日本の心・さいき

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為になるかも知れない話(その61)

2007-04-10 07:13:20 | Weblog
○専門3年、7月17日(水)晴。
 薬を覚える。どんどん覚える。嬉しい。薬ってどうせ覚えないといけないから、今覚えたい。Hさん(専門4年生)は、実に良く知っている。
○専門3年、7月19日(金)晴。
 アナムネ一ゼを取った。鹿児島市立病院でしていたので、あまりうろたえなかった。ドイツ語で書く。やはり、親しみを込めて何でも言える雰囲気を作らないといけない。刑事では駄目なのだ、牧師でなければ。
○専門3年、7月22日(月)晴。
 いつも一番早く起きて、一番先に行って、一番先に帰る人、それが俺ナノダ。AI(大動脈弁不全症)+MS(僧帽弁狭窄症)の聴診所見が理解できて嬉しかった。眼科の先生から、網膜色素変性症の眼底を教わった。皮膚科の先生も、整形外科の先生も、忙しいのに僕の為に教えてくれる。バッチリ勉強になった。
○専門3年、7月23日(火)晴。
 17日からの診療も、今日で終わりになった(自分が統計を執って、7日間で、延人数が2624名だった)。循環器の先生から、コマ音を教わった。アナムネ一ゼも、いやと言うほど取った。(自分がアナムネ一ゼを取った)小児科の最後の女の娘、アンキロ(十二指腸虫症)と思っていたら、十二指腸潰瘍だったのには、ビックリした。僻地に来れば、医者は何でもしないといけない。そこにいる外科の先生からいろんな苦労話を聞いた。その中でも、一番すごいと思ったのは、夜、電気が付かない為、オ一トバイの照明で深夜に虫垂炎の手術を立派にした話だった。


 次の内容は、自分の報告書である。
 行きは船酔いして苦しかったので、帰りは、ネルボンとビ一ルを飲んでグッスリ寝た。何と18時間も眠っていた。気が付けば、波静かな錦江湾であった。帰ってから4日程、その副作用に悩まされた。
 診療中は、ミッテル(薬)、アナムネ一ゼ、色々な検査の勉強が出来て、嬉しかった。自分にとっては、多くの科を一度に診れたことが何よりもの収穫であった。
 旅館では、学生生活ではとても味わえない様な食事と素晴らしい美声にアルコ一ルがよくまわった(西満正教授の闘牛士の歌は、素晴らしかった)。
 一番嬉しかったことは、診療2日目に、「素晴らしいお医者さんが来ているということで評判になっています。それに、とても優しいし・・・。」とある患者さんから直に言われたこと。一番悲しかったことは、「この薬がなくなったらどうしたらいいんですか?」と眼疾患の患者さんから言われて、適当な言葉が出なかったことである。
 学生代表として、以下、反省点を述べたい。薬剤係も器具係も責任者をはじめとして行くまでにかなりの苦労をそれなりにしてきた。無駄もあった。薬に付いて言えば、殆ど使わなかった薬が沢山あった反面、必要な薬が不足していた。次回は、この様な事のない様に、今回の資料をもとにして充分に話し合っておく必要があると思う。
 幸いに、診療の先生方から、苦情が出なかったし、徳之島の人から喜んでもらえ、又、水上スキ一などの楽しい思い出が出来たことを考えると、学生の一致した感想は、「診療団に参加して本当に良かった!」であった。

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