もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

8 034 「やくそくは南の海をこえて―シンガポール日本人学校の子どもたち」(金の星社:1990)感想3

2019年01月25日 01時46分33秒 | 一日一冊読書開始
1月24日(木):  

73ページ     所要時間0:35(読み聞かせ)     リサイクル本

著者36歳(1954生まれ)。

子ども向けにはいい本だと思う。敗戦の年、上野動物園で象が殺された話をシンガポールの日本人学校の小学生たちが聞いて学習発表会で影絵を演じる話。

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8 033 江藤真規「勉強ができる子の育て方」(ディスカヴァー携書:2009/2015)感想4

2019年01月15日 03時14分35秒 | 一日一冊読書開始
1月14日(月):  

256ページ     所要時間2:40      古本市場86円

45歳?(1964生まれ?)。お茶の水女子大学卒。

娘二人が、東京大学に現役合格(姉・理Ⅲ、妹・文Ⅲ)した子育ての記録である。大学卒業後、東京電力就職2年目の24歳で結婚退職。25歳で出産、母となる。

専業主婦として、「教育ママ」に徹する。娘二人の教育のために手探りした方法、思索の積み重ねを開陳した内容。夫の仕事の関係上、二度にわたって渡米。二人の娘が小学校6年、4年の時、帰国。娘二人は、帰国子女ということになる。その後、公立ではなく私立の中学校受験を敢行。

東京大学に子どもを進めるのには、やはり親の教育力(学歴)と経済力が反映されるのだなと再確認。一方で、本書に対する俺の印象は悪くはない。それなりに謙虚でまともなことがきちんと書かれている、と評価している。恵まれた経済事情の中で、高学歴の母親が、我が子のために精一杯知恵と工夫をしぼったアイデアの数々はいずれも納得のいくもので、事新しい驚くような内容ではない。

ある意味、あるべき当たり前の教育をきちんとやり切ったことで結果が出たことに本書の意義はある。当然のことを、実際にきちんとやり切れば子どもは当たり前にきちんと育ってくれるということだ。ただ、一昨日に読んだ池上彰編「子どもの貧困」とは対極の世界でもある。人間の世の中の不条理・不平等もよく見えてくる。この格差を少しでも小さくしていく努力が大切なのだが、どぶの目をした世襲政治屋集団が首相を務める今の日本では望むべくもない。

著者の良識を感じさせる一説を紹介しておく。
・【子供の反抗期について】この時期の子どもから出てくる言葉はストレートで、ときとしてまわりを傷つけます。そんな言葉に一喜一憂する必要はありません。/略。/「お気持ちはわかります。では、こうしませんか?お子様の行っている言葉ではなく、なぜお子様はそんなことを言っているのか、そこを聞いてみましょう」/子どもの口から出てきた言葉ではなく、なぜそのようなことを言っているのかを聞く、ということです。/「どうしてこの子はこんなことを言うのか」というところに意識を集中させると、口から出てくる言葉の奥にある「本当の気持ち」が聴こえてきます。それによって、私は「ああ、この子も苦しんでいるんだ。それを受け止めてやるのが私の役割だ」と心から思えるようになったのです。/そうやって少し広い視野で考えるようになると、子どもの口から出てくる言葉が、ワンクッション置いてから私に届くようになり、私も子供の言葉に反射的に反応してしまうことはなくなりました。そして、再びうまくコミュニケーションが取れるようになったのです。/人間関係は言葉のやりとりで思わぬ方向に進んでしまうことがあります。たとえ何もかもわかり合っているはずの親子であっても……。/この時期の子どもといい信頼関係を作るには、子どもの言葉や行動に反射的に反応せず、一呼吸おいてから考えること。答えを出す前に体全体をぐるっと通してみて、それから答えを考える、そんなイメージです。160~161ページ

如何ですか。この文中の<子ども>を今の韓国政府(韓国の皆さん、ゴメンナサイ)、<私>を日本政府に置き換えてみれば、表面的な事象で大騒ぎをして国民を扇動している今のアベ自公政府マスコミの大人げなさ、悪意すら感じさせる稚拙さが手に取るようにわかる、と思います。親子関係と同様に隣国との関係は非常に大事な関係なのだ。

【目次】第1章 勉強が好きで何が悪い! 楽しく学べば必ず伸びる /第2章 教育ママで何が悪い! 娘二人を東大に入れた私の子育て /第3章 できる子の親 7つの子育てポリシー /第4章 年齢別 子どもが伸びる5つの関わり方 /第5章 東大合格を実現した我が家の勉強法

【内容紹介】娘二人を東大現役合格させて母親が、幼児期の育て方から、大学受験時の教材や勉強法まで公開! 5万部のベストセラー、待望の携書化 /二人の娘を東大に現役合格させた著者が、7つの子育てポリシー、子どもが伸びる5つの関わり方、勉強を習慣にする7つの秘訣、考える力を育てる3つの指導法など、どこの家庭でもすぐに実行できる方法を紹介する。難関校に合格した子の親はよく「勉強なんかしてません。運がよかったんです」と謙遜するが、著者は「勉強好きも一つの個性。それを最大限に伸ばすため、幼い頃から勉強をさせてきました」と言い切る。「ガリ勉」というネガティブなイメージではなく、「学習は本来楽しいもの。知識や世界を広げる素晴らしい体験」であり、何より大切なのは「楽しく学ばせること」だという。そのためにどう子どもと接し、どんな環境をつくるべきかを具体的に解き明かす。
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8 032 池上彰編「日本の大課題 子どもの貧困- 社会的養護の現場から考える 」(ちくま新書:2015)感想5+

2019年01月14日 03時03分28秒 | 一日一冊読書開始
1月13日(日):      

254ページ     所要時間7:10     ブックオフ108円

編者65歳(1950生まれ)
著者 第Ⅰ部 高橋利一76歳(1939生まれ)。児童養護施設至誠学園指導員、施設長。法政大学現代福祉学部教授。
   第Ⅱ部 池上和子?歳( ?生まれ)。臨床心理士。昭和女子大学女性文化研究所非常勤講師、研究員。
       /高橋利之43歳(1972生まれ)。特定非営利活動法人エンジェルサポートセンター理事長。

【目次】第1部 児童養護施設からの問いー対談=池上彰×高橋利一(社会的養護とは何かー家族リスクと子どもの貧困/忘れられた子どもたちー養護の現場から/自立の困難ー子どもたちの未来)/第2部 家族、虐待、自立(子どもの現実/多重の喪失と分離ー二重の剥奪状況に追い詰められる子ども/教育ネグレクトー児童養護施設の子どもの学習の困難/親の問題とどう取り組むか/児童養護施設からの自立と自立支援)

良書である。テキスト児童養護施設の現場で、さまざまな困難、問題を抱える子どもたちについて、実際に自らの人生を重ね合わせて懸命に取り組んでいる実践者の声が克明にきちんと取材されて書き込まれている。

何よりも大変豊富な具体的な例が示され、著者らが実際の子どもたちを思い浮かべながら、懸命に心のこもった考察がなされているのが気持ち良い。人間にとって、ましてや子どもたちにとって<居場所>というものがどれほど大切なものであるかを多面的に教えてもらえる内容だ。

読んでいて、今の日本社会の忘れてはいけない大切な側面が本当によく見えるようになった。世の中を観る上で非常に貴重な観点をたくさん与えてくれる有意義な内容だった。

想像力がすごく喚起され、下手な小説を読むよりも納得しながら、<読み物>としても興味深く読むことができた。世の中に必要な本>というものはあるのだ。評価は勿論5+だ!

アマゾンのレビューで本書について、構成が悪いだの、池上さんの取材が不十分だの、頓珍漢なご託を並べてる連中がいたが、本書は<子どもの貧困>問題の第一線で苦労されている“児童養護施設”の関係者の人たちの現場の声を日本社会全体に少しでも反映させたい。そのために「自分(池上彰さん)が今持っている社会的名声・影響力を遠慮なくお使い下さい」と言って、池上さんが労をとって成立した本だと考えるべきである。事実、俺は池上彰さんの本だから手に取って、最後まで目を通したのだ。良いきっかけを頂けたと感謝している。それで十分ではないか。ジャーナリストとして池上彰さんは十二分に立派な仕事(取材)をされたのだと思う。池上彰さんを偉いと思う。

児童虐待は貧困家庭に起きやすく、必然的に虐待を受けた子どもたちが、親から切り離されて施設に入ってきます。/そこでの子どもたちの様子を観察すると、貧困だけでなく、虐待だけでもない、重層的に積み重なってきた問題が存在することが見えてきます。/貧困の中で追い詰められた親の中には、精神疾患に苦しむ人たちも多数います。その親の様子は、子どもにも悪影響を及ぼします。こうした様子は、「多重逆境」と呼ばれます。なんともやり切れません。/略。/「子どもの貧困」を考える上で最も大事なことは、抽象論ではなく、子どもたちの実相を把握することです。様々な対策づくりは、そこから始まります。/児童養護施設の子どもたちの様子は、ふだんの私たちの視野からは消えています。見えないということは、存在しないも同然。子どもたちは社会から忘れられてしまいます。社会から忘れられることの辛さ。これでは、子どもたちは自立することができません。/子どもたちを見守り、自立を助け、社会で働いて税金を納められるように育て、社会に貢献する存在にすること。これが喫緊の課題だと思うのです。/社会の中で自分の存在が確認できれば、人は絶望の淵から這い上がることが可能になります。人が、人として認められ、人として生きていくことが可能な社会。これが、私たちが築くべき社会だと思うのです。(249~251ページ:池上彰)

【内容情報】社会が大きく変化するなかで、「家庭」で育つことができない子どもが増えている。貧困、虐待、DVなどの理由により、家庭から隔てられた子どもは、健康や学力の面で不利を強いられる。その数およそ7万人。経済格差が極まりつつあるいま、世代間連鎖を断つために「社会的養護」の必要性が高まっている。「子どもの貧困」の本質を映しだす児童養護施設の現場から、問題の実態をレポートし、その課題と展望を明快にえがく。
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8 031 井筒和幸・李鳳宇「愛、平和、パッチギ!」(講談社:2007)感想5

2019年01月12日 18時20分35秒 | 一日一冊読書開始
1月12日(土):  

231ページ     所要時間4:10     アマゾン258円

井筒和幸 55才(1952生まれ)。
李鳳宇  47才(1960生まれ)。

妻と息子がインフルエンザA型になった。年末に苦しんだ俺の風邪もインフルエンザの可能性が高くなった。あの尋常でない体の痛み、苦しさも、そうと分かれば腑に落ちる。

本書は、職場で紹介され、50ページほど眺めて、即アマゾンに注文を出した。2007年公開の映画『パッチギ! LOVE&PEACE』(박치기 ラブアンドピース)の関連書籍である。映画は「在日コリアン」の人々と日本社会との関わりをベースにした作品である。浮ついたグローバルを叫ぶ前に、まず足元の社会の有り様を歴史的背景も含めてきちんと見直す必要があることを教えてくれる内容である。録画は、これまでに何度も見直し、深く共感していた。

お気に入りの作品がどのような考え方の持ち主によって、どのような過程を経て創り上げられてきたのかが解説されている。製作者の考え方、立ち位置は、俺には非常に納得できるものである。既知の事実が多いが、賛同できることばかりなので、俺自身の社会に対する見方・考え方の正しさを再確認できた。俺にとってはテキストである。

【目次】パッチギ!宣言
第1章 HISTORY :二つの李家の物語 李鳳宇 /歴史なしには平和も未来も語れない 井筒和幸
第2章 TALK :済州島で、日本で考えた東アジアと僕たちのこと 姜尚中×李鳳宇 /『イムジン河』から『あの素晴しい愛をもう一度』へ 加藤和彦×井筒和幸
第3章 MAKING :撮影日記「今日も明日も編集室」 井筒和幸 /プロデューサー日記「今日までそして明日から」 李鳳宇

【内容紹介】2005年に公開され、各映画賞に輝いた前作『パッチギ!』から2年。キャストを一新し、ますますパワーアップした第2作『パッチギ! LOVE&PEACE』が、いよいよ5月19日(土)より、全国160ヵ所の映画館で公開になります。///●これを読めば、映画がもっと面白くなる! 本書『愛、平和、パッチギ!』は、映画をもっと深く知るためのサブテキストです。井筒監督、李プロデューサーのモノローグをはじめ、前作に引き続き音楽担当を務める加藤和彦氏や、政治学者の姜尚中氏が登場する対談、監督日記やプロデューサー日記など、映画ができるまでの物語をさまざまな切り口で大いに語り、解説します。グラビアページも充実して、読み応えじゅうぶんの1冊です。 ///一九七四、東京、枝川感動の反戦ドラマ。2007年最高の話題作『パッチギ!LOVE&PEACE』のすべてがわかるサブテキスト。

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8 030 アゴタ・クリストフ「悪童日記(堀茂樹訳)」(ハヤカワepi文庫:1986、日本語訳1991)感想5

2018年12月11日 02時38分38秒 | 一日一冊読書開始
12月10日(月):    

301ページ(本文273ページ)  所要時間5:00    ブックオフ108円

著者51歳(1935生まれ)。

名前だけはよく見る作品だった。読んだ印象は随分違った。原題はル・グラン・カイエ(Le Grand Cahier)で「大きなノートブック」である。

物語の舞台は、ハンガリーのオーストリア国境に近い小さい町。ナチスドイツの支配から、ソ連軍の支配下へと情勢が動く中で、双子の兄弟が、魔女と呼ばれているロシア人の祖母に預けられる。激動の時代の、激動の場所で二人は非常な聡明さを発揮して生き延びていく。決して道徳的ではないが、彼らには独自の価値基準が確固として存在し、それに従ってしなやかに生き抜く高い能力が備わっている。

物語は4ページ前後の短いエピソードの積み重ね(62章)の中で進められていく。ナチス占領下からスターリンのソ連の占領下に移る国境地帯で起こる様々な様子をそのまま描き渡っていく。

ストーリーに沿って展開する各省はしばしば、重いテーマをはらんだ状況設定になっている。死、安楽死、性行為、孤独、労働、貧富、飢え、あるいはまたエゴイズム、サディスム、いじめ、暴力、悪意、さらには戦争、占領、民族差別、強制収容、計画的集団殺戮(ジェノサイド)など、普遍的なものであれ、歴史的色彩の濃いものであれ、シリアスな問題が物語の随所に仕込まれている。略。もっともA・クリストフは、いずれもそこの深いそれらの問題を逐一それ自体として掘り下げようとしたわけでは勿論ない。略。彼女はそれらの問題を、戦時下に生きる疎開児童の諸々の見分および体験として持ち出し、その限りにおいて小説化したのだ。291ページ解説

途中まで感想4を考えていたが、最後まで読み通すとやはり感想5にせざるを得ない内容の書であった。

【よくできた解説】ハンガリー生まれのアゴタ・クリストフは幼少期を第二次大戦の戦禍の中で過ごし、1956年には社会主義国家となった母国を捨てて西側に亡命している。生い立ちがヨーロッパ現代史そのものを体現している女性である。彼女の処女小説である本作品も、ひとまずは東欧の現代史に照らして読めるが、全体のテイストは歴史小説というよりはむしろエンターテインメント性の強い「寓話」に近い。
そもそもこの小説には人名や地名はおろか、固有名詞はいっさい登場しない。語り手は双子の兄弟「ぼくら」である。戦禍を逃れ、祖母に預けられた「ぼくら」は、孤立無援の状況の中で、生き抜くための術を一から習得し、独学で教育を身につけ、そして目に映った事実のみを「日記」に記していく。彼等の壮絶なサバイバル日記がこの小説なのである。肉親の死に直面しても動じることなく、時には殺人をも犯すこの兄弟はまさに怪物であるが、少年から「少年らしさ」の一切を削ぎ落とすことで、作者は極めて純度の高い人間性のエッセンスを抽出することに成功している。彼らの目を通して、余計な情報を極力排し、朴訥(ぼくとつ)な言葉で書かれた描写は、戦争のもたらす狂気の本質を強く露呈する。
凝りに凝ったスタイル、それでいて読みやすく、先の見えない展開、さらに奥底にはヨーロッパの歴史の重みをうかがわせる、と実に多彩な悦びを与えてくれる作品である。続編の『証拠』『第三の嘘』も本作に劣らない傑作である。(三木秀則)

【内容紹介】戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。
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8 029 梅林秀行「京都の凸凹を歩く 高低差に隠されたことの秘密」(青幻社:2016)感想5

2018年12月09日 01時45分12秒 | 一日一冊読書開始
12月8日(土):  

151ページ    所要時間2:20     図書館

著者43歳(1973生まれ)。

古本で買いたいのだが、本書は全く値崩れしない。仕方なしに図書館で借りていたが、読まないままでおいたら、返却の催促が来たので仕方なしに駆け足で内容を眺めた。思っていた以上に最初から終わりまで、わくわくしながら眺め続けることができた。「ブラタモリ」の京都案内役を務めた著者には、すごく感じの良いセンスを覚えていたが、本書の内容はその印象をさらに強くさせるものだった。

・方広寺大仏殿は、1798年(寛政10年)、落雷で焼失。豊臣氏と同時に滅びたわけではなかった。
・御土居は、たった4カ月で完成した。
・伏見「指月の丘」:橘俊綱(藤原頼道の息子)「伏見山荘」→後白河法皇「伏見殿」→豊臣秀吉「伏見城(指月城)」
・梅林:まちなかに坂道や凹地があるのを見ると、「まちがボケてる」っていつも感じてしまいます。まちなかの地形は、歩く人からまるで「ツッコミ」を待っているように見えてしまう。140ページ
・梅林:今話したようなまちなかにある地形や痕跡めいた凸凹地形、それは土地の記憶の現われなんだと。タモリさんの大名言に「地形は変えられない。変えても土地が覚えている」っていうのがありますが、坂道を削ったり、凹地を埋めたりして、今はもう地図上にないですよって言われても、現地に行くと実は微妙な高低差があったり、何かの痕跡を見つけたりできる。たぶんそこには「平地ではいられなかった物語」が重なっていて、それは人の頭のなかにある記憶ばっかりじゃなくって、人は忘れているかもしれないけど土地の形としてそのまちの営みが表れてるのかもしれない。そこを読み解いたら面白いんじゃない?っていうメッセージをいつもタモリさんから感じます。141ページ

【目次】
祇園(前編)ー“京都らしさ"は作られた!? 花街の段差を後ろ姿から眺める。
祇園(後編)ー希代の名コンビによる結晶。円山公園の絵画的な景観デザイン。
聚楽第ー洛中なのに「郊外」的!? 京都のど真ん中に巨大な凹地あり。
大仏ー江戸時代は京都観光のメッカだった! 今はなき巨大な「大仏様」。
御土居(前編)ー4ヶ月で京都を囲い込む超短期工事! 秀吉の「はんなり」じゃない巨大城壁。
御土居(後編)ー「京都人」とは誰のこと? 御土居が発信する京都の生活史。
巨椋池ー「土木マニア」秀吉が残した、日本史上まれに見る巨大工事の痕跡。
伏見指月ー天下人が愛したナイスビュー! 今に伝わる「ゲニウス・ロキ(地霊)」のブランド力。
淀城ー旧地形のパラダイス! 分割された城下町の名残り。
NHK「ブラタモリ」プロデューサー山内太郎さんとの特別対談

【内容紹介】NHK「ブラタモリ」に最多出演! 足元に隠されたもう一つの都! /盆地の街、京都。実はその内側に、更なるガケの存在があった……! /豊臣秀吉由来の「御土居」をはじめ、凸凹ポイントで見つめ直せば、京都のディープな姿が出現する。/3D凸凹地形図と、古地図・絵画などの歴史的資料で紹介する、街歩きの新しい提案。
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8 028 高濱正伸「中学受験に失敗しない」(PHP新書:2013)感想4+

2018年12月08日 16時10分49秒 | 一日一冊読書開始
12月8日(土):  

211ページ     所要時間4:10      古本市場86円

著者54歳(1959生まれ)。花まる学習会代表。熊本県人吉市生まれ。熊本高等学校卒業後、東京大学理科二類入学。同大学院修士課程修了。1993年、「数理的思考力」「国語力」「野外体験」を柱とした学習教室「花まる学習会」を設立。ひきこもりや不登校児の教育も同時に開始。1995年に小学4年生から中学3年生対象の進学塾「スクールFC」を設立。算数オリンピック委員会理事

実のある本である。受験業界で生きる著者が、多くの子どもや保護者との実体験に基づいて年齢ごとの課題や心得について地に足のついた論を展開している。塾に通わせずに親子の二人三脚で有名中学に合格させたという個人的体験記などとは違う。浮いたところがないので常に説得力がある。中学受験の準備をしてきた子が、もし高校受験に向いてると思われた場合には、あえて中学受験を思いとどまらせることもあり、その際に両親がきちんと話し合って子どもを支えればよい、とも説く。書名の通り、子どもを「中学受験に失敗しない」ようにと願う保護者が読めば非常に参考になると思う。テキストと言える。

感想5でもよかったのだが、終盤少しダレて(特に第4章)、ステレオタイプの人間像を語るような印象を受けた。そもそも「中学受験に失敗しない」よう考える親のパターンというのはステレオタイプなのかもしれないな、とも思いながら「そこまで同調はできない」という思いで4+に抑えた。基本的に俺は本書に対して好印象を持っている。

【目次】第1章 中学受験に向く子・向かない子(公立中学・私立中学のメリットとデメリット/中学受験に挑める親子の条件/我が家は「高校受験でいく」と決めたら)/第2章 中学受験を決めたなら(4年生 受験生活スタート/5年生 中学受験の土台作りの1年間/6年生:いよいよ受験本番)/第3章 中学受験生の母親の心得(幸せな母親像が、我が子を幸せにする/母親にできる中学受験サポート術/母親にしかできないこと)/第4章 中学受験生の父親の心得(父親次第で家庭が変わる/父親にできる中学受験サポート術/講演「父親だからできること」参加者の感想から)

【内容情報】中学受験合格には、何が必要なのか。超人気の塾長が「母親にできること」「父親にできること」「学年別にしておきたいこと」を明かす。///私立中学に通わせるか、公立中学に通わせるかー人生の大きな二者択一に、親は子どもの一生を決めてしまうような気がして悩んでしまうもの。絶対に合格させなければ!といくら親ががんばっても、うまくいくとは限らない。むしろ思い通りにいかないことばかりだ。本書では、20年以上さまざまな家庭と接し、その後の成長を見届けてきた著者が、母親の本音、父親の本音、受験をする我が子の思いを代弁している。教え子の成功パターン、失敗パターンを紹介し、学年別にしておくべきことを細かく解説。子どもにとって本当の幸せとは何か。考え続けてきた結果のすべてをまとめた一冊。
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8 027 山田洋次「「学校」が教えてくれたこと」(PHP研究所:2000)感想4+ 

2018年12月05日 23時55分11秒 | 一日一冊読書開始
12月5日(水):  

245ページ     所要時間3:15      アマゾン378円(121+257)

著者69歳(1931生まれ)。

若い時、「そんな雑な考え方でどうする。もっと丁寧で気高い精神を持つべきだろう。もっと無理してでも前に一歩一歩進めるべきだ。」という恐れにも似た声を自分自身の中に持ち、それを裏付け励ましてくれる尊敬できる先輩や仲間、世の中の精神がたくさんあった気がする。

しかし、今や気が付けば表面的な見ばえばかりにお互い目を光らせ合って辻褄を合わせることだけに消耗する日々が続く。周りを見渡しても忙しげで余裕がないか、もともと底が浅いか、心を寄せるべき立派な精神に触れる機会が本当に少なくなっている。結局、俺自身の仕事や身の置き所がそういうあさまし場所だということをばらしているようなものだが、本音を言えば、昔あったはずの憧憬(あこがれ)に近い精神に身を寄せたいと思う。

本書は山田洋次監督の精神性の高さ、本来あるべき人間性のあり方について触れさせてもらえる。戦後の日本の映画史上に残る映画監督の謦咳に触れることのできる貴重な著作である。読んでいて「今どき、そんなに丁寧に人の心を大切に扱って本当にやっていけるんですか?」と、まず不安になる。しかし、ほどなくホッと安堵して「やっぱりそうですよね。そういう風に考えるのが本来当たり前なんですよね」と落ち着く。

<心のありかのふるさと>のような著作である。山田洋次監督の向こうに寅さんの渥美清さんや「学校」の黒井先生(西田敏行)がいる。11月にNHKのBSで山田監督の過去の映画作品が集中的に放送され、俺はすべてを録画した。また、昔録画した「男はつらいよ」をいくつも重ねて見直している。一貫して言える感想は、「人間を丁寧に優しいまなざしで描いていて安堵する」「本来、昔あった“常識”を自信をもって取り戻すべきだ」ということだ。

「第三章 導くということ」では、伊丹万作「演技指導論草案」を引いて、演出の世界と教師の教育論の比較をしている。演出家は教師、俳優やスタッフは生徒としてきめ細やかな対応の継続の必要性が説かれている。「先生って大変な仕事だけど、本当に責任重大やな」と思わされる。ただ、山田監督の論じる教師は、世間的な勉強を教える教師、威張っている教師ではない。

【目次】第1章 学ぶということ(夜間中学との出会い/心が解放される場所 ほか)/第2章 教えるということ(養護学校との出会い/教師は教室のゴミになれ ほか)/第3章 導くということ(素敵な先生、そうでない先生/伊丹万作「演技指導論草案」 ほか)/終章 子どもを育てるということ(不正を許せないと思う心/映画『学校4』-家族についてのメッセージ)

【内容紹介】学校は子どものために何ができるのか? 映画『学校』シリーズを通して出逢った教師や生徒から、監督が感じ得た学校の真実を伝えるメッセージ。/ 1993年秋、映画『学校』が公開された。そこから遡ること16年。ある脚本家の熱心なすすめで初めて夜間中学を訪れた山田監督は、そこで予想もしない光景を見た。暗い夜の学校、さまざまな服装と年齢の生徒たち、匂うような生活感がある教室。しかし雰囲気は決して暗くない。生徒たちはのびのびと楽しげに勉強をしている。「何故なのか」。監督はその原因を考えるべく夜間中学に何度も足を運び、授業を受けてみたり、生徒や教師たちと語り合ったりするなかで“教えるということ”“学ぶということ”の本質のようなものを垣間見る。/ 本書は、映画監督である山田洋次氏が『学校』シリーズを作る過程で出逢った熱意ある素敵な教師たちの感動的なエピソードを中心に、今日の「不登校」「学級崩壊」そして「家庭崩壊」など、いまの日本の子どもたちの不幸な状態に後ろから光をあててその真実をあぶり出す。すべての学校、教師と生徒におくる渾身の書き下ろしエッセイ。
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8 026 浜野政雄「子どもの伝記全集 ベートーベン」(ポプラ社:1969)感想4

2018年11月12日 01時41分00秒 | 一日一冊読書開始
11月11日(日):  

159ページ     所要時間2:30     古本市場86円

著者55歳(1914~?)。東京芸術大学名誉教授。

昔、ロマン・ロランの「ベートーベンの生涯」を読んだはずだ。小説「ジャン・クリストフ」全巻を所持している。知ってるようで、記憶がどんどん失われていく中で、先日本書を古本屋で見つけた。読み始めると、ベートーベンが生きた時代がフランス革命、ナポレオンの栄光と没落をはじめヨーロッパのまさに激動期と重なり合ってることを思い知らされた。昔の世界史の教科書を取り出して歴史を確認しながら読み進むことになった。

一方で、ヨーロッパの激動の中で、ベートーベン自身の日常は普通(?)である。本書の感想は難しい。筆者の文章はあまり上手とは言えないが、提示されている<楽聖>ベートーベンの生涯は、たとえ子供向けに書かれていても、その偉大さにおいては変わらない。本文で書ききれなかった部分は、解説のページで補われている。感想4は、そんな感じということである。

ルートヴィッヒ・バン・ベートベン(1770末~1827:56歳)は、ドイツのボンに生まれた。ウィーンで生涯に一度だけモーツアルトに出会って、その才能を認められたが、母の危篤でボンに戻る。再度、ウィーンに戻りハイドンに師事したが、ハイドンは教え方が下手だった。才能を花開かせて、いよいよというところで、30歳を前にして耳の病気になる。1802年(32歳)で「ハイリゲンシュタットの遺書」を弟カールに書くが、自殺せず。苦悩を越えてから本格的な創作期に入る。第三番「英雄」、第五番「運命」、第六番「田園」、第九番「合唱」は特別な作品。運命の女神の試練は、弟カールとヨハンおよびカールの維持を引き取り養子とした甥カールら肉親によってベートーベンはとことん苦しめられる。

庶民の出で、音楽の才能だけに恵まれ、あとは貧困、病気(致命的な耳の病)、身内に苦しめられ続ける中で、ポケットに五線紙を入れた散歩(雨の日も)によって自然との調和を求め続けた。音楽活動を生きるうえで庇護を受けることもあったが、たとえ皇帝や王侯貴族が相手であっても一切腰をかがめず、誇り高く頭を挙げる気高い精神を宿す人物が、ベートーベンである。この点では、世界的文豪ゲーテすら彼の前では卑小に見える。

死の数年前(1824年:文政7年)、第九番「合唱」を発表・指揮した直後、鳴りやまぬ万雷の拍手の中で耳の聞こえないベートーベンはしばらく会場を振り向かず、教えられて初めてそれに気が付いたそうである。

ベートーベンが使っていた補聴器群の写真はかなり衝撃的である。
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8 025 なかがわちひろ 絵本「天使のかいかた」(理論社:2002)感想4

2018年11月11日 02時11分14秒 | 一日一冊読書開始
11月10日(土):  

88ページ     所要時間0:30(音読)    図書館リサイクル本

著者44歳(1958生まれ)。

良い感じの絵本である。

【内容紹介】ようちゃんはイヌ、かなちゃんもネコをかっている。でも私は何もかってもらえない。そんな時、はらっぱでひろったものは…。///天使を拾って育てると、すてきなことがおきるはず-。さちはあるとき原っぱで天使を拾った。人よりちょっと違うものを飼うことになってしまったさちは、自分なりに天使の飼い方を工夫しますが、びっくりすることばかり…。第9回日本絵本賞読者賞受賞。
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8 024 加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか 」(ディスカヴァー携書:2011)感想5

2018年11月10日 01時55分18秒 | 一日一冊読書開始
11月9日(金):  

332ページ     所要時間2:25      古本市場86円

著者26歳(1984生まれ)。静岡県生まれ。2003年高校卒業後、国費留学生として北京大学に留学。同大学国際関係学院大学院修士課程修了。英フィナンシャルタイムズ中国語版コラムニスト、北京大学研究員、中国中央電子台(CCTV)、香港フェニックステレビでコメンテーターを務める。年間300以上の取材を受け、200本以上のコラムを書く

<縁結び読書>のつもりで、1ページ15秒で付箋をしながら眺め続けた。アマゾンレビュー2.4の本である(読了後、ネット右翼のカスどもが評価を下げたに過ぎないことが分かった)。著者の年齢にも「そんな若さで巨大な中国の何がわかるのか?」と相当に怪しんで眺め続けた。半ば過ぎまでの印象は、「日本、中国に関するステレオタイプの見解はそれなりにきちんとまとめられてるようだが、著者自身がそれを本当に分かっているかは疑わしいものだ」と怪しみ続けた。著者が一体何者なのかがわからなかったのだ。

しかし、最後まで眺め読みをしてみると、日本に対しても、中国に対しても正直に率直に、でも両方の国から見られている存在であることも忘れずに塩梅よく書かれた本だと思った。特に、自らを中国に軸足を置いて生きていく存在であると「中国愛」を隠さず明確に書いているのも改めて見れば印象は悪くない。

色メガネで読んだことを少し後悔した。本書は著者の第一作目の著書だが、若者の心意気のようなものも感じることができた。もちろん本書の内容すべてを信用できると言い切る自信はないが、日中関係を考えるうえで大いに参考にできる著作だと確信する。北京大学の大学院まで出たというのは、本書の内容から見てもその勉強ぶりが伝わってくる。

著者が今後、どんな風になっていくのか、期待外れの馬脚を露すか、それは知らない。ただ本書に限れば、読み応えのある、値打ちのある本だと言える。

中国人の「計画変更」の多さに泣かされた話は、前に読んだ中井貴一の中国映画「ヘブン・アンド・アース」出演・撮影記の話を思い出した。大陸と島国ではやはり生き方や感性も変わらざるを得ないのだ。それを面白がる精神を持ちたいと思う。

【目次】第1部 ぼくが見た中国人(中国人は、なぜ感情をあらわにするのか/中国人女性は、なぜそんなに気が強いのか/中国の「八〇後」は、30歳にして自立できるか/中国人は、なぜ値切ることが好きなのか/中国人は、なぜ信号を無視するのか/中国の大学生、特にエリートは真の愛国者なのか)/第2部 ぼくが見た中国社会(中国は、なぜ日本に歴史を反省させようとするのか/中国は、実はとっても自由な国だった!?/中国は、すでに安定した経済大国なのか/中国社会は、計画が変更に追いつかない!?/中国では、「政治家」と「官僚」は同義語!?/中国の「ネット社会」は成熟しているのか/日中関係は、なぜマネジメントが難しいのか)/中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか

【内容情報】尖閣諸島問題、毒入りギョーザ事件、歴史教科書問題……。日中間では、ビジネス、文化交流を問わず、さまざまな局面で摩擦や衝突がよく起きる。それはなぜだろうか? お互いのことを「誤解」しているからだろうか?だとすると、その誤解はどこから生まれたのだろうか?///日中間では、ビジネス、文化交流を問わず、さまざまな局面で摩擦や衝突がよく起きる。なぜだろうか?お互いのことを「誤解」しているからだろうか?だとすると、それはどこから生まれたのだろうか?加藤嘉一、26歳。北京大学に単身留学し、8年にわたって新聞・雑誌コラム、ブログを通じて、中国の人々への発信を続けてきた。今や、「中国で最も有名な日本人」と呼ばれるようになり、真の「日中関係の架け橋」としての活躍に大きな期待が寄せられている。そんな彼が、自分の目で見て感じた中国の「今」とは、いったいどんなものだったのか?-本書は、中国で出版され、若者を中心に大きな話題を呼んだ彼の代表作に大幅な加筆修正を施し、日本語版として刊行するものである。日本凱旋デビュー作となる本書は、切れ味鋭い、洞察力にあふれた日中社会比較エッセイであるのと同時に、「結局、中国人は、心の中では何を考えているのか?」を知りたい人にとっても、すぐれた示唆に富む書となっている。
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8 023 養老孟司「養老孟司の<逆さメガネ>」(PHP新書:2003)感想5

2018年11月09日 02時32分23秒 | 一日一冊読書開始
11月8日(木):  

205ページ     所要時間4:45     古本市場86円

著者66歳(1937生まれ)。鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業。専門は解剖学。95年東京大学医学部教授を退官し、96年より北里大学教授。東京大学名誉教授。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞

1ページ30秒、2時間程度の<縁結び読書>読書のつもりで目を這わせていた。文章がどうも書下ろしではなく、語り下ろしのようで、しきりに「何々、ですな」調で書かれていく。真ん中辺までは「今回は養老さんの本としてはアカンなあ。敬意を表し、良くしても感想4がせいぜいかな」と思っていたのだが、いつの間にか俺の感性のツボに入ってきて、付箋しまくり、ラインマーカーまで出して、線引きまくりになってしまった。一日働いて、嫌な思いもたくさんして疲れてるはずだったが、本書は休憩なしで一気に終わりまで読むことができた。

最後まで読み終わると感想5以外は考えられなかった。養老孟司という著者を、現代の賢者だと思うようになっていた。元々、著者に対しては、少し癖はあるが、非常に中味のある、安定感のある論者として評価、支持をしていたが、今回の読書は思わぬ再発見をした印象である。

本書の真骨頂は、後半にある。福岡伸一氏の動的平衡論や山中伸弥氏のiPS細胞の発見を連想させる「人間をシステムと捉える」論などは、2003年という時点から見れば、東大名誉教授として医学・生物学の進むべき方向性をしっかりと捉えていると感心した。そして、何よりも著者の文明論、社会(共同体)論、人生観、歴史観などがとても興味深かった。歯切れの良さと、微妙な問題に対する配慮と距離の取り方が著者の賢明さをよく感じさせてくれた。しばらくは本書を持ち歩き、内容を反芻していきたいと思う。

そういうわけで、自分探しに意味はありません。略。現にここにいるこの自分、それがいつでも自分なんです。/ただしそれはひたすら変化する。どう変わるかなんて、そんなこと訊かれたってわかりません。だから人生は面白いんでしょうが。自分探しが生じたのは、間違った前提の上で考えたら、間違った問題が出たという典型です。問題が間違っているから、答えがありません。153ページ

【目次】第1章 現代人の大きな錯覚ー“逆さメガネ”の教育論/第2章 都市化社会と村社会ー脳化社会の問題/第3章 身体感覚を忘れた日本人ー都市化と身体/第4章 大人の都合と子どもの教育ー問題は親にあり/第5章 変わる自分、変わらない自分ー心と身体の関係/第6章 人間が幸福にならない脳化社会ー意識的世界の限界/第7章 ふつうの人が幸福に暮らせる社会ー共同体を生きる/エピローグ 男と女は平等かー人間を分割してしまうもの

【内容情報】「世の中おかしくなった」と誰もがいう。教育の荒廃、凶悪犯罪、環境破壊、金銭汚職…。ことあるごとに「誰かのせい」がはじまる。政治家が、役人が、教師が、そして会社が悪い。そうじゃない!あなた自身の見方・考え方がまちがっているのだ。「都市こそ進歩」「個性は心にある」「バリア・フリーの社会を」…。現代人のその価値観は、大きな錯覚である。本書では、「都市主義」「脳化社会」のゆがみを鋭く指摘。これまでの常識にしばられず、本質を見抜けるか。養老流の“逆さメガネ”を披露。

【内容情報2】*視野の上下が逆転する特殊なメガネがある。「逆さメガネ」だ。人間の知覚や認知を調べる実験道具で、このメガネをかけてしばらく慣らせば、普通に行動できるようになるという。それほど、人間の脳の適応力は大きいわけだが、この「逆さメガネ」をかけて世の中を、特に教育の世界をのぞいてみたのが本書だ。逆さメガネをかけるのは、『唯脳論』、『バカの壁』などで独自の知の地平を切り開く解剖学の第一人者、養老孟司である。/著者はいう。人間は刻々と変わっている。ところが、いまの社会は「変わらない私」を前提にしている。「変わらない私」と思い込むのは、いまの世の中の見方をそのまま受け入れているからだ。だから、世の中の大勢の見方と反対を見ることができる「逆さメガネ」をかけなければ、本当の姿は見えてこない、と。そして、人が変わらなくなった社会で、最も苦労しているのが子どもたちだと指摘する。なぜなら、子どもは一番速やかに変化する人たちだからである。そのことに気付かなければ、教育の本質を見失うことになる。/ではなぜ、私たちは「変わらない私」と思い込むようになったのか。原因は都市化社会にあった。都市的合理性、多数決による社会常識が、いつの間にか「逆さメガネ」になっていたのだ。著者は本書で、「あまり一つの見方でこり固まってしまうと危険だということです。ときどき、私のように『逆さメガネ』で見る視点を持ってくださいよ」とメッセージを送っている。(清水英孝)
世間の常識は傾いているのに、それに気づかないことがある。著者は時々、世間を“逆さメガネ”で見ることが必要だとして、そのための見方、考え方のヒントを提供する。/現代の間違った常識の1つが「自分」のとらえ方。自分という確固とした実在があって、そこに知識が積み重なるという感覚があるが、生きて動く人間は、刻々と変わるもの。その感覚が消えたから教育はおかしくなった。/人が変わりゆくものならば、「個性」とは何かというと、体そのものだという。心には他人と通じる共通性が必要だ。「体は個性、心は共通」なのに、逆にとらえている人が多い。/「都市化」「脳化」社会の歪みを鋭く指摘しながら、1つの見方で凝り固まってしまう危険性を指摘する。
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8 022 池澤夏樹「知の仕事術」(インターナショナル新書:2017)感想4

2018年11月08日 00時39分36秒 | 一日一冊読書開始
11月7日(水):  

221ページ      所要時間2:30      ブックオフ108円

著者71歳(1945生まれ)

1ページ15秒の<縁結び読書>で始めたが、いつものように途中で挫折した。新聞・雑誌のコラムで著者に対してよい印象をもっていた。作品まで読もうとは思わないが、本書を見つけた時には、迷わず買った。

読みやすい文体で書く人だ。著者が大変な行動派であり、新し物好きであるのが分かった。例えば、ワードで作品を書いた初めての芥川賞受賞者(1988)である。ウィキペディアに対しても非常に肯定的評価をしている。著者は、埼玉大学理工学部物理学科中退で、理数系の人でもあるのだ。

著者が俺と同じポストイットを使って本を読んでいるのを知れて「やっぱりそうですよね」という感じで嬉しくなった。
それから付箋でタグをつけることもする。要所要所を読み返して本の内容を再構成するにはタグが必要になる。このとき付箋はポストイットの最も小さいミニサイズ(幅七・五ミリ、長さ二十五ミリを使う。110ページ

本書にはたくさん付箋をしたので、また折にふれて参考にしたいと思う。

【目次】新聞の活用/本の探しかた/書店の使いかた/本の読みかた/モノとしての本の扱いかた/本の手放しかた/時間管理法/取材の現場で/非社交的人間のコミュニケーション/アイディアの整理と書く技術/語学習得法/デジタル時代のツールとガジェット

【内容情報】混迷深まる現代を知的に生きていくためには、「情報」や「知識」だけではなく、さらに深い「思想」が必要だ。それをいかにして獲得し、更新していくか。自分の中に知的な見取り図を作るための、新聞や本との付き合いかた、アイディアや思考の整理法、環境の整えかたなどを指南する。小説だけでなく、時評や書評を執筆し、文学全集を個人編集する碩学が初めて公開する「知のノウハウ」。///(出版社より)反知性主義の流れに抗し、知識人という圧倒的少数派へ読者を導くために、これまでの作家活動から会得した池澤流スキルとノウハウを初公開。現代を知力でサバイバルするための実践技術を学ぶ。

「はじめに」より :「ものを知っている人間が、ものを知っているというだけでバカにされる。ある件について過去の事例を引き、思想的背景を述べ、論理的な判断の材料を人々に提供しようとすると(これこそが知識人の役割なのだが)、それに対して「偉そうな顔しやがって」という感情的な反発が返ってくる。(中略)こういう人たちの思いに乗ってことは決まってゆく。この本はそういう世の流れに対する反抗である。反・反知性主義の勧めであり、あなたを知識人という少数派の側へ導くものだ。」
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8 021 齋藤孝「夜型人間のための知的生産術」(ポプラ新書:2017)感想4

2018年11月07日 00時20分00秒 | 一日一冊読書開始
11月6日(火):  

190ページ     所要時間2:15     古本市場86円

著者57歳(1960生まれ)。

著者は500冊以上の本を出しているそうだ。その極意は、「量産が量産を呼ぶ」にある。著者の読書への熱意は、心身、特に視力の衰えに苦しむ俺にとって強い励ましになっている。俺は、典型的な夜型人間だが、本書の内容はいささか牽強付会のこじつけにも思えるが、夜型人間に「そのまま夜型の生活を充実させればよい」と後押しをしてくれている。

さまざまなアイデアが提示され、さまざまな励ましが記されている。読書生活に行き詰まれば、著者の著書に戻ることで少し息継ぎができるかもしれない。

これまで俺が感じてきた著者への反発は、ある面で間違いなかったと思うが、著者を拒否するよりは、その考えから助力を得た方が得策だと思うようになってきた。

【目次】序 章 私は朝の番組を担当していたが「夜型」だった :・ふだんは「午前3時就寝、午前9時起床」/・「夜型勉強法」で人生を切り開いた/・夜型人間は「結果」で周囲を黙らせる など
第1章 夜の「読書」で教養は磨かれる :・記憶は「夜」に定着する/・夜のインプットの基本は「読書」/・夜のゴールデンタイムの読書で「話し言葉」の深さが変わる など
第2章 「映像」「音」「ネット」を使った夜の知識習得法 :・夜の番組でプロの仕事術を学ぶ/・夜の映画鑑賞は教養の宝庫/・夜が人間の「深み」をつくる など
第3章 夜型のためのアイデア発想法 :・夜に適した「開放型」の発想法/・「7〜8割のレベルの発想」を夜の習慣にする/・「もしも……だったら」という妄想を夜に膨らませる など
第4章 精神は「夜」につくられる :・夜は「精神」を充実させる場/・「心」の問題は放置し、「精神」に目を向ける/・「夜の考え事」は無駄である など

【内容紹介】私は朝の番組を担当していたが実は「夜型人間」だった――。これまでに500冊以上の著書を出版してきた著者が膨大なアウトプットを生み出す秘密は「夜の過ごし方」にあった。さまざまな偉人の夜の過ごし方や、著者自身の経験をもとに、夜という素敵な時間を濃密な知的生産の土壌にする方法を紹介します。夜型の方や夜に仕事をしなければならない人、必読の一冊です。///夜の使い方が「知的な人生」か「知的でない人生」かをわける。昼間は仕事に忙殺され、夜は疲れてすぐに寝てしまう。あるいは、ついいつものメンツで飲みにいってしまう。どちらも、それはそれで一つの人生です。/しかし、「仕事」と「知的でない時間」で一日が構成されてしまうと、それはそのまま「知的でない人生」としていきていくということになります。それは、人間として生まれた私たちにとって、もったいないことだと思うのです。
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8 020 齋藤孝「孤独のチカラ」(新潮文庫:2006)感想4ー

2018年11月01日 00時58分01秒 | 一日一冊読書開始
10月31日(水):   

199ページ     所要時間4:10      ブックオフ108円

著者46歳(1960生まれ)。

風邪を引いたようで体調が悪い。特に鼻(鼻水)と目の調子(熱っぽい)が悪くて読み難かった。

【目次】第1章失われた10年<孤独と私>/第2章<単独者>として生きる/第3章孤独の技法/第4章ひとりぼっちの世界<孤独の実践者>/第5章孤独のチカラ

【内容紹介】群れて成功した人はいない。/私には《暗黒の十年》がある――受験に失敗した十代から職を得る三十代までの壮絶な孤独。自らの体験を基に語る、独り時間の極意。///私には《暗黒の十年》がある。それは受験に失敗した十八歳から、大学に職を得る三十二歳までに体験した壮絶な孤独の年月である。しかし、人生のうちで孤独を徹底的に掘り下げ過去の偉人たちと地下水脈でつながる時間は、成長への通過儀礼だ。孤独をクリエイティブに変換する単独者のみ、到達できる地点は必ず存在する。本書はそんな自らの経験を基に提唱する「孤独の技法」である。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)