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情熱だけでは限界に

2006-09-11 07:25:03 | Weblog
平成2年6月27日 大分合同新聞より(原文のまま)
 県南の命守って10年(情熱だけでは限界に)
 佐伯市西田病院小児科部長の田原正英(41)を訪ねた。田原はこの10年、たった一人で24時間体制で、県南地域の新生児と一般小児を診てきた。今、それを振り返り「感無量」という。そして「情熱だけで突っ走ってきたが、41歳を迎え体力と精神力に限界を感じだ。もうすぐ新生児医療から遠のく」とも。「自分が作り、自分が育てたものに、自分がつぶされかかっている」。
 田原は研修医の当時から「新生児、救急」を担当したいと意欲を持っていた。昭和55年3月、西田病院に初の小児科部長として着任した。新生児に対する意欲は並ではなく、「新生児室をミリ単位まで自分で設計する」ほど情熱を燃やしていた。63年5月まで、西田病院の小児科医は田原一人。「朝7時半からの外来診療は着任以来ずっと続け、時間外の診察は断ったことがない」という。(注:この記載には、少し、嘘があり、7時半は、数年後からであり、断ったことがないのは、新生児・未熟児の場合、しかし、時間外の一般小児の診察は、まる10年間、深夜でも、全て小児科医が診た!)
 60年の資料をみると、田原が診た時間外患児数は3.497人。うち午前零時以降が142人。また、年末年始も診療を続け、533人を診察した。夜中の2時でも3時でも、正月でも診察を続けた。もっとも、この数字には新生児と未熟児は含まれていない。それらを加えると、時間外患児数はさらに膨らむ。新生児と未熟児を新生児室に抱えながら、患児を断らずに診るために泊り込みが続き、1カ月に2日しか家で寝なかったころもある。
 田原は「子供の病気は小児科しか診ることはできない」という大学の教授の教えを忠実に守ってきた。新生児医療や小児の救急をやめようと思ったことは何度もあるが「県南地域には自分しかいない」と思い、続けてきた。一人で、24時間体制でやってこれた理由は「犠牲的精神と情熱。救急をやりたいという意思があったから」。
 しかし、新生児室に人工呼吸が必要な重症患児がいる精神的な重荷は計り知れない。重症の子供はいつ症状が悪化するかもしれない。外来を診ながらも新生児室が気になる。それが積み重なってくるとどうなるか。
 田原が「新生児医療を退く」理由は体力的なきつさより、この精神的なストレスの方が大きい。「新生児医療からくるストレスは信じられないほど大きい。新生児医療の負担がなければ小児の救急は続けられる。今、県立病院など、先生方は一般小児と新生児と掛け持ちで一生懸命やっておられますが、情熱だけでは支えきれなくなる時がきっと来ますよ」。
 他県の施設でも、理由はさまざまだが中心的な新生児専門医が現場を離れるという例がみられる。その後の医師の補充がうまくいかなければ、新生児医療室は操縦者のいない“機械”だけがむなしく残るということもあり得る。
 田原は「新生児を診る医師には、何よりも情熱と命がけの気持ちが大切だ」という。「けれど、なかなかそんな医師は出てこないでしょうね。ポケットベルにしばられて、夜中も眠れない生活できますか」。
 地域で小さな命をまもるために今、医師の”質“と数の充実が求められている。
(文中敬称略)

 

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