たまたまで、ラッキーでした。
というのも徳島城博物館で4月17日~6月20日の間開催の「屏風絵を読む」という企画展を友人と今日観に行く約束してたのが、標題の特別イベントの日と偶然重なったんですね。
そもそも「屏風絵を読む」の企画展になぜ行くことになったかと言うと、友人宅から貸し出している屏風が飾られているということで、招待券があったからです。
(余談ながら、夫は「開運!なんでも鑑定団」が大好きなのですが、拙宅にはどこをどう探しても「お宝」はありません。由緒ある家系とも無縁。あこがれがあるのだろうかと思ったりしますが、わたくしは例によって庶民で何が悪い派なので、教養のないことに引け目は感じますが、家宝のないことには何ら痛痒を感じません。)
さて、昨日の徳島新聞にも載ってたようにこの度、着物学院主宰の瀬尾静子さんが公家の宮廷装束「束帯」を寄贈ということでこのイベントが開催されたのですが、瀬尾さんの古典に対する教養は半端じゃないことを感じました。
わたくしは月一で「源氏物語」の講義を受けてる身なので、平安時代の衣装の解説には非常に興味深いものがありましたが、やはり歴史や文学の素養がないと解説も生きてこないんですよね。
標題の歌人のお話は四国大学の世羅博昭氏によるものでしたが、瀬尾さんは今日の講義の内容などもおおかたご存知のようでした。
わたくしは知らないことの多過ぎることを思い知らされたというところです。
「願はくは 花のしたにて 春死なむ その如月の 望月の頃」で有名な西行が出家したのが23歳という若さだったというのには驚きました。
美男におわすことは知っていましたが、恋のお相手が17歳も年上の天皇の正妻、「待賢門院璋子」であったこと、またその待賢門院璋子は白河天皇の養女であってなおかつ愛人でもあり、従姉弟である鳥羽天皇と結婚してからも彼とは切れず不倫の間柄だったなど史実の中の複雑な愛憎劇に思わずうなってしまいました。
あと、式子内親王と藤原定家の恋物語もおもしろかったのですが、長くなるので続きはまた別の機会に。
せっかくなので、写真の装束の簡単な紹介だけしときます。
十二単、束帯、(最初の2枚、正装ですね) 小袿袴、直衣、(普段着というところ)狩衣 、(スポーツウエア、袖の前の方は切れ目が入って動きやすくなってます)半素絹(西行に紛した世羅先生の着ている衣装)でした。
帰りには、この時期木洩れ日の美しいUSAでワッフルとコーヒーいただいて充填完了。
明日から仕事、また頑張らなくっちゃ。