25ftのかたつむり、、、だったことがある。

魚と道祖神の招きにあひて会社を辞め、トレーラーで旅するはずだったのだが。3年で再定住。4年でトレーラーも手放した。

また地震か

2016-11-21 23:50:49 | Weblog
11月21日 曇り
 曇りと言っても少し積雲が多い青空。

 福島沖でまた地震ということで、今の所、死者が出なかったようで不幸中の幸。ハワイの津波センーも
 THIS STATEMENT IS FOR INFORMATION ONLY. NO ACTION REQUIRED.
ということで問題ないようでよかったね。地震は増えてはいないということだが、やっぱ、多いよに感じる。このあたりに起きないのが本当に不思議なのだ、、、とか言ってると来るからなぁ。

 写真
 おなじみのオフィス前のポプラもかなり葉を落とした。雨も降ったしね。
 残った黄色と青空、それに白い雲。風は少し冷たい。Lake Taho周辺は少し雪が降ったみたいで、山の頂上あたりは白くなっている。スキーには足りないようで降雪機が頑張っている。

「土人」のコンセンサスについて、昭和初期の例から考察する

2016-11-21 00:55:39 | Weblog
11月20日 小雨、時々土砂降り。
 今、土人と呼ぶと、それは侮辱語だと大方の人のコンセンサスがあるだろう。昭和初期にも「土人」というのは現地人を侮辱した呼び方であるとコンセンサスがあった。

 玄3の父親氏(故人)が旧制中学の頃、「教練」という授業があった。内務省と陸軍が共同でやっていた軍事教育の授業をそう呼んだ。父親氏のクラスの教練野外実習で道が分からなくなった。指揮官役の生徒が兵隊役の生徒に、近くで農作業をしていた農民に道を聞かせにやった。兵隊役が聞きに走り、帰って来たまでは良いのだが、とても大きな声で元気よく
 「あれなる土人が言うにはぁ、、、。」
と報告した。どこか低開発国に侵攻したことを想定したのだろう。んで、その土人じゃなくて農民が、
 「せっかく道を教えてやったのに、土人とはどういうことだ!」
と怒り出した。「土人」で怒った。先生と陸軍の教練担当は平謝り。「土人」で平謝り。
 まぁ、教練担当を平謝りさせるようなことをすると、大日本帝國陸軍は殴るのが教育だと思っているので、クラス全員がその担当に殴られることになる。父親氏によると、クラス全員を平等な力で殴るというのは辛い。殴られる方は1回だが、30人もいると、石みたいな顔面の奴が一人や二人は居る。殴る方は、それも石顔面も含めて一人で30回ぐらい殴る。立場上、手を抜くわけにもいかない。手がひどく痛くなる。
 話が反れたが、かく述べたように、昭和初期には、「土人」で怒り、「土人」で謝り、「土人」で顔面が痛くなり、「土人」で手もひどく痛くなる。そういうトラブルが起きてもおかしくない言葉だというコンセンサスがあったわけだ。

写真
 Godwit、、だと思うのだが逆光なのでイマイチはっきりしない。先週の写真。
 何かくわえてバシャバシャやっている。エサを探しているようなのだが。帰って写真をよく見ると大きな巻貝を洗っている。巻貝の「洗い」だな。んで、気に入らないと「ポイッ」と捨てている(下の写真)。ほとんど捨てているみたいだった。贅沢なやつ。