
17日で「黒書院の六兵衛」も最終回を迎えたんですが、何たる嫌がらせか、本社から回って来る日経新聞、16日と本日の18日の分は届いたのに、肝心の17日分が行方不明だという。
16日の新聞を読んだ感動の覚めやらぬうちに、何とか早く最後の文章を見届けたい私は、本日、日経を取ってる友人に連絡を取り、夜、用意してくれたコピーを受け取りに車を走らせ、(友人にはあきれられたが)今、手中にした最終回を読み終えたところである。幸せな余韻を味わっております。
「六兵衛は莞爾として笑うた」んである。読者も同様ににっこりせずばなるまいて。
このお話は一級のエンターテインメントだったよね。
謎の武士“六兵衛”が実は上様ではないかという疑惑が浮上した時には、ドキドキしながらも、何やらありふれた娯楽性の匂いに警戒感を持ったり、イギリスのスパイ説が出た時には、コレは違うだろうが、しかし、面白い角度から照らして見せるもんだなとニヤリとしたり、それじゃあ、書院番の礼儀作法は誰が教えたんだという疑問には正攻法で種明かししたり、なんやかんやと十月という長きに渡り城内に座り込む正体不明の武士にずっと飽かず注視させてきた筆運びというのは、ほんとにたいしたもんだと思います。
天朝さま登場のくだりでは、色彩鮮やかに、天地の轟く大舞台を用意してクライマックスを演出、わくわくしながらこちらの気持ちも一緒に走りました。
最終回ひとつ手前の回で、六兵衛にかき抱かれた加倉井隼人の心情や、さもあらんと目を潤ませてしまったんですが、頭の隅には残ったままの謎に対する多少の引っかかりがないわけではありません。
“朽葉のような手”なるものに、その並々ならぬ苦労、人には言えぬ来し方の暗黒を読み取れとしていて、想像力の貧困なわたくしなどには(あの、もうちょっとその具体的なヒントをくれませんか)という気持ちが拭えないし、それじゃあ、旗本株を買うほどの超大金、いったいどんな方法で手に入れたのかという大きな謎にはまるで知らん顔のままというのも不満です。
ただ、六兵衛というのは“ヒーロー”なんですね。
人間見た目が90%とかいいますが、押し出しのきく立派な体躯を持ち、その胸板は厚く硬い。
剣術にも筆筋にも優れ、その意思は巌の如く揺るがない。まさに武士の亀鑑、理想の人間として描かれているわけで、人はそこに夢を託すんです。現実にはそんな人間いやしません。
しかし、その魂、意気というのは存在するとした人間賛歌の物語です。
心に何かが灯ったような、そしてそれを大切に育んで行きたいと思わせられるような、いい小説だったと思います。









