暫く前に、アタシは母になりました。
一人めの子はアタシが殺した。二人めの子は流産。
三人めの子を、それでも、この腕に抱かせてもらいました。
中絶から約15年が過ぎていました。
問診表に中絶の過去を記入するか迷ったのですが、やっぱり記入しました。
なかった事にはできない。
隠したら、あの子が可哀想。
そんな人だと見られるのが怖い?
だって、アタシはそんな人なのだから、仕方がない。
その記録を見るお医者さんや助産婦さん達から、蔑まれているような気が、いつもしました。
でも、自分がした事なのだから、仕方がない。
生まれた子がいつか、母子手帳の記録を見て、アタシを蔑むかも知れない。
でも、それでも、あの子がいなかった事には、できなかった。
妊娠初期に問題があったので、しょっちゅう超音波検査を受けました。
そうして図らずも、
お腹の命が、毎週どんどん成長していく様子を見る事になりました。
最初は雪だるまのような形で、心臓の鼓動だけ。
そこに手足の突起ができ、それが長くなり、ぱたぱた動かせるようになり、
顔立ちもできてきて、
お腹をつつけば中で反応してピョンピョン動くようになり。
そんな様子をこの目で見て、しみじみ、思い知らされました。
こんな命を、アタシは、殺したんだ。
まだ人間のかたちをしていない命も、
赤ちゃんとして生まれてくる事ができた命も、
そこに境界線というものはないのです。
妊娠十二週未満は「まだ妊娠初期だから」と、
中絶を考えている人にとっては、「普通に中絶できる」という感覚が多いと思います。
でも、たったの5cmくらいの体なのに、臓器は既にほぼ完成して、
心臓は鼓動し、膀胱には尿が溜まり、
超音波の器械にギューッと押されれば、
「やめてよ!」と言うように手をバタバタさせながらジャンプするんです。
それを「まだ人間じゃない」だなんて。
「あなたは一度堕胎をされたものの別の方とご結婚されて幸せですか?」ときかれた事があります。
アタシは丁度、妊娠中でした。
アタシは幸せなんだろうか。
罪の無い家族を自分の罪で汚しながら生きて、幸せなんだろうか。
自問自答していたら、お腹もキューッと痛くなってしまって。
返事を書きながら涙が止まらなくなりました。
オットは、アタシの罪を知りながら、
「いいよ、いいよ」と寛容に赦してくれたのではありません。
その罪の重さを我が身にもひしひしと感じながら、
それでも一緒に背負っていく事を選んでくれたのです。
オットがよい人であればある程、自分の罪の重さは増すのです。
そして、無垢な我が子は、
最初から、この愚かな母の罪に汚されて生まれてくるのです。
それを「幸せ」とは、アタシはとても呼べない。
そして、母になってみて。
自分の犯した罪の重さは、更に一層増しました。
安らかな寝顔。心から信頼してくれている笑顔。
ぎゅっと抱き締めれば、あたたかく、やわらかい。
こんな存在を、アタシは殺したんだ。
この子が愛しければ愛しいほど、感じる罪の重さは増すのです。
また、あの時は「大好きではなくなってしまったカレとの子」を産みたくないと思ったのですが、
今回、「大好きなオットとの子」を産んでみて驚いたのは、
それが「オットとの子」というよりは、「アタシの子」という意識がとても強い事。
9ヶ月もの間自分のお腹の中で育み、
遺伝子は半分ずつとは言え、文字通りアタシの血と肉からできた赤ちゃんは、
まるでアタシの分身のように感じました。
出産・育児をしてみて、その大変さを実際に体験し、
シンママさん達への尊敬も、一層増しました。
中絶後、
どんなに皆と一緒に笑っても、
心の底に苦い苦い想いが沈んでいて、
心から笑えなくなってしまった事に気付きました。
まるで、常に苦いものを噛みしめているような感じでした。
母になっても、それは消えません。
腕に抱いた我が子が、どんなに愛しくても、
中絶の過去は、しっかりそこに居座っています。
罪は、消えない。償えない。
軽くなるどころか、どんどん重くなる。
それでも・・・。
せめて、生まれてきてくれたこの子には、
アタシにできる精一杯を捧げよう。
中絶を後悔し、苦しんでいるあなたにも、
そんな「いつか」が来る事を願って。
アタシが母になった事に、一筋の希望の光を見る人もいるかも知れない。
そんな思いで、記事にしました。
また、中絶経験者としてだけでなく、出産経験者として、
今後も少しでも幅広く相談にのる事ができれば、と思います。
アタシのような罪人へ「おめでとう」の言葉は、
見るとつらかったり、許せないという人もいると思いますので、
どうか書かないで下さい。
コメント欄も閉じておきますね。
皆様、どうもありがとう。

←クリックありがとう!