もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

『読書書籍リスト 1冊目~100冊目(9月1日~12月15日)』

2011年12月18日 05時48分08秒 | 書籍&ブログリスト
12月17日(土):

冊目 9月 31冊       評価 
1 1 木 夜の河を渡れ 梁石日 新潮文庫 1990 4
2 2 金 槍ヶ岳開山 新田次郎 文春文庫 1977 4
3 3 土 八甲田山死の彷徨 新田次郎 新潮文庫 1971 5
4 4 日 戦艦武蔵 吉村昭 新潮文庫 1973 3
5 5 月 デフレの正体―経済は「人口の波」で動く 藻谷浩介 角川oneテーマ21 2010 4
6 5 月 のぼうの城 和田竜 小学館 2007 2
7 6 火 ぼうず丸もうけのカラクリ ショーエンK ダイヤモンド社 2009 2
8 7 水 そうだったのか!アメリカ 池上彰 集英社文庫 2009 2005 5
9 8 木 悩む力 姜尚中 集英社新書 2008 3
10 9 金 齋藤孝のざっくり!日本史―「すごいよ!ポイント」で本当の面白さが見えてくる― 齋藤孝 祥伝社 2007 1
11 10 土 砂の器(上) 松本清張 新潮文庫 1973 ?
12 11 日 砂の器(上) 松本清張 新潮文庫 1973 5
13 12 月 わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 頼藤和寛 文春新書 2001 5
14 13 火 ユダヤ人 上田和夫 講談社現代新書 1986 2
15 14 水 ニッポン・サバイバル―不確かな時代を生き抜く10のヒント 姜尚中 集英社新書 2007 3
16 15 木 発達障害の子どもたち 杉山登志郎 講談社現代新書 2007 3
17 16 金 原発はいらない 小出裕章 幻冬舎新書 2011 5
18 17 土 海辺のカフカ(上) 村上春樹 新潮社 2002 ?
19 18 日 海辺のカフカ(下) 村上春樹 新潮社 2002 5
20 19 月 神さまってなに? 森達也 河出書房新社 2009 2
21 20 火 プロ棋士の思考術-大局観と判断力 依田紀基 PHP新書 2008 2
22 21 水 偉大なるしゅららぼん 万城目学 集英社 2011 3
23 22 木 穢土荘厳(上) 杉本苑子 文春文庫 1986 5
24 23 金 夏目漱石-人と作品3ー 福田清人・網野義紘 清水書院 1966 3
25 24 土 穢土荘厳(下) 杉本苑子 文春文庫 1986 6
26 25 日 死ぬのは、こわい? よりみちパン!セ 徳永進 理論社 2005 3
27 26 月 そうだったのか!現代史 池上彰 集英社文庫 2000/07 5
28 27 火 失敗の愛国心    よりみちパン!セ 鈴木邦男 理論社 2008 (著者65歳) 3
29 28 水 銀河鉄道の夜 宮沢賢治 角川文庫 1934 4
30 29 木 がんで死ぬのはもったいない 平岩正樹 講談社現代新書 2002 4
31 30 金 ふしぎなキリスト教  橋爪大三郎・大澤真幸 講談社現代新書 2011 5
  10月 29冊+4冊        
32 1 土 殉死 司馬遼太郎 文春文庫 1967 4
33 2 日 定年ゴジラ 重松清 講談社文庫 1998 4
34 3 月 世界の日本人ジョーク集 早坂隆 中公新書ラクレ 2006 3
35 4 火 ルポ 貧困大国アメリカ 堤未果 岩波新書 2008 5
36 5 水 君が地球を守る必要はありません    14歳の世渡り術 武田邦彦 河出書房新社 2010 3
37 6 木 ルポ 貧困大国アメリカⅡ 堤未果 岩波新書 2010 4
38 7 金 反貧困―「すべり台社会」からの脱出 湯浅誠 岩波新書 2008 5
39 8 土 1000人の人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた  死ぬときに後悔すること25  大津秀一 致知出版社 2009 3
40 9 日 火車 宮部みゆき 新潮文庫 1992 5
41 10 月 千思万考―歴史で遊ぶ39のメッセージ― 黒鉄ヒロシ 幻冬舎 2011 4
42 11 火 反ナショナリズム-帝国の妄想と国家の暴力に抗して- 姜尚中 教育史料出版会 2003 3
43 12 水 オール1の落ちこぼれ、教師になる 宮本延春 角川書店 2006 3
44 13 木 不登校選んだわけじゃないんだぜ!  よりみちパン!セ 貴戸理恵・常野雄次郎 理論社 2005 1
45 14 金 14歳からの仕事道 よりみちパン!セ 玄田有史 理論社 2005 4
46 15 土 告白 湊かなえ 双葉社 2008 4
47 16 日 地下室の手記(ドストエフスキー著) 江川卓 翻訳 新潮文庫 1864(1969) 5
48 17 月 学校を元気にする50のルール 尾木直樹 三省堂 2008 3
49 18 火 強いられる死 自殺者三万人超の実相 斎藤貴男 角川学芸出版 2009 3
50 19 水 神様のカルテ 夏川草介 小学館 2009 4
51 20 木 神様のカルテ2 夏川草介 小学館 2010 5
52 21 金 韓国の若者を知りたい 水野俊平 岩波ジュニア新書 2003 3
53 22 土 マクベス(シェイクスピア) 福田恆存 訳 新潮文庫 1606?(1969) 3
54 23 日 梟の城 司馬遼太郎 新潮文庫 1959 4
  24 月 光とともに…~自閉症児を抱えて~(1) 戸部けいこ 秋田書店 2001 4
      光とともに…~自閉症児を抱えて~(2) 戸部けいこ 秋田書店 2001 4
55 25 火 17歳のための世界と日本の見方  セイゴオ先生の人間文化講座 松岡正剛 春秋社 2006 4
  26 水 光とともに…~自閉症児を抱えて~(3) 戸部けいこ 秋田書店 2002 4
      光とともに…~自閉症児を抱えて~(4) 戸部けいこ 秋田書店 2003 4
56 27 木 「銅メダル英語」をめざせ! 発想を変えれば今すぐ話せる 林則行 光文社新書 2011 3
57 28 金 笑うカイチュウ 寄生虫博士奮闘記 藤田紘一郎 講談社文庫 1994 5
58 29 土 自閉症だったわたしへ(『NOBODY NOWHERE』;ドナ・ウィリアムズ)河野万里子 訳 新潮文庫 1993 5
59 30 日 ナショナリズム 姜尚中 岩波書店 2001 3
60 31 月 ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 吉村昭 新潮文庫 1979 5
  11月          
  1 火 光とともに…~自閉症児を抱えて~(5) 戸部けいこ 秋田書店 2004 3
      光とともに…~自閉症児を抱えて~(6) 戸部けいこ 秋田書店 2004 3
61 2 水 日本の文化 村井康彦 岩波ジュニア新書 2002 4
62 3 木 冷たい夏、熱い夏 吉村昭 新潮文庫 1984 5
63 4 金 日本を降りる若者たち 下川祐治 講談社現代新書 2007 4
64 5 土 吉里吉里人(上) 井上ひさし 新潮文庫 1985 5
65 6 日 乱紋(上) 永井路子 文春文庫 1973 2
66 7 月 乱紋(下) 永井路子 文春文庫 1973 2
67 8 火 愛国の作法 姜尚中 朝日選書 2006 4
68 9 水 変身(高橋義孝 訳) カフカ(1883-1924;41才没) 新潮文庫 1916(1952訳) 4
69 10 木 おしりのしっぽ 旅する私のふしぎな生活 竹内海南江 集英社be文庫 2004 3
70 11 金 異邦人(窪田啓作 訳) カミュ(1913-1960;46歳自動車事故死) 新潮文庫 1942 5
71 12 土 吉里吉里人(中) 井上ひさし 新潮文庫 1985 5
  13 日 山岳サークル登山            
72 14 月 ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々 玄侑宗久 朝日新聞社 2006 3
73 15 火 世界は危険で面白い 戦場カメラマン・渡部陽一 産経新聞出版 2008 4
74 16 水 科学の考え方・学び方 池内了 岩波ジュニア新書 1966 4
75 17 木 織田信長 中世最後の覇者 脇田修 中公新書 1987 3
      10月9日からトータル 閲覧 7,008 PV 訪問者 3,002 IP      
76 18 金 阿部一族 森鴎外 旺文社文庫 1913 4
77 19 土 吉里吉里人(下) 井上ひさし 新潮文庫 1981 5
  20 日 光とともに…~自閉症児を抱えて~(7) 戸部けいこ 秋田書店 2004 3
      光とともに…~自閉症児を抱えて~(8) 戸部けいこ 秋田書店 2005 3
      光とともに…~自閉症児を抱えて~(9) 戸部けいこ 秋田書店 2005 3
78 21 月 禅的生活 玄侑宗久 ちくま新書 2003 4
79 22 火 心にしみる天才の逸話20 天才科学者の人柄、生活、発想のエピソード 山田大隆 講談社ブルーバックス 2001 4
80 23 水 日本という国 小熊英二 理論社 2006 5
81 24 木 太平洋のかけ橋 新渡戸稲造 保永貞夫 講談社 火の鳥伝記文庫 1984 3
82 25 金 流星ワゴン 重松清 講談社文庫 2002 5
83 26 土 ローマの歴史 I・モンタネッリ(藤沢道郎 訳) 中公文庫 1979 3

84 27 日 夢をかなえる勉強法 伊藤 真「伊藤塾」塾長 サンマーク出版 2006 3      
85 28 月 ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学 本川達雄 中公新書 1992 5
86 29 火 ドキュメント高校中退―いま、貧困が生まれる場所 青砥恭 ちくま新書 2009 5
87 30 水 夢を現実に変える方法 伊藤 真「伊藤塾」塾長 サンマーク出版 2007 3
  12月 冊        
88 1 木 私には浅田先生がいた 康玲子(カン・ヨンジャ) 三一書房 2008 5
89 2 金 司馬遼太郎と藤沢周平 「歴史と人間」をどう読むか 佐高信 光文社知恵の森文庫 1999 3
90 3 土 池上彰の宗教がわかれば世界が見える 池上彰と対談者7名 文春新書 2011 4
               
      10月9日から56日:トータル 閲覧 10243 PV 訪問者 4303 IP      
91 4 日 御開帳綺譚 玄侑宗久 文春文庫 2002 2
92 5 月 最新2010年版 業界地図が一目でわかる本 ビジネスリサーチ・ジャパン 三笠書房 知的生きかた文庫 2009 3
93 6 火 あえて英語公用語論 船橋洋一 文春新書 2000 5
94 7 水 日記の魔力 この習慣が人生を劇的に変える 表 三郎 サンマーク出版 2004 3
95 8 木 時と暦の科学 永田 久 NHK市民大学10月-12月 1989 5
96 9 金 死を看取る医学 ホスピスの現場から 柏木哲夫 NHK人間大学1月-3月 1997 3
      短期連載1        
  10 土 忘年会        
      一日の閲覧PVが初めて300人を超えた!。338人        
      短期連載2        
  11 日 日本人なら知っておきたい日本文学 蛇蔵&海野凪子 幻冬舎 2011 3
      光とともに…~自閉症児を抱えて~(10) 戸部けいこ 秋田書店 2006 3
97 12 月 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 橘 玲(たちばな あきら) 幻冬舎 2010 2
98 13 火 大阪ことば学 尾上圭介 創元社 1999 4
99 14 水 海の史劇 吉村昭 新潮文庫 1972 5
100 15 木 東大教師が新入生にすすめる本 文芸春秋編 文春新書 2004 4
     

アーカイブ 山崎豊子「沈まぬ太陽(1)~(5)」(新潮社;1999)&映画DVD  評価5

2011年12月18日 03時02分50秒 | 一日一冊読書開始
12月17日(土):本日、小学校の旧友二人と8年ぶりに飲んだ。不器用だけど美味しいお酒だった。昨夜、朝までの読書でちょっと無理し過ぎた。今日は、新しい本を読むことあたわず。過去のアーカイブを載せます。

※本日ABCテレビで9:00-11:20放送ドラマ「愛・命~新宿歌舞伎町駆け込み寺」の撮っておいた録画を偶然観た。何の期待もしてなかったが、結局最後まで引き付けられて観てしまった。渡辺謙のすごさは当然だが、永作博美の存在感が素晴らしかった。過剰に反応するのも良くないが、とても良い作品だった。モデルの玄秀盛(平山秀盛)さんがすごく魅力的なのと、シナリオが本当によく練れていた。今日は、ちょっと得をした気分だ。

2007年11月末~12月の読書

◎山崎豊子「沈まぬ太陽(1)~(5)」(新潮社;1999)&映画DVD  評価5

(1)アフリカ篇・上  302ページ  所要時間3:15   評価3
日本航空で誠実に組合の委員長を務めたことに対するアカのレッテル貼りと報復人事の非人間性。大惨事への序章。ただ組合がわからない。

(2)アフリカ篇・下  357ページ  所要時間4:30   評価4
島流し人事の苛烈さ、自らと家族の人生を磨り切らせて、そこまでして大企業と闘わなければならないのか、何が闘わしめるのか。第二組合立ち上げのいやらしさ。労資関係って何?。職場で当たり前の正義を通そうとすることが、人生をかけることになる社会のありようとは。

(3)御巣鷹山篇    341ページ  所要時間5:00   評価5
凄惨な事故のリアルな描写。死臭。挫滅。そのあとの補償交渉地獄。遺族も殺されている。窓際族に遺族交渉を部長の名刺でやらせる会社。

(4)会長室篇・上   379ページ  所要時間6:00   評価5
1日で読んだ。腐敗した巨大国策会社の中で、それを食い物にする有象無象と職務と罪の意識に誠実な人々のコントラスト。会社の正常化は果てしない気にされる。

(5)会長室篇・下   315ページ  所要時間5:15   評価5
最後は衝撃的。著者は、事実の再構成であって、フィクションとは言わない。日本航空の腐敗ぶりは赦し難い。清朝末期の変法自強の挫折が連想された。

※2010年1月に日本航空(JAL)が会社更生法の適用を申請した時、全く驚かなかった。天罰覿面、因果応報、「こんなに腐った組織がこれまで継続してきたことの方が不思議だった!」と思った。

2010年8月:映画『沈まぬ太陽』DVD 評価5 ※原作の内容をよく生かしたよい映画だ。しかし、原作のエグサにはかなわない。





101冊目 加賀乙彦「死刑囚の記録」(中公新書;1980)  評価5

2011年12月17日 06時50分05秒 | 一日一冊読書開始
12月16日(金):

233ページ  所要時間5:30

16年ほど前に読んだ本の再読。眺め読み、失敗。前半はひどい眠気(内容のせいではない)と闘いながら読んだ。著者は、東大医学部卒の精神科医の作家。1955年11月、26歳で東京拘置所の精神科医官となり(57年4月辞す;1年半)、多くの死刑囚の悩みごとの相談相手となる。死刑囚とは、取り返しのつかない過ちを犯して、究極の取り返しのつかない状況に閉じ込められてしまった人びと。著者が出会った死刑囚たちの心理状況についての記録。病的ではあるが、さまざまなタイプがいる。   

目次:1 ある殺人者との出会い=Ⅰ松沢病院にて、Ⅱ詐欺師と殺人者
   2 東京拘置所ゼロ番区=小菅の拘置所、Ⅱ最初の死刑囚
   3 独房の現実と夢=Ⅰ闘う被告、Ⅱ無罪の主張、Ⅲ被害妄想の世界
   4 刹那主義の人びと=Ⅰ陽気な死刑囚、Ⅱ不安といらだち、Ⅲ生への欲望
   5 冤罪を主張する人たち=Ⅰ不安と惑乱の日々(三鷹事件の竹内景助)、Ⅱ隠者の風格(帝銀事件の平沢貞通)、Ⅲ拷問と誘導尋問(幸浦事件)、Ⅳ獄中の学者(牟礼事件の佐藤誠)
   6 鉄窓の宗教者=Ⅰ戦後の日々と神(メッカ事件の正田昭)、Ⅱ幼き日の影(横須賀線爆破事件の若松善紀)
   7 死刑囚と無期囚=Ⅰ拘禁ノイローゼ…総合調査への道、拘禁ノイローゼの頻度、Ⅱ死刑囚と無期囚の時間…濃縮された時間とうすめられた時間、近い未来と遠い未来、死刑囚の時間と私たちの時間
     あとがき 

とりあえず、あとがきの一節だけ「ただ、私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は廃止すべきだということである。」

もう寝ないといけません。かなりヤバイです。感想は「非常に面白かった。深いです。重要文献かつ必読の書!。もう一度、じっくり読み直すぞ!。俺は、加賀乙彦を発見した!」ということです。また、書くことができれば、内容紹介をさせて頂きます。

100冊目 文芸春秋編「東大教師が新入生にすすめる本」(文春新書;2004)  評価4

2011年12月16日 03時43分00秒 | 一日一冊読書開始
12月15日(木):

236ページ  所要時間4:12

東大で毎年四月に新入生向けに行われる推薦図書の紹介、1994年から2003年までの10年間分をまとめたもの。180人の教師により、各自の語り口で紹介される1500余冊の書籍。

今回が、100冊目だからと意図して本書を選んだわけではない。偶然目に入り、その気になったのだ。勿論、読むなんて無理、1ページ、15秒のルールを基準にして、色鉛筆と付箋を持って、ページをめくり続けた。毎回推薦教員の専門分野を確認し、推薦図書の名称と対象分野と著者の名前、出版社を確認するのが精一杯の、まさに<遊書>の実践であった。

それでも不思議なもので、先生方の熱気のようなものは、何となく伝わってきて、眺め続けてるだけなのに、少しアカデミックな気分になってしまい、自分が読んだ本や、持っている本などが紹介されると、嬉しくなって立ち止り、チェックを入れてしまう。その瞬間、えらい先生方とも少しだが通じあえた気になれた。気のせいか、理系の先生方の推薦する文学作品などは、素直な好みがストレートに現れていて、魅力的な本が多かった気がする。文系から理系への敷居は高いが、理系から文系への敷居は低いので、理系の先生は気負わず素直に、文系の先生は、テリトリーを守るために、やや凝った表現になるのだろうか…。

専門性のない(一応あるが、恥ずかしくて言えない)私には、よくわからないが、高橋和巳、丸山真男、ドストエフスキー、トルストイ、エドワード・W・サイード、マックス・ウェーバーなどの名前が、よく引用されて、繰り返し出てきたと思う。他にも神谷美恵子、網野善彦、西田幾多郎、高木貞治、南方熊楠、エーリッヒ・フロム、ホーキング、ドーキンス、新旧聖書(ヨブ記など)などの引用が目についた。意外だったのは、マルクスの名がほとんど出てこなかったことだ。これも時代の移ろいなのだろうか。  

※1994年度に海洋地震学の先生が、第一番に吉村昭著『海の壁―三陸沿岸大津波』を「是非読まれることを勧める」と推薦していたのには、「さすがだな!」と本心から感心してしまった。   

※井上ひさし「四千万歩の男」「吉里吉里人」、司馬遼太郎『竜馬がゆく』『街道をゆく』シリーズが推薦図書に挙げられていたのには、素直に嬉しかった。  

※「二〇世紀における物理学の革命は、相対性理論ではなく量子力学の発見である。」、「解析(微積分)は「不条理なまでに役に立つ」道具であり、世界を科学的に理解するための鍵である」、「旧約聖書のヨブ記とヨナ記は近代的な科学的思考の教科書、研究の苦悩を救う書として読んでいます」、物理学の先生が「繰り返して読む本は『南総里見八犬伝』である。学者や評論家の、勧善懲悪であるとか、人間が類型的であるとかいう批判は無視するに限る。一葉樋口夏子は七歳の時八犬伝を三日で読んだそうである。略。さすがは夏ちゃんだ」etc.の断章を目にすると、何かすごく嬉しくなってしまった。   

※今回の<遊書>で、今後読むべき多くの読書候補書籍が、見つかった!。これも、とても良い読書体験になったと思う!。

99冊目 吉村昭「海の史劇」(新潮文庫;1972)  評価5

2011年12月15日 06時44分19秒 | 一日一冊読書開始
12月14日(水):

672ページ  所要時間15:40

一週間ほど前から、少しずつ読み始め、今日9時間50分で一気に読み切った。1ページ、1分30秒。一冊に15時間40分って、自分でも馬鹿じゃないかと思うが、角度を変えて日露戦争の全貌を見ることができた。

克明な<記録文学作家>としての渾身の吉村昭を堪能させて頂きました。700ページ近い物語は、ロジェストヴェンスキー司令長官(提督)に関わることを<縦糸>にして、執拗なまでに彼とバルチック艦隊(全滅後の彼のその後も含めて)を追いかけながら、それと並行して進展している事柄を<横糸>として、抜け目なく丁寧に描いていくことによって「日露戦争」という大きな一枚の史劇を新しく織りあげた作品といえる。

バルチック艦隊の七カ月に及ぶ旅が、全く予期しない問題が次々に押し寄せてくる困難を極めた旅だったなんて全く知らなかった。ヨーロッパ北海で既に始まり、ずーっと最後まで続く日本海軍の奇襲攻撃の影に対する疑心暗鬼の怯え、イギリス海軍の執拗な妨害にあい、中立国違反になるので同盟国フランスの協力すら得られず、電信しかない通信で、遠く離れた本国ロシアの意向によっても足止めを食い、熱帯のマダガスカルの暑熱地獄で3カ月待たされ、不潔と病気に苦しみ、多くの犠牲を出す。兵士たちの士気の緩みを立て直す不断の努力、ドイツの石炭運搬船の身勝手による石炭欠乏症の苦しみ、膨大な石炭燃料確保のための闘いで神経を磨り減らしながら、ロジェストヴェンスキ-提督は自らも病人状態で東シナ海にようやくたどりつき、一気にウラジオストク港を目指す朝鮮海峡コースをとったものの、十二分に準備を整えた東郷平八郎の連合艦隊に待ち伏せをかけられ、有名な肉を切らせて骨を断つ「敵前回頭」作戦を見て、一瞬勝利を確信したのも束の間、T字戦法が完成すると、あっという間に形勢は逆転、しかも、避けても避けても東郷は執拗に艦隊の頭を押さえ込むT字戦法で食い下がってくる。この連合艦隊のバルチック艦隊に対する執拗なT字戦法は、巨大な獲物の頭に食らいついて話さない肉食獣のように感じた。ロジェストヴェンスキ-自身、全く我を取り戻す前に深く傷つき戦線離脱。気がつけば、戦艦数二倍の圧倒的戦力の差を活かすどころか、旗艦をはじめとする虎の子の戦艦が次々と炎上、爆発、沈没、空前の大艦隊は四散して、夜になると日本の水雷艇の魚雷攻撃で、残った戦艦・巡洋艦・駆逐艦がさらに修羅場に追い込まれ、翌日には指揮権を継いだネボガトフ少将も無傷の日本艦隊に囲まれて、戦艦2隻とともに降伏。

ロシア艦隊の失った艦船の排水量は19万5162トンに対して、日本艦隊はわずか水雷艇3隻の255トン。人的被害、ロシア側、戦死者4545名、捕虜6106名。日本側107名。これはトラファルガー沖海戦の奇跡をはるかに上まわる、空前絶後の一方的圧勝。

当時のロシア人捕虜に対する過剰なまでの日本での優遇(特に四国松山)とそれに胡坐をかいて我がまま放題の捕虜たちの様子、一方で日本人の捕虜の恥の自死選択(まだ「生きて虜囚の恥を受くべからず」の戦陣訓は存在しない)。ロジェストヴェンスキ-が佐世保の病院で養生の後、ロシアへシベリア鉄道で20日間かけて帰っていく途中で、敗戦に伴うロシアでの革命運動の活発化で、士官と下士官・兵との間に修復不可能な亀裂と一触即発の対立が生まれ、途中のシベリアの町で、暴徒化や暴動があちこちであり、提督を暗澹とさせる。挙句に、ペテルブルクで軍法会議にかけられ、官位剥奪、平民にされて放免されるが、急速に老けこみ3年後に死去。   

旅順攻防戦、乃木希介のどうしょうもなくKYなずれた凡将ぶりと児玉源太郎の活躍や、日本の連合艦隊の様子などもしっかり記述されている。ポーツマス条約の前後の記述も詳しく書かれていたが、「ポーツマスの旗」と内容が大幅に重なっていた。戦艦三笠が、佐世保で勝利に驕った水兵の隠れ酒盛で火薬に引火して、爆沈していた事実。シベリア鉄道が、当時単線で不便だったこと。   

とりあえず、ニコライ2世は暗愚のツァーリだった。日英同盟で火中の栗を拾わせるイギリスはずるいといわれるが、実は日英同盟が日本の勝利にとってどれほど大きな大きな役割を果たしたか、日本人はもう一度しっかり自覚するべきだ。バルチック艦隊の日本への航海は、いかに想像を絶することであったのか、人類史上空前絶後の一大壮挙で間違いないが、やっぱり無理過ぎる自殺行為だったと思う。    

書き出したい逸話、「なるほどなあ、そうだったのか」と思ったこと無数にあります。全く支離滅裂の、まとめ方だが、もう寝ます。寝ないといけない!。また書き直せたらかきます。お休みなさい。 とにかく、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を二回読んだけど、この作品はすごく新鮮な内容でした。 超お勧めです。 
                                           
吉村昭あとがき「日本海海戦は、艦隊同士の海戦として史上最大の、そしておそらく最後の戦闘である。その海戦は凄惨であったが、戦闘方法をはじめ被害艦の乗組員救出とその収容方法等に一種の人間的な秩序がみられる。/ロシア艦隊は約七ヵ月間を要して本国から日本近海まで達したが、その背景にはロシア革命が控え、それを迎え撃った日本艦隊の背後にも新興国日本の民衆があった。そして、講和条約締結後に起った日本国内の民衆運動は、日本人が戦争と平和について未成熟な意識しかもたぬ集団であることをしめし、その意識が改善されぬままに後の歴史を形作っていったように思う。」

98冊目 尾上圭介「大阪ことば学」(創元社;1999) 評価4

2011年12月14日 04時16分26秒 | 一日一冊読書開始
12月13日(火):

210ページ  所要時間3:50

著者の第一印象は、あの懐かしい「枝雀寄席」(1993年)でゲストとして故桂枝雀師と大阪弁の良さをめぐって軽妙洒脱、切れ味鋭く楽しい話を展開していた面白い大学の先生、というものだった。著者52歳、大阪十三で生まれた。本書は、枝雀寄席で披瀝された話の、発展版だった。評価は5をつけるべきかもしれないが、私の理解力の問題もあって4とした。

内容は、脂の乗り切った東京大学助教授の言語学者として、大阪弁に対する従来の非能率的、反理性的、非論理的、のろくて、くどくて、下品で、猥雑etc.という<誤解・偏見に対して全面的反論と見直しの要求>を展開している。著者の、言葉の微妙なニュアンスに対する分析・表現力は絶妙で分かりやすい。また「複数の文脈、視点が重層し、衝突するところに笑いというものは発生するのである。笑うべきことの発見と、それを笑おうとする気持ちの動きは、情緒ではなく理性によってもたらされるものであり、大阪人の合理性指向と笑い指向とは実は一つのものなのである。」として、大阪の笑いの文化の必然性も明確に意義づけている。

大阪弁の具体的例を、さまざまな形で提示して分かり易く分析してくれているので、とてもわかりやすくて、楽しい内容です。

「相手との距離の近さ」。だれかがボケればだれかがツッコむ、だれかがボケたがっていると見ればだれかがそのお膳立てをしてやる「相手との共同作業の感覚」。大阪人の「含羞」。自在な「当事者離れ」こそ大阪の笑いの出発点。「緩急自在に、言葉の要点から要点へ駆け抜けていくような言葉の運び方」。「停滞を嫌い、変化を好み、イラチで敏捷な大阪人の気持ちの動き方が笑いを求める」   

※帯の言葉「合理的だが理屈はキライ。なれなれしいほど暖かい。笑いがなければ、会話じゃない。しゃべりながら落ちを探す涙ぐましいサービス精神。今や「無敵の大阪弁」快進撃の秘密はこれや!」。

何かまとまらないけど、<面白く書かれた、プロフェッショナルの大阪弁論>ってことで、特に関西の方にはお薦めします。 それでは、今日はこれで終わりです。

97冊目 橘玲「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(幻冬舎;2010) 評価2

2011年12月13日 01時07分49秒 | 一日一冊読書開始
12月12日(月):

263ページ  所要時間1:40

著者51歳。「安直な本で、軽い内容の本じゃないかな」という予感があったので、とりあえず1ページ15秒を目標に読んだ。読後感は、そんなに外れていなかった…かな?。実際に、それほど時間を掛けずに眺め読みをしてしまったので、内容に強く反発する気はない。

著者が、いろいろと見たり、読みかじった内容を、あれこれと語っているのだが、『伽藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。』という冒頭に示された結論の内容は、単純なものだった。伽藍とは、日本の学校や会社のことで、狭い空間で動きが取れない中、お互いが評判・評価を気にして、窒息しそうになっている世界のこと。バザールとは、グローバルな世界に広がった開けた市場、とりわけリナックスや、フェイスブック、カウチサーフィングなどインターネットによって可能となった広大な世界に向かえ、と説く。そして、今、ネット販売の世界では、ショート・ヘッドで大きく儲けることは、なかなか難しいことかもしれないが、自分自身が「好きな」分野を前面にして取り組むのであれば、ロング・テイルの中に、必ずたくさんの小さなショート・ヘッドが見つかるはずなので、大きな儲けは勿論期待できないが、「好きな」ことで、個人レベルのそこそこの儲けを上げることは、それほど難しいことじゃないですよ、という内容。

改めてまとめてみると、自己啓発セミナー批判、囚人のジレンマのゲーム理論や日本的雇用が生み出す自殺社会、フラクタクル理論などとさまざま語っている割には、随分抽象的な主張の本だったなと思う。「なんだその程度のことかよ」という感じだ。

番外 戸部けいこ「光とともに…~自閉症児を抱えて~(10)」(秋田書店;2006) 評価3

2011年12月12日 03時44分25秒 | 一日一冊読書開始
12月11日(日):

257ページ  所要時間1:50

小学校高学年編とプレ中学校編。光くん、6年生後半。

荒れた七月中学の実態が明らかになり、養護学校中等部も人員削減で十分な体制がない,光くんのためにお母さんが足を棒にして、付近の中学を探し続ける。探せば、マンガだからか、現実もそうなのか、やはり適切な養護教育を実践できている中学校が見つかる。コミュニティーバスで15分の通学が課題だ。さらに、七月小の体育会系の校長が、またしても、無知・無関心による善意の暴力で<養護学校適>の判定を下して、家族の願いを砕こうとする。両親は、教育委員会と何度も何度も疲れる話し合いを繰り返させられる。自閉症児が適切な教育を受けるためには、家族一丸となって取り組まねばならない。このこと自体、不平等のもとだが、現実だ。

一方で、被害者意識の強かった6年アサガオ組担任の赤松先生が、光くんたちへの理解を深め、誠実な努力を続けてくれるが、きちんと取り組むほど、一人担任の限界に気付き始める。今回も、理解ある教頭先生が、教育学部学生のボランティア補助教員と保護者からの学習ボランティアなどの手配をしてくれて窮地を救ってくれる。

また、光くんを取り巻く子供たちにも、将来の選択の問題がさまざまな形で迫る。DVを繰り返す夫・父親に苦しむ絵里ちゃんは、すべての希望校に落ちて、不良?とのつながりに流されていく。

学校の教師に、どうしてこんなに差があるのだろう。声のでかい、腕力で児童・生徒を制圧して、指導力があると勘違いしている教師不適な俗物が、どうしてこうも多いのだろう。溢れかえっているのだ。管理職も、教育委員会も、とりあえず便利だから、そういう連中が出世する。そして、無知・無関心による善意の暴力・押し売りが横行する。

暴力を肯定する元教師が、今も模範的な教育者として、大新聞がコメントを押し戴く茶番に白けてしまう。一方で、我が子に対する丁寧な理解を求めて、心身ともに消耗していく親の苦しみ、手を差し伸べる教師や、ボランティアに、どうして大新聞、メディアは目を向け、協力を惜しまない姿勢を持てないのか。要するに、大新聞・メディアも怠けているのだ。それを隠すために、お言葉頂戴のお墨付き記事で誤魔化しているのだろう。  

番外 蛇蔵&海野凪子「日本人なら知っておきたい日本文学」(幻冬舎;2011)  評価3

2011年12月12日 03時40分35秒 | 一日一冊読書開始
12月11日(日):漫画は、ノルマとしては0.5冊扱い。

126ページ  所要時間2:30

ヤマトタケルから兼好まで、人物で読む古典。日本史と古典の入門書として、ちょっといい感じのネタを集めて漫画にしたもの。大したことないが、そこそこ読める。  

目次::1 清少納言:言いたい放題/2 紫式部:ぐるぐる悩む、普段はアホのふりをする/3 藤原道長:男の夢コンプリート/4 安倍晴明:伝説になった高給公務員、85歳の長寿、のち土御門家/5 源頼光:イケメン戦隊の司令官、渡辺綱・卜部季武(すえたけ)・坂田金時・碓井貞光/6 菅原孝標女:夢見るオタク少女、源氏物語を手に入れるため等身大の仏像を彫る/7 鴨長明:家に執着する男、下賀茂神社の一番えらい人の息子=ものすごーいボンボン/8 兼好:脱サラ・フリーランサー/9 ヤマトタケル:暴走する悲劇 

清少納言が退職して、五年後に紫式部は彰子に仕えたので二人は会っていない。でももし、この二人が直接会えば、「女が賢くて何が悪い訳?バカには好きなように言わしとけば?略。アンタ周りの評判気にし過ぎ!」と言える清少納言の勝ちだろう。

兼好の友達への手紙「夜も涼し 寝覚めの仮庵(ほ) たまくらも 真袖も秋に 隔てなき風」上と下の字を続けると、「米(よね)たまへ、銭も欲し」、友達の返事が「夜も憂し ねたくわが背子 はては来ず なほざりにだに しばし問ひませ」同様に読むと「米(よね)はなし、銭すこし」。

永田 久「時と暦の科学」抜粋メモ 短期連載2

2011年12月11日 04時35分56秒 | 一日一冊読書開始
12月10日(土):

出し惜しみなんかしません!どんどん行きます!  今日は忘年会、二日酔いで苦しんでます。遊書はお休みです。

第7回 グレゴリオ暦の構造:現在の≪グレゴリオ暦≫は、1582年2月24日、教皇グレゴリウス13世(天正遣欧使節がお世話になりました)によって制定。ユリウス暦は、11分14秒ずつずれが生じる→128年でほぼ一日分となる。16世紀グレゴリウス13世の時代には年差10日にも達していた。3月21日のはずの春分が、3月11日なっていた。このため改暦によって、誤差10日間を暦から省いて、1582年10月4日の翌日を10月15日とした。しかし、週の翌日はそのまま続けたので曜日の中断はなかった。
そして閏年の規則を「西暦年が4で割り切れる年を閏年とする。但し、西暦年が100で割り切れても、400で割り切れない年は平年とする。閏日は2月29日とする」に改めた。ユリウス暦の一年は、365.25日だが、グレゴリオ暦の一年は、365.2425日となり、一年間の誤差は約26秒で、3319年たてば、ほぼ一日分の誤差になる。/グレゴリオ暦は、カトリック諸国では同時、プロテスタント諸国では200年遅れ、ギリシャ正教諸国は、最後までユリウス暦にこだわったが、ソ連・トルコが1918年、中国は辛亥革命の1912年に採用。日本は、1873年(実は1872年12月3日)。/世界暦の試み(エリザベス・アケリス)

第8回 日本の改暦事情:明治五(1872)年の改暦=12月3日を、明治六(1873)年1月1日に改める(グレゴリオ暦の採用)。同時に、西暦年に660年を加えた紀元を神武紀元とする。この改暦により、政府は、明治5年12月分と明治6年閏6月分の官吏の月給二ヶ月分を節約できた。福沢諭吉は『改暦弁』で、改暦に慌てふためく世間に対して「日本国中の人民、此改暦を怪しむ人は必らず無学文盲の馬鹿者なり。これを怪しまざる者は、必らず平生学問の心掛ある知者なり。されば、この度の一条は、日本国中の知者と馬鹿者とを区別する吟味の問題といふも可なり」の名調子はすごく良い。

第9回 陰陽五行説:日本の日・月・火・水・木・金・土の名称は、中国の≪陰陽五行説≫から来たもの。但し、諸子百家の鄒衍(すうえん)によって、五行説は五つの惑星に結び付けられている。/五行説では、天地万物は五行の現れた姿と考えるので、例えば、方角としては東・西・南・北と中央、色でいえば青・赤・黄・白・黒、季節では春・夏・秋・冬と土用と言うように、五つずつのパターンを<五行配当>という。「土用」とは、土気がさかんになって物を変化させるという「土旺用事」の略語.。土は五行の根本で、木・火・金・水は土より出て土に帰るとして、四季はすべて土気を含んでいる。/土用は夏だけ実用化されていて、立秋より18日前に始まるので、現在では7月20日ごろが土用の入り、立秋の前日が土用明けとなる。/五行相生と五行相剋

第10回 十干十二支:十干と十二支を組み合わせると、10と12の最小公倍数は60だから60の組み合わせができる=<六十干支>。/西暦年から3を引いて、60で割った余りをを求める。この余りの番号を六十干支表で読めば求める干支となる。

第11回 二十四節気:太陰暦のずれは、1年で約11日(10.875日)なので、補正するために2年または3年ごとに「閏月」を設けて暦日と季節を調節する。しかし、暦月と季節が一致することはない。正しい季節の到来を暦の中に≪二十四節季≫という目印をおいた。二十四節季とは、太陽の復活する冬至を原点として、1太陽年を24等分した時点を含む日をいう。二十四節季を一つおきに「節」と「中」に分け、四季を春・夏・秋・冬と定めて、立春・立夏・立秋・立冬から季節が始まるとし、節から、つぎの節の前日までを「節月」といい、立春・啓蟄・清明・立夏・芒種・小暑・立秋・白露・寒露・立冬・大雪・小寒・立春の間に正月~十二月までを当てはめる。この「節月」は、要するに太陽暦だ!、二十四節季が太陽暦なのだ!。「中」から「中」の間隔は30.4日で、太陰太陽暦の29.5日より長いので、32ヶ月か33ヶ月ごとに「中」を含まない月が生ずる。そこで、暦の一ヶ月すなわち朔から晦までの間に「中」を含んでいない月を閏月と定めた。/立春を年初とするようになったのは、漢の時代からで、古くは年初は冬至であった。光の春は冬至から、気温の春は立春から。光の春より気温の春をのぞみ、もっとも寒い日であろうと、その後はしだいに暖かさが肌に感じられるようになる立春を春・年初として「立春思想」が成立した。立春を基準に日を数える風習→「八十八夜(種まき)」、「二百十日(中稲の開花期で台風の厄日)」

第12回 人生の宇宙観:「八卦」は、万物の現象を八つの象(かたち)にあらわしたもの。「対極」→「両儀」→「四象」→「八卦」=乾(けん;天を意味し、太陽の光り輝く状態を示す)・兌(だ;沢が伸びて、悦び解きほぐす状態である)・離(り;火をあらわし、物について明らかにする)・震(しん;雷があたりを震わすさまを示す)・巽(そん;風が吹いて従う状態である)・坎(かん;水を意味し、穴に流れ落ちるさまである)・艮(ごん;山が動かずとどまっている状態)・坤(こん;土を意味し、大地をあらわす)。八卦は根本原理として自然現象を取り込んで、そこから内容を発展させている。/鬼門は、五行説の「相生」と「相剋」を「八卦」に当てはめてみると、「艮」のところだけが両隣り坎、震に対して相剋となっている。八卦の「艮」は五行説によって相剋のきわみとして、その方角まで忌み嫌われるようになった。/八卦に易が導入されて、八卦は複雑になった。/易には二とおりの方法「亀卜(きぼく)」と「蓍筮(しぜい)」があった。/中国に生まれた「易」は亀の甲と筮竹を用いて、神の意志をきく呪術であり、その神意が森羅万象の消長として表わされたものが「八卦」なのである。/占星術astrology=「星の学問」、天文学astronomy=「星の法則」/天体に住む神、いや天体そのものを神として、その運行によって神の意志と摂理の法則を知る術として発達したのが占星術である。人間は生まれた瞬間の星の位置によって運命づけられるという論理。生まれた瞬間の惑星の位置が、天に記された星の文字として、人間の性格も運命も決定する。人間にもっとも支配力をもつと考えられる太陽が、生まれたときに「黄道十二宮(ギリシャの天文学者ヒッパルコスが考案)」のどの宮にいるかで「何座生まれ」が決められる。

永田 久「時と暦の科学」抜粋メモ 短期連載1

2011年12月10日 05時07分26秒 | 一日一冊読書開始
永田 久「時と暦の科学」(NHK市民大学10月-12月;1989)の内容の抜粋メモを作ったら、量が膨れ上がってしまったので、読者の皆さんに、おすそ分けで、短期連載します。
      
目次:

第1回 時間を区切る:(まだ未整理です)

第2回 週の成立と順序:「一週間=7日」はバビロニアで生まれた。「7日」の理由①月の周期が、朔(新月)→上弦(半月)→満月→下弦(半月)ふたたび朔(新月)になる七日ごとの月の満ち欠けの変化によって、「七」を聖数とする。②水星、金星、火星、木星、土星の五惑星に太陽と月を加えた七惑星信仰の存在。※但し、日本の曜日は、陰陽五行説の日・月:木・火・土・金・水からである(既に陰陽五行説が七惑星信仰と習合しているのも事実。ここの接点がいつかは、とても知りたい。

「七」は、ヘブライ人に引き継がれ、創生神話となり、神の定めた聖なる数と規定された。/古代の暦には、週という概念はない。コンスタンティヌス1世がユリウス暦に週を取り入れようとしたが、失敗。100年後のテオドシウス2世の429年に実施、「週」が暦の中に初めて登場した!/ツェラーの式/万年暦

第3回 曜日の意味:①北欧神話、②ギリシャ・ローマ神話、③週の名前に順序数を冠す。 Sunday(太陽の日)、Monday(月の日);Tuesday(戦いの神ティルの日)、Wedenesday(風の神・万物の父オーディンの日)、Thursday(雷の神トールの日)、Friday(女神フレイアの日)、Saturday(農耕神サトゥルヌス=クロノスの日)

第4回 太陽暦の源流-エジプトの暦:シリウスの「ヘリアカル・ライジング」(夏至の頃)=シリウスの出現とナイル川の氾濫(イシスの涙)の一致こそオシリスの復活であり、神のお告げである。夏至から時が始まる。エジプトの歴史は、太陽暦なのではなく、正しくはシリウスによって定められた恒星暦である。「エジプト暦=年初はトート月1日(ヘリアカル・ライジング;周期365.25日)、一年は12か月、1か月は30日、1日は24時間とする。10日間を一週間と定めて10日目を休日とする。年末にエパゴメネ(付加日)5日を加えて神々の祝日とする。」※これって「フランス革命暦」ではないか!。全くのオリジナルと思っていたが、ユリウス暦への先祖返りだったんだ。ビックリしたなもう!。

第5回 十二か月の歩み-ローマの歴史:Septemberは、ラテン語の「七」(Septem)から派生。実は、Octoberは「八」、 November「九」 、Decemberは「十」である。あれ?。/BC46年、ローマのカエサルが従来の太陰太陽暦を改めて<ユリウス暦>として公布、4年ごとに閏年をおく。この年、暦日と季節のずれをなくすため、一年355日に90日を加えたので、445日という一年になった。/BC8年、アウグストゥスの改暦後、12か月の日数の配分が2000年以上不変で現在に生きている!

第6回 月の名の由来:January(門神ヤヌスの月)、February(贖罪の神フェブルウスの月;「サビニ戦争」の戦死者の慰霊)、March(軍神マルスの月)、April(愛と美の女神アプロディテーの月)、May(豊穣神マイアの月)、June(結婚を司る女性の保護神ユノーの月;最高神ユーピテル(ゼウス)の妻)、July(カエサルの月)、August(アウグストゥスの月)、September(七番目の月)、October(八番目の月)、 November(九番目の月)、December(十番目の月) ※元々は年末にあったJanuaryとFebruary が年初に割り込んだために、March以下が二ヶ月ずつ繰り下げられた。



96冊目 柏木哲夫「死を看取る医学 ホスピスの現場から」(NHK人間大学1月-3月;1997) 評価3

2011年12月10日 04時56分02秒 | 一日一冊読書開始
12月9日(金):

131ページ  所要時間3:00:

ほぼ15年前の本。著者57歳、ホスピスで2000名を超える患者を看取ってきた大阪大学人間科学部教授、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長。     

前年の1996年7月、第1回の日本緩和医療学会が札幌で開かれた。欧米に比べて、遅きに失した感のある「ターミナルケア」「死を看取る医学」のはじまりを告げる啓蒙書。     

読後感は、創成期の前向きな高揚感は伝わるが、総花的で、いまひとつテーマ立ても、未熟で焦点が定まっていない。まだ15年しか経っていないのに、現在のホスピス、緩和ケア医療に対する意識に比べると随分と遅れた印象を受ける。私の感じ方が間違っているのか、やはり15年で大きく状況が変わったのかは、わからない。

ただ、強く感じたことは、ホスピスでは、痛みを緩和すること(90%の痛みはなくせる!)は当然として、死と向き合う患者の精神面のケアが非常に重要である。死についての見方・考え方、死生観、人間論といった哲学的部分による裏打ちが必要になる。そういう意味で、ホスピスを考えることは、どう生きるかも含めた哲学的考察の非常に良い題材になる。    

目次:1 現代の死/2 病院死の問題/3 生命の質と末期医療/4 ホスピスの働き/5 緩和医療/6 安楽死と尊厳死/7 癌患者の心に聴く/8 癌告知 /9 癌と心のもち方/10 ターミナルケアとユーモア/11 死別の悲しみ/12 老いと死     

「なぜ、私が?」(「Why me?」)/緩和医療は消極的なニュアンスで受け取られがちだが、非常に積極的な医療です。「積極性が苦痛の緩和に向かうという点で、一般の病棟での医療とは違うということです」。

「尊厳死というのは、自己決定権という点では大きなプラス面がありますが、人間が持っている命の大切さ、それはどのような状態になってもその命という神聖なものであり、それを不自然に延ばしたり意識的に短くしたり、人工的に扱うのはよくないのだ、という考え方をしっかりともっておく必要があるのではないか」

「アメリカでは100%近い人が告知を受けています。しかし、日本ではまだ20%ぐらい(1997年当時)」。略。これから先、日本でも告知が重要視されていく。

癌告知の研究(E・キュブラー・ロス)=「否認」→「怒り」→「取り引き」→「抑うつ」→「受容」、日本の場合、告知率がはるかに低いので、反応はもっと複雑になる。特に最後が「受容」か「あきらめ」かは、似ていて全く違う。

死に対する受容能力の高い人=自律的な生き方(しっかりした人)、恒常性が高い(落ち着いた人)、覚悟ができる(がまん強い人)、自分を見つめる(冷静な人)、継続的自己同一性(過去・現在・未来の時間をつなぐことができる人)、人の死を受け入れることができた人、与える人生を送ってきた人、信仰を持っている人である。   



95冊目 永田久「時と暦の科学」(NHK市民大学10月-12月;1989)  評価5

2011年12月09日 06時04分55秒 | 一日一冊読書開始
12月8日(木):

138ページ  所要時間4:35

自分の本棚を物色していて、「こんな本、持ってたんだ!」という出会いだった。以前から、「一週間は、何故、何時頃から7日なのか?、そして中国や日本にいつ頃、伝わったのか?」「太陰暦と太陽暦の関係を要領よく解説した本はないか?」など暦に関心があった。ページ数の少なさにも強く魅かれた。著者64歳。

ただ、油断して鉛筆と付箋でチェックしながら読み始めたのは、失敗だった。解り易くて、面白いのだ!。2時間経っても、わずか50ページ、半分にも達しない。焦ってるのに、後半に大きな落とし穴があった。日本の改暦事情から、陰陽五行説、十干十二支、二十四節気と「節月」の紹介が、わかりやすく展開されるのだ。そして、福沢諭吉の『改暦弁』で、改暦に慌てふためく世間に「日本国中の人民、此改暦を怪しむ人は必らず無学文盲の馬鹿者なり。これを怪しまざる者は、必らず平生学問の心掛ある知者なり。されば、この度の一条は、日本国中の知者と馬鹿者とを区別する吟味の問題といふも可なり」の名調子が紹介され、一方で「光の春は冬至から、気温の春は立春から」などの詩的表現が散りばめられる。わくわく興奮しながら、読みこんでいくうちに4時間半が経ってしまった。

結局、こんな薄い本だが、内容は最高に興味深くて面白かった。何のことはない、読書ではなく、テキストで楽しく「延々勉強してしまったのだ!」。こんなことしてると、読書習慣が維持できないという後悔と、楽しかった!という思いの間でジレンマに、またしても迷い込んでしまった。

この本を、今、入手することは、不可能だけど、著者のほかの著書は入手可能です。私は、「読まれてみては、如何?」と、お勧めします。誰かに伝えたくなる興味深くて、日頃の疑問に答えてくれる内容が、とても良い塩梅で紹介されています。是非ご一読を!  

※例のごとく、寝なければいけません。面白い内容ばかりだけど、紹介できれば紹介します。     

目次:1時間を区切る/2週の成立と順序/3曜日の意味/4太陽暦の源流-エジプトの暦/5十二か月の歩み-ローマの歴史/6月の名の由来/7グレゴリオ暦の構造/8日本の改暦事情/9陰陽五行説/10十干十二支/11二十四節気/12人生の宇宙観

94冊目 表 三郎「日記の魔力 この習慣が人生を劇的に変える」(サンマーク出版;2004)  評価3

2011年12月08日 04時40分25秒 | 一日一冊読書開始
12月7日(水):

206ページ  所要時間3:00:


著者64歳は、京都の駿台予備学校で、浪人生たちからカリスマと仰がれ、20年以上君臨してきた英語科名物講師(一説には、アジテーターとも)である。

日記を30年以上書き続けてきた経験から、日記を書き、読むことの効用を熱く語る。ただ、同じような内容が、くどくどと繰り返されてる感じで、言いたいことは、だいたい想像がつく。睡魔の影響もあって、少しつらい読書になった。

要約すれば、「まず、人生は『問い』のレベルで決まる。答えが見つかるための唯一の条件は、『問い』自体を忘れないこと!。日記を書くことにより、毎日の生活を意識化し、それを読み直すことを習慣として繰り返すことにより、常に日々の生活を点検するとともに、日記の内容が過去の膨大な記憶と意識の扉を開く鍵となってくれることがある。無上の喜びとともに、全く予期せぬステージに自らの意識・思考を深め発展させてくれる。そして、この日記を書き→読み→思考→発見・止揚の喜びというサイクルをいろいろと工夫しつつ、繰り返し続けることで、ついには万人と無意識下でつながり共通している<問いのプール>(仏教で言う阿頼耶識か?、ユングの言う集合的無意識か?)という無限のキャパシティを持つ意識レベルに到達し、活用できる境地にまで日記が導いてくれることもありうる。『本当の答えは、他者に求めるのでなく、自分の中にこそあるのだ』と気付いた、と結論付ける。結局、禅的悟りの色彩が強くなった印象を受けた。これも、あるべき姿への回帰と言うべきなのか?。近年、著者は、長年にわたって信奉してきたマルクスを棄てたそうだ。そして、どんな知的レベルでも、たとえ老人になっていても、日記を書き続け、その日記を読み直すことを繰り返すことは、喜びとともに人生を劇的に変える<魔力>を持ちますよ!。」という<日記の勧め>である。

実は、私も、日記は、大学ノートや「日記の高橋」を合わせると、30~40冊ぐらいにはなる。昔、苦しかった時などに、家の風呂に日記を持ち込んで2時間ぐらいぬるい湯船に浸かりながら日記を読み返すのが、自分の当時立っている人生の座標を確かめ落ち着かせてくれる、無上の楽しみだったのは確かであった。ただ私の場合、著者の禁じたマイナスの怒りや非難も一緒に何でもかんでもタバコをスパスパ吸いながらたたきつけるように書き込んでいた。しかし、最近は、「自分の毎日に書き留めるほどの意義を見出すことができない」ので、日記は途切れがちになっている。また、昔の日記を読み直すこともほとんどなくなってしまっている。これは単に歳をとったということだけではなく、「私自身が、精神的にやや病んでいるせいかな?」と考え込んでしまった。

いずれにせよ、間違いなく、私よりも随分歳上の著者が、これだけ日記を書くことと、読むことの効用と自分自身の成長・発展を信じて熱く説いているのを見せつけられれば、やっぱり私も、もう一度、昔の日記を読み直して、もう少しまめに日記をつけるところから自らを立て直してみようかな、と思った。  

※そろそろ、寝ないといけません。お休みなさい。

93冊目 船橋洋一「あえて英語公用語論」(文春新書;2000) 評価5

2011年12月07日 05時51分16秒 | 一日一冊読書開始
12月6日(火):

243ページ  所要時間4;20

7年前、4年前に続き、3度目。眺め読み、失敗。面白かった、という記憶のみで、内容はすっかり忘れていて、「何か英語の良い勉強の仕方でも書いてあるかな?」、軽い気分で読み出した。

はじめは睡魔との闘いだったが、途中から目が覚めて、ぐいぐいと引き込まれた。すごく面白かった!!。

著者56歳、朝日新聞コラムニスト。まず、小手先の話の本ではない。すごく広いグローバルな視野から、現代の世界で「英語」が既に獲得してしまっている<世界共通語>としての存在の大きさをさまざまな視点から、個別具体的に実証・説明がなされる。結論として、通俗的「英語帝国主義論」の虚妄に捉われることなく、既に、他の外国語と相対化できないレベルで、英語が<世界共通語>という特別な存在になってしまっている現実をしっかりと認めるべきである。その上で、21世紀の日本が国際的に孤立することなく、NOだけでなく、「NOもYESも言える日本」として発展していくためには、真摯に覚悟を決めて、「英語を「外国語」ではなく、「第二公用語」として腹をくくってしっかりと位置付け、国家的・長期的戦略を持った言語政策による国際的国作りに取り組まねばならない!。」と提言している本である。

さまざまな視角から、たくさんの諸外国(カナダ、シンガポール、etc.)や、国内の先住民・外国人問題などにも緻密・丁寧な考察を加え、配慮して、本当に分かりやすくエキサイテイングな具体例>で説明されている。

そして、何よりも、著者には、<確固とした世界観>がある。<英語、「第二公用語」化>実現のための、今後のトータルで具体的かつ明確な長期的戦略的方法論がしっかりと提示されているのだ。公用語化に対する、ありがちな反対論には、丁寧に理解を求める説明の労を惜しんでいない。また、大学受験英語の無意味を激しく指弾して、あくまでもコミュニケーションの道具としての英語教育の新たな創造を提議する。重ねて強調するが、本書は小手先の本ではなく、21世紀の日本の行く末を心配する著者による、英語をめぐる非常に<トータルな世界観>とその実現のために、優れた戦略的方法を自信を持って提示してくれている。多少、勇み足はあるが、希有な価値ある本である。

私は、この本を強く推薦する。心ある読者に、たとえ賛否はあっても、是非読んでほしいです。決して損はしない本です!。                           
※さて、そろそろ眠らねばならない。まだまだ、興味深い、世界の国々の、英語をめぐる取り組みが書かれているが、また時間があれば、書き足させてもらいます。それでは、お休みなさい。

目次:はじめに―これからの時代、先立つものは英語:「対話」の失敗を繰り返さない、「二一世紀日本の構想」懇談会の提言、個人が英語のマスター(飼い主)になる、世界の人々と共同作業をする、「対話」はカネでは買えない/
1クレイジー・イングリッシュ―英語とグローバリゼーション:グローバリゼーション、アジア=世界最大の英語地域、韓国の英語公用語論、国際語から世界語へ、「英語たち(Englishes)」の登場、※「所有」から「利用」へ/
 2イングリッシュ・ディバイド―英語と米国支配:米国支配と英語支配、英語衰退のシナリオ、ソフト・パワー、英語帝国主義、言語圏、平等化機能、アイデンティティ ※言語国権論から言語民権論/
 3バイリンガル―英語と二言語主義:イマージョン=グレート・フォールズ小学校、イマージョン=加藤学園、バイリンガル ※サブマージョンからイマージョンへ/
 4イングリッシュ・プラス―英語と多言語主義:米国=「英語オンリー」対「英語プラス」、シンガポール=複数公用語、欧州連合=作業語と母語、フランス=地域語と外国語 ※オンリーからプラスへ/
 5英語公用語論 戦略―日本の何が問われているのか:英語は共存と信頼のテーマ、戦略的課題、言葉の力と言語政策の確立、政府の英語力の貧困、「言語的孤立」の危険、英語公用語論批判、何で英語やるの?、日本の言語政策の確立 ※鏡から窓へ/
 6英語公用語論 提案―どこから始めるか:バイリンガル人口の目標設定、公用語法を設定する、多言語国家を目指す、英語教育は、コミュニケーション言語の習得であることを明記する、政府公式文書を日英両語とする、中央政府の「英語必要度」格付けをする、品質ラベルを日英両語で、イマージョン英語教育を導入する、大学入試をTOEFLと日本説明英作文の二本立てとする、英語教育の題材を、国際語として世界の広がりの中に求める、中国語、韓国語、スペイン語、ロシア語など、英米以外の英語教師を積極的に招請する、英語教師にTOEFL受験を義務づける、国会議員の英語能力の開示/
 若い英語教師たちへの期待―あとがきに代えて

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)