日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

原爆の悲劇を繰り返すこと勿れ(1/5)

2011-08-06 12:34:24 | Weblog
 「おおう、今日もB29が1機空高く飛んでいるなあ。」と、私は隣の町田伍長に話し掛けた。
 「そうであります。4、5日前から毎日飛んでいるのに、爆弾1つも落とさないで、何の目的で飛来しているのかわからないですが、高射砲の弾丸でも怖いのでしょうか?」1万メートルの高度にて飛行中である。
 私は、陸軍兵器学校の専門の生徒の出身であり、三年生卒業前に大阪造幣所局に実習に行った時、高性能の自動一式高射砲が試作中であるのを知っていた。この新型高射砲は、軍事機密であった。当時広島には旧式の88式高射砲の陣地しかなく、高度5千メートルしか爆発信管調整が出来ないことを知っていた。だから、頭上高く飛来しているB29は、平気そのもので飛行中であったのだろう。私は船舶司令部整備教育隊より兵60名を引率し、比治山の兵器所に向かう軍事行動中にあった。
 その日、8月6日の朝8時頃であったろうか、雲一つない晴天に太陽は燦々と照り輝き、炎熱の電車通りを目的地に行軍中にあり、再び隣の伍長に「何処か涼しい近道はないか、暑くて堪らん。」
 実は、部下達も皆そうであった。とても細い路地道に軍行を進め、眼前に比治山公園を見た。思い出せば、数カ月前に田淵少尉と一緒に比治山公園の広場にて、初年兵の徒手教育訓練をしたなあと思った瞬間であった。
 突然にピカピカキラキラとあたかも電気のスパークの如き青白い光線が空を走って広がり、オレンジ色と化した。思わず熱いと驚いた間一髪、地球が破れんばかりのドカン、バリバリの強烈なる爆発音、耳は勿論、五体も張り裂けんばかり。とっさにあの大きなガスタンクに爆弾が命中したのかなと思った瞬間、今度は、ゴウーと物凄い音の轟く爆風の渦の中に巻き込まれ、一瞬、真っ暗な中で地上の全ての物が吹き飛ばされた。生き地獄の中の真っ只中にあり、私は地球上には立っていなかった。
 どのくらい空中にいたのだろうか?ふと気が付くと大木の折れる音、家屋の崩れる音、その他もろもろの轟音のする暗い民家の中から助けを求める声、呻き喚く声、人間であって人間の声ではない。先程までの広島は何処にあるのか?一体地球はどうなっているのか(どの様に表現したらいいのかわからない)。そして、先程まで私が引率していた部下は今何処にいるのか、一体、今どうなっているのか?
 私には重大な責任がある。あの物凄い爆風がだんだん薄れて行くに従って明るくなってくると、私と行動を共にして来た部下の姿が見え始めてきた。私の身近にいるはずである。まだ、はっきりと見えない。(後でわかったことだが、私は、右眼を負傷して視力がなかった)。
 やっと見えた。中腰になって戦友を助けている姿が、4、5名見えて来た。先程まで男前であった部下の美男子の顔は、今や一人もいない。汚れ果てた長虫が、血の中でのたうち回ってうごめいている。どうしようもない。私は今どうしたらいいのか?再び爆弾が投下されれば、私はどうでもいいが、全員が死んでしまう。 
 「早く防空壕に入れ!」と何回もどなっているのに通じない様である。一体、自分の口から声が出ているのか、それもわからない。
 私は戦争でいつ戦死しても悔いのない、女性も知らない独身者である。部下の多くは、妻子のある兵である。何とかして一人でも部下を救いたい。ふと頭に過(よ)ぎった。陸軍兵器学校時代、実行演習中、相模原で(陸士と同じ場所)泥沼田の中で銃を両手に支え、泥まみれになり、ブドウ畑を前進中、若井区隊長から「近本、貴様、腰が高い」と言われて、鞘付きの軍刀で強く腰と尻を殴られ、非常に痛かった記憶が甦って来た。
 かくなる上は、私の最後の手段を使う。一名の部下でも助けたい。尊い部下を助けたい。私はとっさに軍刀を腰からはずして持ち、正に鬼と化し、のたうち回る可愛い部下の連中の中に飛び込み、「早く防空壕に入れ!」と鞘の付いている軍刀で部下の背中・腰・尻を殴っていた(だが、実際にそうしていたかどうかわからない)。私は人間ではない、気違い野獣と化していたと思われる(果たして近くに避難すべき防空壕があったのだろうか)、ああっ、眼が見えない。無惨になっている地球が見えない。地球のどん底にいる(ここまでしか記憶にない)。後でわかったことであるが、この時、私は、頭部に3、4箇所のひどい裂傷を負い、血まみれになり、出血多量で倒れていたのである。


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平和への誓い・・・

2011-08-06 12:24:32 | Weblog
 1945年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が落とされた。それから66年経った今、広島平和記念公園で、「広島平和記念式典」が行われているのが、テレビで放映されていた。
 今年の6月に広島に行って、広島平和記念公園の近くのホテルに宿泊して、「広島記念公園」をじっくりと見て回った。その時には、(この式典に合わせてと思われるが)工事中だった。
 自分の生まれた1949年は、戦争が終わって、ちょっと経った時。又、1944年12月には、昭和東南海地震が、1946年12月には、M8.0の昭和南海地震が起きている。
 余震は、人が思っている以上に長く続き、大きければ大きいほど、その余波も大きく、阪神淡路大震災にしても、今でも、その余震が(人には感じないが)続いているとのこと・・・?!
 「災害は、忘れた時にやって来る!」って言い方がある。核の場合は、スケールがケタ違いに大きい。今、広島では、わずか1発の原爆で、275.230人もの御霊が弔われている。
 原発利用も、賛否両論、いろいろある。核を持つことでの平和維持だ何て、大国のエゴでよく言われる。しかし、今までの経過から見ると・・・→核の怖さ以上に、それを管理している人間のエゴの方が、怖い気がしてならない。
 今回の式典で、「平和への誓い」と題して、小学校6年生の福原君と藤田さんが言われていた、「どうして人間は戦争するのでしょうか?戦争を始めるのも人間、だとしたら、止めることも出来るはず・・・」と。子どもの目は、確かですね。
 福島の原発事故も、再三の適切な注意がないがしろにされ、いろんなしがらみの結果、絶対に安全との想定の元で、押し進められてきた結果ではないでしょうか。
 熊本の第五高等学校で英語教師をしていたハーン(作家:小泉八雲)が日本に来た時、「日本は貧しいけど、自然があり、家族があり、地域がある」と言っている。
 今は、どうでしょうか?個人主義と利己主義をはき違え、本来の「日本の心」が失われつつあるのでは・・・。
 他人を批判する前に、まず、自分が自分なりに反省してこの瞬間から変わろうと努力すること、それが再出発への近道ではないでしょうか・・・。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20110617/3
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20110617/2
http://www.youtube.com/watch?v=njZe2WTWtZ8 

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オープニングで演奏・・・

2011-08-05 08:42:27 | Weblog
 8月4日(木)、上天草総合病院の隣に位置する老人保健施設「きららの里」での「夏祭り」でのオープニングで、太鼓の演奏をした。
 演奏前に、太鼓が置いている近くで聞きたい人が多い感じになっているのには、ビックリした。前の方からイスがどんどん埋まって行き、イスに座っている人の数を数えたら、(職員を入れなくて)90人ほどいた。
 「(真剣に)聴くぞ!」って感じが伝わり、こちらも、「(真剣勝負って感じで)打つぞ!」って感じになった。
 いつもの軽い太鼓でなく、前日に運んでもらった重たい太鼓で、いい音色で、力一杯に気持ち良く打たせてもらった。一昨日と同じく、「龍」の絵柄の付いたハッピを着て。演奏中、こちらを沢山の目目目が見てるって感じで、シーンと静まり返った感じになって、真剣に聴いてもらえた。
 盆踊り太鼓の「河内おとこ節」と自分の持ち曲の「飛翔」を打った。(残念なるかな、どうしたことか、ビデオを撮り損ねてしまった・・・)。
 又、最後に、「龍ケ岳音頭」で職員が踊ったので、その円の真中で、太鼓を打った。
 疲れたけど、いい汗かいた。
 一昨日は、龍ケ岳町にある特別養護老人ホーム「相生荘」で演奏したが、上天草市には、特別養護老人ホームが、大矢野町に「南風苑」、松島町に「ひかりの薗」、姫戸町に「翔洋苑」とある。龍ケ岳町の隣の(天草市にあって、同じ天草上島にある)倉岳町や栖本町にも、「愛愛園」や「梅寿荘」なる特別養護老人ホームーがある。これ等の施設での演奏は、連絡は、既に取っているが、日がまだ決まっていない・・・(←今年の9月~12月に演奏の予定)。
 私のつたない演奏で、入居の方々が少しでも元気になって頂ければ嬉しいです。(・・・←実際は、私の方が、沢山の気をもらっています・・・!)

↓(佐伯での内容で、上の内容とは、関係ありません)
http://blog.goo.ne.jp/konne008/e/a909194b324c69ed82473252ef206a20

 

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龍ケ岳町で演奏・・・

2011-08-04 08:14:20 | Weblog
 8月3日(火)、龍ケ岳町大道(おおどう)にある特別養護老人ホーム「相生荘(あいおいそう)」に行って、14:00~15:00の1時間、独りで、「篠笛」「ハーモニカ」「和太鼓」の演奏をした。
 いつものパターンで・・・→
 1:篠笛→「さくらさくら」を3通りの方法で演奏。「悲しい酒」などの古賀政男メドレー4曲演奏。テープに入れた「荒城の月」を篠笛二重奏で演奏。「上を向いて歩こう」と「佐伯小唄」を演奏。
 2:盆踊り太鼓→「ばんば踊り」と「河内おとこ節」と「龍ケ岳音頭」を演奏。
 3:ハーモニカ→「ふるさと」などを演奏。
 4:篠笛→「月の沙漠」と「青葉の笛」と「君が代」を演奏。テープに入れたピアノでの「荒城の月」と共演。
 5:拍子木→「一本締め」。
 6:和太鼓→持ち曲「飛翔」3部構成をバチを3回換えて、時間の許す限り演奏。
 堅い表情がだんだん変わってくるのがよく分かった。うつむいていた人が、「君が代」の時、声を出して歌っているのには、ビックリした。皆の歌声も、この曲が一番大きかったかな。この施設、「昭和天皇」の写真が飾られていたけど・・・。
 山の中で、若い職員の人たちが、ひたむきに一生懸命に忙しく働いていた。目立たないけど、職員の目は、皆、輝いてるのが自分にはよく理解できた。
 聞いてもらった人からは、とても喜んでもらえた感じで、いい汗をかいて、演奏して良かったなあと思った。
 職員の中に「天草太鼓」のメンバーの人がいて、「自分達は、いつも、何人かで打っていて、独りでの演奏って、したことないので、とても興味深く拝見させて頂きました。かなり打ち込んでいますね。飽かない様に、上手く工夫していますね・・・」と言われた。「練習は、どこでしているんですか?」と聞かれたので、「本番が練習って感じになっています・・・」と答えてしまった。(・・・←実際は、自分のアパートで、篠笛は、ちょっとだけど、殆ど毎日吹いているし、太鼓は、バチを持って、座った格好で、太ももの上を打って、イメージトレーニングって感じで毎日しているけど・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=RmiYhRFq2n8 
*写真は、相生荘の人が撮って、後日、送られたものです。 

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血圧測定・・・

2011-08-03 08:58:15 | Weblog
 30代の初めから、高血圧で苦しんできた。30年余ほど、いろんな高血圧の薬を飲み続けてきた。開業している時、不明の強烈な頭痛に毎朝襲われ、高血圧が原因と知った時、かなりショックだった・・・。
 病院でも、しばしば血圧測定をしていた。天草の病院でも。
 自分の場合、患者さんの状態が悪い時、確実に、血圧が上がっている(もちろん、今でも、重症であればある程。ドクターに、心疾患で亡くなる人が多いのも頷ける。)。睡眠不足でも、上がっている。忙しく働いている時も、もちろん上がっている。自分では楽しく仕事をしているからいいいと思っている時も、忙しいと、やはり上がっている。休暇後に、天草の病院に帰って測ってみると、初めの2日程、上がっている。深刻に悩んでいる時、上がっている(・・・←当たり前かな)。
 今年のゴールデンウィーク明けに、佐伯に帰って、オムロンの血圧計を買って、朝から晩まで暇があれば測るって感じで、頻回に測ってみた。
 驚いた。いろんなことで、1日1日上下している。1日でも、かなりの差がある。左腕よりも右腕が高い(右腕の方が1cm程、大きい関係で?)。
 以前は、いろんな降圧剤を一緒に服用していたが、カルシウム拮抗剤で副作用が出た関係で、この数年間は、アンジオテンシンII受容体拮剤と漢方薬だけにしていた。
 が、今は、アンジオテンシンII受容体拮抗剤も漢方薬も、それに、サプリメントも、一切、服用していない(無事に、1カ月経過していますが・・・)。正常になっていると思っているので、全ての薬を切りました。(・・・←冬は、どうなるのかな、まだ、安心できないのですが・・・?)
 毎日、体重も、朝と夕、測定し、測定時の条件も記入している。これだけ食べたから、トイレに行ったから、今は、体重はこの位って、だいたい当たる様になっている。血圧の予想も、そんな感じになりつつあるかな・・・?!、
 私のつたない実体験より・・・→
 ・・・いきなり降圧剤でなくて、まず、思い当たる原因を取り除いて行く努力を惜しまないことが大切ですね。
 生活改善、食事、運動、肥満防止、ストレス軽減で、血圧が下がっている。(・・・←当たり前ですね!)
 自分の場合は、精神的なストレスが一番大きいと言うことが、頻回に血圧を測ることで理解できました。
 自分の場合、ゆっくりと入浴することで、その日の高い血圧をリセットする感じになれることも解った。
 血圧測定も、病院で測定すると、(ゆっくり測定できない関係か)上がっている。病棟でナースから測定される時、いつも、高い感じがしているけど(同じ医療従事者でもこんな感じだから、一般の人の場合、白衣のドクターから測られるとなると、最高に上がるだろうなあ・・・)。
 座る時間を出来るだけ少なくし、(カロリーオーバーにならない様に)食事に気を付け(生のニンジンを初めに齧ることも多いけど・・・)、早足で歩き(・・・病院のエレベーターを使うこと、殆どなし)、何か口に入れたくなった時、紅茶+シナモン+ショウガ粉末+豆乳でごまかしるけど。で、夜は、ゆっくりと入浴して、1日を終えていますが・・・。
 この歳になって、自分の血圧の実態とコントロールの仕方がやっと解る何て、情けないですが(しかし、薬切れているので、とても嬉しいですが)・・・。


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演奏活動・・・

2011-08-02 10:14:21 | Weblog
 暑さに弱い自分は、8月は、最も苦手で嫌な月だった。それが、14年前から変身~って感じで、一番大好きな月(?)になって・・・タラタラといい汗をかいて太鼓を打っている。
 更に、ヒートアップして・・・今からの予定では、・・・→

1、8月3日(水)、龍ケ岳町の「相生荘」で、14:00~15:00まで、独りでの「篠笛・ハーモニカ・和太鼓」演奏。
2、8月4日(木)、病院に隣接している「きららの里」での「夏祭り」のオープニングで、太鼓演奏。
3、8月9日(火)、有明町の「天草厚生病院」で、14:00~15:00まで、独りでの「篠笛・ハーモニカ・和太鼓」演奏。
4、8月10日(水)、有明町の「麗洋苑」で、14:20~15:10まで、独りでの「篠笛・ハーモニカ・和太鼓」演奏。

 8月13日から、佐伯に帰って・・・→
5、8月23日(火)、佐伯市の「直川苑」で、14:00~15:00まで、独りでの「篠笛・ハーモニカ・和太鼓」演奏。
6、8月26日(金)、佐伯市の「はたのうら」で、14:00~15:00まで、独りでの「篠笛・ハーモニカ・和太鼓」演奏。

 それに、佐伯での恒例の盆踊り太鼓で、14日から、アチコチ駆け巡って、打ちまくるって感じかな・・・(私にとっては、1年で一番暑いでなく熱い日々となっています?!)。

*写真は、1997年8月14日、2005年8月16日、2007年8月11日に撮ったもの。
↓(上手でないですが、1時間、何とか、サプライズを続ける感じで、飽かずに時間を持たすことが出来ます・・・?!)
http://www.youtube.com/watch?v=dDTb8_Gmi0k(・・・←篠笛)
http://www.youtube.com/watch?v=0MFKST2jrCY(・・・←ハーモニカ)
http://www.youtube.com/watch?v=J5ZDHndMek4(・・・←和太鼓)

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老後に必要な3つの「キンリョク」・・・?!

2011-08-01 15:26:34 | Weblog
 日本経済団体連合会が、日本国内の約2000社に上る大手企業を対象に隔年で実施してきた退職金および年金に関する最新実態調査結果によると、2010年9月に60歳で定年退職を迎えた「管理・事務・技術労働者」総合職の平均退職金額は、大学卒で2443万円、高校卒で21855万円。次第に退職金額がやや減少傾向にある。
 今年3月に電通がインターネット上で実施した、首都圏、中京圏、阪神圏の上場企業に勤務する50代の男女のうち、60歳以降も働くことを希望している500名を対象にした調査によれば、「なによりも経済的な安定を重視して定年後も働き続けたい」との回答者が過半数でトップを占めている。最も理想の働き方でも「現在と同じ会社に残ってフルタイムで働きたい」がトップ回答となっていて、「定年後は自分の趣味を活かした仕事をしてみたい」や「現在と同じ会社でパートタイムで働きたい」を上回る結果となっている。
 日本人は、やはり、仕事人間が多いのかな?
 ところで、視点を変えて、60歳過ぎて、必要なものは何だろうか・・・→次の3つの「きんりょく」かな?!
1つ目は、文字通り、「金力」。しかし、これも、人によりかなりの差があり、大都会だと、月30万近く入っても、さほど楽でないかな。しかし、年金や恩給だけで、地域に溶け込んで、しっかりと田舎暮らしをしている人もいるけど・・・。
2つ目は、「筋力」。老人施設でも、運動療法を積極的に取り入れている所は、それなりに入居者が生き生きしている感じがしてるけど・・・?!
 筋力の衰えは、消費カロリーの低下を招き、肥満にもつながる。座る時間を少なくして、体を動かして、消費カロリーを増やし、かつ、脳への血流量も低下させない様にすること、大切です。老筋力って言葉もあるかな?!
3つ目は、「近力」。お年寄りにとっては、孤独が最もきついこと。遠くの親戚より近くの友人の方が、いざと言う時、頼りになるかな?!
 退職後は、男性も、近所デビューをして、地域の行事には、積極的に参加しましょう・・・。
*郷里の佐伯の「長島地区」での「供養盆踊り大会」では、この様に、毎年、太鼓を打っています↓
http://www.youtube.com/watch?v=fUIPqyei6YE

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都会と田舎・・・

2011-08-01 08:49:28 | Weblog
 医局の私の隣の机に3年間いた産婦人科の(女性の若いバリバリの)先生、現在、東京の大きな病院の産科で働いていて、夏休みで、久し振りに我が病院に(31日の日曜日に)寄られた。・・・→地震の時の状況なども、話されていた。
 産婦人科病棟で、看護師・助産師さんと懐かしそうにしばらく話されていた。先生の勤めている病院では・・・→産婦人科医が25~26人(!)もいて、お産は、年間1600件(以上?!)もあって、当直も、3人体制(!)で、休みも充分に取れ、夜中にコールされることも殆どなく、病棟だけで外来もなくて、ゆっくり出来ているとのこと。
 何でも、患者さん(妊婦さん)は、40歳を超えた人が多く、無痛分娩専属の麻酔科医もいて、帝王切開になるケースも多く、バックに小児科医もしっかり付いていて、24時間万全の構えって感じになっているとのこと。
 (別の話で、ニューヨークに住んでいる妊婦さんの話だけど・・・→アメリカでは、赤ちゃんが死ぬ確率は1000人に7人弱だけど、日本では3人未満。事前に確認できる異常が無い上での自宅出産での死亡率では、アメリカでは、1000人に2人。逆子、双子を除くと、1.7人。リスクの少ないお産で、結果的に帝王切開になるケースは、自宅出産では3.7%、病院では19%。訴訟の多いアメリカ全体での帝王切開になる確率は30%程もあり、何故か、ニューヨークでは、50%にもなっているけど・・・?!!)
 産婦人科医や小児科医の不足で大変な状況なのに、ここでは、産婦人科医も小児科医も、(全国からの希望者が多くて)想像以上に多いみたいだ。
 「上天草での診療、今考えると、とても恵まれていて、とても良かった、懐かしい・・・」と何度も言われる。
 そうだなあ、長いこといると、それが普通になる・・・外に出てないと、ここの良さは、理解できない・・・外に出て、それまでの良さが実感できるかな。私も、この8月で、まる6年間、この島にいることになる。宮崎県立宮崎病院→宮崎医科大学→(佐伯市の)西田病院→(佐伯市での)たはら小児科医院→(大川市の)高木病院→(大分県大分市戸次の)へつぎ病院→(上天草市の)上天草市立上天草病院と、職場が7回変わっている。今は、常勤医でなく、バイト医の身分になっているけど・・・。それぞれ、それなりの苦労と良さがあったけど・・・やはり、今が一番いいかな。
 7月31日(日)の朝の時点では、7人の主治医になっていて、この日の夕方までに4人も退院させた(1人目は、新生児特発性高ビリルビン血症・・・←光線療法を2回試行。2人目は、先天性心疾患・・・←一般状態はいいが、Levine2/6の心雑音あるので、熊本市の大きな病院に紹介。3人目は、無菌性髄膜炎・・・←葛根湯の注腸で2泊で退院。4人目は、気管支喘息+気管支炎・・・←朝、6時過ぎに入院して、1泊入院で、夕方の18時に退院)。
 7月15日~8月12日まで、1日も休みなく働いているけど、昼間は、(常勤医が外来するので)暇なことが多いし(17時~20時は、それなりに忙しいけど)、何故か、ゆとりがある感じで、楽しい。(7月15日以降に、重症の新生児がいて、20時過ぎに、救急車に同乗して、大きな病院に搬送して、難儀したこともあったけど・・・62歳だと、もう、夜に救急車に乗るのって、きついかな?!)
*写真は、つい最近、連敗してたイチローのいるマリナーズが久々に勝った試合で、不調と言われてたイチローが何本もヒット打って、盗塁も2度した時のもので、前から4列目で写真を撮ってきた人から送られてきたもの。 

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