で調査・研究する。
天明二年9月、スケッチした「阿蘭陀船図」を清書して出版。旅費を稼ぐ。
-----------------
10月、高山彦九郎が京都入り(彼は京都に入るとき、三条大橋で天皇遥拝する)。
「朝廷は学問に専念せよ」という幕府の法度を逆手にとって、学校を幕府に作らせ、京都で尊王思想を育む計画(興学運動)に力を注ぐ。
-----------------
11月、江戸城内。白い眼を浴びながら、田沼意知が山城守に任命される
-----------------
12月14日、遠州沖で季節外れの暴風雨が発生

第六章:漂流者たち
大黒屋光太夫の「おろしや国酔夢譚」シリーズ開始!
自暴自棄になる船乗り達に共通目標を持たせ、ひとつにまとめ上げるリーダーシップが光る。
高山彦九郎の人生も、ようやくエンジンがかかり始めたかな?
■エピソード
帆船の説明。
家康は外様大名が海から江戸を攻撃する事を恐れ、大船建造を禁止し、マストは1本のみとした。
1本マストでは重心が高く転覆の危険が高い。
また微妙な帆の操作で向きを変えられず、巨大な舵で無理やり方向転換せざるを得ず、舵が外れると漂流するしかなくなる。
その為、当時の日本船はすぐに難破したり、漂流することになる...
天明二年(1782年)12月14日の暴風雨で、24隻もの船が難破した。
難破船の一つ「神昌丸」は、舵と帆柱を失い漂流する。船長は大黒屋光太夫。
「正月までに伊勢に帰る」という共通の目的を持たせて、一致団結する。光太夫のリーダーシップ!
結局、太平洋の大海原で正月を迎えてしまうが...
-----------------
天明三年元旦。
高山彦九郎、京都御所にて新年の祝いを見学する。
興学運動は挫折する(公家・天皇は賛同するが、幕府役人が捻りつぶした)
救民運動を興す
-----------------
ちょうど同じ頃、天明三年1月、工藤平助(50)が「赤蝦夷風説考」完全脱稿。

特別企画=風雲児たち年表

180701 一年前:180630 延々と続く単純なデータ打ち込み作業のBGMとして大河ドラマ「花神(1977年)」総集編全5巻(8:30)を全部見直すことができた。

2019年07月01日 19時55分02秒 | 一年前
7月1日(月):
180630 延々と続く単純なデータ打ち込み作業のBGMとして大河ドラマ「花神(1977年)」総集編全5巻(8:30)を全部見直すことができた。
6月30日(土):    昨夜、持ち帰りの仕事で徹夜し、朝5:30頃寝た。今日は、昼過ぎに起きて、さらに昨日の続きの仕事を延々と続けた。明日は別の用事で休日返上になる。ちょっと......


150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)