もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150719 回復すべき『コモン=センス』:「声明書」(自由と平和のための京大有志の会)

2015年07月19日 22時42分08秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
7月19日(日):

自由と平和のための京大有志の会「声明書」

戦争は、防衛を名目に始まる。/戦争は、兵器産業に富をもたらす。/戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。/戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。/戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。/生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。/空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、/知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。/学問は、商売の道具ではない。/学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、/私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。


ついでに、マルティン・ニーメラー牧師の詩『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』

【1】ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった/私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった/私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった/私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき/私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

【2】ナチ党が共産主義を攻撃したとき、彼は多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。彼は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。彼はずっと不安だったが、まだ何もしなかった
ナチ党はついに教会を攻撃した。彼は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた

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