日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

子育て(その2)・・・

2014-10-02 14:35:35 | Weblog
 一代で大成し、大金持ちになったある会社の社長さんが、目頭を押さえながら、「息子が、せめて、人様に普通に顔を向ける程度までなれれば、私は、どんなことでもします。例え、財産が全くなくなって、無一文になっても構いません、この子さえ立ち直ってくれれば・・・」って感じで、それ相応の医療機関に相談に来るケースもあるのです。 
 就寝中に、父親が、子どもから金属バッドで殴られる痛ましい事件もありましたが・・・。
 「子育て」何て、一度限りで・・・その年齢に応じて、その子に合った適切な環境を与えて上げるべきで・・・まだ、未熟な親の判断で、子どもの立場を考えないで、いろいろと、親の欲で子どもに強いるのって、どうかなって思うことが多いのですが・・・?!(←その子どもなりに、向き不向きもありますから・・・)
 子どもって、良く見ると、産まれた時から個性がありますね。大きな声で力一杯に泣く感じの子、絶えずよく動く感じの子、常に母乳を欲しがる感じの子、寝てばかりって感じの子・・・実に、いろいろです。
 親も、初産だと、起きていても、眠っていても、心配で・・・インターネット依存症だと、更にそれが加速されて・・・子どもにとっては、やはり、親が自信を持っていて、ゆったりとした気持ちで育てて欲しいと願っていると思うのですが・・・?!
 そう言う私にしても(小児科医なのに)、子どもの子育てに関しては、反省しきりですが・・・→
 長女の時は、仕事で忙しくて、良く眠ってばかりの子だなあと言う思いが今も強くて・・・→しかし、よーく考えてみると、夜、22時過ぎに大学から帰ることが多くて(←住んでいるアパートは、道路を隔てて病院の前にありましたが・・・)、それに、朝も、早くから家を出ることが多くて・・・やっと休みと言う土日にも、病院で仕事したり、開業医でのバイト(小児科医の代診)や(衛性看護科の)講義に行ったりして・・・たまに日曜や祝日で、時間が空いた時に、長女を抱いて、しっかり顔を見ていましたが・・・?!
 そんな環境でも、長女はスクスクと育ち、自立心の強い子になり、高校3年生をアメリカで過ごし、日本での受験勉強をすることなく、アメリカで、大学→大学院と進み、今、ニューヨークでカイロプラクターとして夫婦で逞しく開業していますが・・・英語も、長女には、私が教えたことはなく・・・今考えると、私の英会話の先生(←アメリカ人が多かったのですが)が私の自宅にしばしば来ていて、そこで、私たちの英語だけの英会話レッスンを聞いて、それで、無意識的に刺激を受けたのではないかと思っているのですが・・・?!
 (長女とは、歳が少し離れて、次女と長男が、故郷の佐伯の私の勤務するN病院で産まれましたが・・・)
 次女の時は、私も親として少し賢くなっていて、長女の時よりも育児に関心を持つ様になり・・・胎教が大切だと強く思う様になって・・・自宅に有線を引いて、しばしば、音楽を流していました。
 そのせいでしょうか、次女は、小さい時から、メロンパンの歌を上手に歌っていて、音楽まっしぐらって感じで、芸術系の学校に行き(大分県立芸術〇〇〇高等学校)、大学も、音楽大学(〇〇〇〇音楽大学)に行き、そして、今は、プロのヴァイオリン弾きになっていますが・・・。


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子育て(その1)・・・

2014-10-02 12:51:35 | Weblog

 平成26年10月1日(水)の夜のNHKの「歴史秘話ヒストリア」で、徳川家康の子育てのことが紹介されていました。そこには、将軍としての家康と単なる子煩悩な父親としての家康が紹介されていました。
 そうですね、子育ては、大会社の社長さんにとっては、その事業をする以上に、大きな仕事かも知れませんね。親業って言葉もあるぐらいですから・・・能力のない子どもが後を継ぐと、今の時代だと、会社は、あっという間に倒産してしまいますから・・・?!
 現実に、父親から息子に主導権が替わって、しばらくして倒産してしまった会社、多いです。それと全く対照的に、父親の倒産が子どもを奮い立たせて、それが財産となって、子どもが奮起して、大きな事業をしている例が、私の身近にも、確かにありますが・・・。
 徳川家康には、男11人、女5人もの子どもがいました。
 長男の「信康(のぶやす)」の子育ては、まだ、家康自身が親として若かったこともあり(←家康が18歳の時の子どもで)、甘やかし過ぎて育てた感じで、親馬鹿溺愛の結果、信康が人殺しをしたりってこともあって、信康が信康の妻(織田信長の子ども)と上手く行かず・・・最後には、織田信長から、家康は、信康の切腹を命じられ、断腸の思いで、それを実行しています。
 次男の「秀康(ひでやす)」の子は、正室の子でなく、侍女の子であった為に、産まれても会うことがなく、3歳の時に、信康の配慮で、初めて会っています。そんな秀康は、3度も、家を渡り歩いています。初め、秀吉の養子に行かせられていましたが、秀吉の子どもが出来ると、別の養子(結城ゆうき家)に追いやられています。どこにいてもけなげに努力する優秀な秀康は、家康の子どもたちの中でも武勇ナンバー1と言われる程で、最後は、関ヶ原の戦いで、上杉家を追い払い、その功績で、越前国に渡っています。
 長男信康、次男秀康も、後を継がない関係で、家康は、徳川家の後継ぎは、三男の「秀忠(ひでただ)」にしようと思うのですが・・・牛が部屋に突如飛び込んで来ても、本を読み続けて慌てない程で、ゆったりして、鈍い感じで・・・周りから、この秀忠、「泥人形」とまで言われ・・・関ヶ原の戦いで、名を上げさせようと家康が大群を与えて配慮したにも関わらず、戦場に来るのに間に合わずに遅刻して・・・家康は、次の二代目の将軍として、「秀忠」とするも、任せられず、駿府にいて、実権を握っていました。
 (世界でもこれほど長期に渡って続いた家系はまずないって感じですが・・・→)徳川家の初代の家康の人生って、晩年は、何も心配ない感じで終わっていたと思っていましたが、実際は、最後まで、苦労が絶えなかったんですね・・・?!

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テレビの語学番組・・・

2014-10-01 17:00:25 | Weblog




 10月になると、私にとっては、NHKの語学番組も、新たに出発って感じになっています。
 「独」・「仏」・「西」は、平成25年の4月~9月の再放送となっています(「伊」は聞いていませんが、伊も、平成26年4月~9月の再放送)。(私の場合は、テレビで録画して、見落とすことなく、後でゆっくりと見ています・・・)
 「アラビア語」は、平成24年4月~9月、10月~3月、平成25年4月~9月、10月~3月、平成26年4月~9月、そして、又、10月~3月と、同じものが6回(!)も放映されています。(←今年2月に行ったドバイが舞台になっているので、身近に感じてはいますが・・・来年の4月からは、又、新たな内容であることを祈ります・・・)
 「ロシア語」は、平成25年4月~9月、10月~3月、平成26年4月~9月、そして、又、10月~3月と、同じものの4回目の放映です。(昔は、ロシア語の場合、テキストが毎月出なくて、2カ月に1回でしたが・・・ロシア語、あまり人気ないのでしょうか・・・今からは、必要になると思うのですが・・・?!)
 「中国語」と「ハングル」は、1年もので、平成26年4月~3月まであります。(以前は、ハングルのテキスト、ロシア語と同じく、毎月でなくて、2カ月に1回でしたが、今は、人気番組になっていますね・・・)
 以前は、「インドネシア語」や「タイ語」や「ヒンディー語」や「トルコ語」や「ベトナム語」などがあったのですが(「マレー語」や「ネパール語」や「広東語」までも)、今は、何故か、完全に消えてしまいました・・・。会話中心の親しみやすい内容にして、3~4つぐらいに絞って、復活して欲しいと思っています。(←タガログ語を是非)
http://dlift.jp/countrypeace/countryPeaceDisplay(←海外に行く場合、最低限の語学以外のこと、例えば、安全性など、いろいろと勉強しておかなければいけませんね。)
https://www.youtube.com/watch?v=Z1wZgn5aHy0(今からのグローバル化時代は、英語以外の外国語も、基本的なあいさつ程度は、大切になると思っているのですが・・・?!)

*今のNHKの語学番組(独・仏・伊・西・露・中・韓)では、昔と違って、実際に直ぐに使える様に、会話中心になっていますね。難しい文法的な内容が少なくなり、取り組み易い感じになっている感じです。又、内容も、多岐に渡って、いろいろと工夫されていて、面白く出来ていると思います。(日本ほど、日本語で、多国語がこの様な感じで誰でもしようと思えば勉強できる環境にある国、まず、ないですね。スゴク恵まれていると思います。)

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10月になりました・・・

2014-10-01 16:52:12 | Weblog
 1日1日がとても短く感じます。
 もう、10月になり、1年間の4分の3が既に終わり、後、3カ月で、平成27年の新しい年になります。そして、来年は、66歳になって、70歳に近付き、後期高齢者の道へまっしぐら・・・って感じになるのですが、何か、もう、66歳も、70歳も、75歳も、あまり関係ない感じにも思えて来たりもしているのですが・・・?!
 60歳では、20歳程の個人差があり(年齢が上がれば上がるほど差が付いて)・・・60歳でまだ40歳の体力と精神力の持ち主もいる訳で・・・時間は絶対に待ってくれない訳で・・・まあ、諦めるしかないのですが・・・一瞬一瞬を、感謝の気持ちで大切に生きることに専念して・・・?!
 そうですね、3歳の1年間は、産まれてから1/3で、とっても長いですね。それが、20歳の1年間は1/20になり・・・私の場合は、1/65でしかありませんから・・・→短く感じるのも、当たり前ですね。
 どっちみち、確率的には、私の場合は、家内の方が10年間余分に生きる訳で・・・それだと、家内には申し訳ないけど、気が楽って感じですが・・・しかし、家内が先に亡くなると、ショックが大きくて、立ち直れない気もしますが・・・(←私の姿をいつも見ているある内科のドクターから、よく、言われていますが・・・→そうなった場合、私は、もぬけの殻って感じになるとのことで・・・?!)。

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日本語が通じない・・・?!

2014-10-01 08:39:34 | Weblog


 日本語って、日本人同士でも、時々、通じないことがありますね・・・→

1、産科医がお腹の大きな女性のエコーをしている時、その女性が、「先生、付いていますか・・・」と尋ねました。すると、この産科の先生、(要望があればそのまま言う主義なので)「ああ付いていますよ・・・」と言うと、女性「よく見てもらえてますか・・・」、産科医「ああ、間違いなくありますよ・・・」、女性「どんな風に?」、産科医「ちょっと難しいけど・・・」などと、何回かやり取りしている内に、何か、歯車がかみ合っていない事に女性が気が付き、「アノー、先生、私、男か女かでなくて、手とか足とかが、ちゃんと付いているかどうか教えてもらいたいのですが・・・」と。

2、外来に子どもを連れて来た母親に向かって、小児科医が、「ちゃんと先生のあげたお薬、子どもさん、飲んでくれましたか?」と聞くと、母親「飲んでないです・・・」と言われたので、小児科医、「エッ、何故、飲んでないの・・・」と言うと、母親「先生、飲んでないんです・・・」と言い、何度かやりとりしていいる内に、やっと(頭の堅い)小児科医が理解出来ました。「飲んで、その結果、なくなっている・・・それで、飲んで、ない」と言ってたんですね・・・!

3、(かなり前の事ですが)私の母が、何かを探す感じで、引き出しをアチコチ開けていて・・・「入ればが、ない」と言いました。で、私が、「お母さん、しっかりして・・・入れば、ちゃんとあるじゃない・・・」と笑って言うと、母「いや、それがないんよ・・・」と言う。で、何かおかしいと思いながらも、やりとりしている内に解りました・・・→母は、「入れる場がない」、私は、「入れ歯がない」と思っていたんですね。

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