もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

170520 桃山文化のご長寿絵師海北友松(1533~1615:83歳)はスゴイ!息子友雪は66歳の時できた!

2017年05月20日 23時41分26秒 | 徒然・雑感
5月20日(土):

海北友松が面白い!」という話を聞かされて意外だった。桃山文化の狩野永徳、長谷川等伯の二大天才絵師に次ぐ三番手で存在感の薄さばかりが印象的だったのだ。

少し調べてみた。確かに面白い人物だ!。人柄ではない、そんなことは知らない。ただ、何と言っても83歳という、今なら100歳級のご長寿がすご過ぎる!。狩野永徳(1543~1590:47歳)、長谷川等伯(1539~1610:71歳)の二大天才絵師のいずれよりも、年上の天文2年(1533年)生まれなのに、戦国、安土・桃山、江戸初期の乱世を生き抜いて、1615年大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した直後に83歳で大往生を遂げているのだ。戦国から江戸初期まで長い<乱世の生き証人>だと言ってよいだろう。彼が10歳の時、ポルトガル人が来て、51歳の時にスペイン人が来て、67歳の時にイギリス人とオランダ人が来ているのだ。これだけでもすごい。

出身は、佐々木源氏を名乗る(やや怪しいが…)一族で、北近江の浅井氏家臣・海北綱親の五男として生まれる。幼くして父が討ち死に、京都の東福寺に預けられる。ここで狩野派を学んだらしい。師匠は狩野元信とも狩野永徳(10歳も歳下!)ともいわれている。1560年桶狭間の戦いで27歳。天正元年(1573年)に浅井氏が滅亡し兄達も討ち死にしたのち、還俗し海北家の再興をめざした(既に40歳!)。この年、武田信玄も52歳で死んでいる。

明智光秀の重臣斎藤利三(春日局の父)と親交を深めるが、1582年本能寺の変で明智光秀と一緒に斎藤利三が磔(はりつけ)にされると、見張り番を襲撃して斎藤利三の遺体を奪い返して、京都の真如堂に葬る。この時、既に49歳。その後、安国寺恵瓊や、細川藤孝(幽斎)らと親交を深め、豊臣秀吉や後陽成天皇に知られるようになる。

57歳の時、師の狩野永徳が47歳で亡くなった(1590年)。その後、当時としては普通寿命が尽きる60歳代になって、狩野派から独立。独自の画業を急速に活発化していく。年齢による衰えは全くない!。本当にピンピンしてたんだろうね。

自慢じゃないが、50歳代のもみさんは、今や心身ともに、お仕事も含めて、がたがたである。これから新しい仕事をどんどん増やすなんて考えられない!。にもかかわらず、海北友松師匠(もう師匠と呼ばせて頂きます!)は、83歳で亡くなるまで、永楽さんや等伯さんの穴を埋めて、フル回転で仕事を受け続け、しかも画風は進化し続けるのである。ちなみに江戸時代初期の幕府の大きな政治課題は、秀吉がめちゃくちゃにした朝鮮国との外交関係の修復だったのだが、のちの善隣友好外交のお手本となる朝鮮通信使につながる外交関係修復の交渉で海北友松師匠の描いた竜(ドラゴン)の絵が、朝鮮で”天下第一”ともてはやされ、朝鮮に贈られることで、外交関係修復にもちゃっかりと一役買ってしまったりしているのだ。

師匠!師匠!師匠と呼ばせておくんなんし!。海北友松師匠は、60歳代からの20年間という長い晩年に、狩野永徳、長谷川等伯ら自分より年下の”天才”たちに肩を並べていくのである。最後は、後陽成天皇の弟の八条宮智仁親王の知己を得て最期まで良い仕事を残すのである。

83年間、乱世を生き抜いた彼は、数々の有名な戦国の英雄、奸雄たちの生きざま、死にざまを横目に見ながら、生き抜いたのだ。今川義元、浅井長政と海北一族、武田信玄、上杉謙信、織田信長、明智光秀と斎藤利三、柴田勝家、豊臣秀次、豊臣秀吉、毛利、安国寺、上杉、長宗我部、宇喜多、石田三成、豊臣秀頼数々の滅亡を見つつ、一方でしぶとく朝廷の後陽成天皇や弟の八条宮智仁親王、細川藤孝、春日局(斎藤利三)らが成り上がり(生き残り?)の徳川家康と結びついて生き延びていくのを目撃しつつ、日本史の教科書の片すみにつつましやかだが海北友松という名を残しているのだ!

やっぱりすごいわ…。歴史に名を遺す連中というのは。何?、安倍晋三みたいに強烈な汚名を残す奴もいるって?!、当たり前です!(ピシャリ!)。安倍晋三には、歴史という”お白州”でしっかりと大きな汚名を残して、愚かな笑われ者になってもらうのは当然過ぎることです!。政治をおもちゃにして、独裁者を目指してしまって(逆に言えば、ものごとの収集の仕方を知らなかった)、日本国民(外国籍を含む)を本当に不幸にした知能のまことに低い戦後最低最悪の政治屋という位置づけは受けてもらうしかない。それすらも、安倍バカボンが嫌がった時、それは日本が「基本的人権の<墓場>である」戦争に突入し、破滅した時である。

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