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団塊の世代の生き方

2007-02-12 07:50:09 | Weblog
 平成19年2月10日の夜、NHKの総合テレビで、団塊の世代の今後の生き方などについて長々と一般の人を交えての討論があっていた。
 思うに、昭和22年~24年(私)生まれは、独特の環境にあったと思っている。
 戦争を直接知らない。しかし、戦争の話をいやと言う程、小さい時から聞いている。貧しい生活を知っている(多くの人が皆貧乏だった)。その貧しさから、次第に周囲が豊かになって行く姿を実感出来ている。
 大分県は、当時、又、特殊な県であった。中学2年の2学期から、学校での受験勉強が異常で、中学3年の時は、試験が、何と、18回もあった。
 九州で、最も、進学高校が受験に力を入れていた県でもあった(それで、当然、大学入学後の九大と東大の留年率が、全国ワースト1位であった)。それを、自分は、2年間浪人している時に、その大分県の特殊事情を知った(今は、かなり改善されている)。陰では、学生から教師への暴行事件や、生徒同士の虐めも、確かにあった(今と同じ程度ではないだろうか?、今は、それが明らかになっているだけでは?)
 学生運動も激しく、1浪の時は、東大の入試が中止された時でもあった。昭和45年、鹿児島大学に入った時、教養部は学生運動の為に閉鎖され、1カ月遅れの授業開始であった。
 その後、又別の大学を受ける為に受験勉強をしている者、学生運動に走る者、バイトに精を出す者、旅行に行く者、いろいろで、教養課程の2年間は、多くの学生にとっては、詰め込み主義の勉強から解放されんが為の勉強休養部って感じだった。
 しかし、大学に入って、医学部での進学はさほど甘くなく、留年も(まともに試験をしていたら、留年になっても不思議でない人は、半分以上いたのでは?)多く、学生運動の影響か、国家試験問題が次第に難しくなり、昭和45年入学時の医師国家試験合格率97.9%が、96.6%、93.8%、88.9%、82.2%、82.4%、と下がり、自分が受けた卒業時の51年には、とうとう、80.4%まで低下していた(翌年は、85.6%、今は、90.0%)。
 卒業試験が始まったのが1月からで、卒業試験が終わって国家試験を受ける間は、ほんの少ししかなく、同級生も、約2割、不合格となった(幸いに、今と違って、この当時は、秋にも、国家試験があったが)。
 もまれても、もまれても、這い上がろうとするのが団塊の世代の様な気がする。
 仕事人間の人、確かに多い。国のことを憂う。じっと出来ない。社会の為に何か役に立ちたい。自分の存在感を確認したい。そんな独特な価値観の人間の集まりが団塊の世代の様な気がしている。
 今の長寿の日本で、いろんな世代がいる中で、この団塊の世代、特殊な環境にいただけに、特殊な感じで行動しているのかなあ・・・?

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