日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

年末年始の個人的統計

2010-01-04 11:39:40 | Weblog
 昭和55年の12月29日~平成22年の1月3日までの30年間の年末・年始の統計を執ってみた。その数、11.766人。で、今年が一番少なくて、100人に達しなかった。
 今年は、29日が12人、30日が23人、31日が14人、元旦が9人、2日が18人、3日が11人、総計87人で、100人に満たなく、今までで最低であった。
31日に3カ月の女児を紹介し、同じ日に、2歳の男児が紹介で来院し(里帰り)、RSウイルスによる細気管支炎であったが、入院できないとのことで、その日と元旦の日に点滴をして、何とか切り抜けた。水痘の新患が3人来た。急性胃腸炎やインフルエンザによる脱水で、点滴も少なからずした。元旦に、新生児が一人入院した(昨年は、年末に心内膜欠損症の子どもが生まれて、その管理で大変だったが)。
 今年は、今までで一番楽だった。昨日(3日)の午後には、夕方、高戸神社に行って、昨年のお礼をし、又、今年の祈願をした。
 そうだよな、もう、今年の5月で満61歳にもなるし、もう若くないし、昔の様に頑張れない。
 アルバイト医で、常勤医を助け、皆に役に立つ様な感じで、気軽に細く長く、小児の救急医療中心にやっていくつもりだ。
 そして、又、今年は、オーストラリアの(佐伯市との)姉妹都市に行き、更に、来年は、イスタンブールとニューヨークに行って演奏する予定にしているのだが。
 (元気でありますように、・・・祈祈祈)




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ワーキングプアー

2010-01-04 08:10:55 | Weblog
 昨年の8月に発行された「週刊ダイヤモンド」なる雑誌によれば、・・・「頼れる病院 消える病院」の中で、・・・某国立大学病院の非常勤医師の年収のことが書かれていた。
 非常勤医師は、医員待遇(4日制)で、2年未満273万円、2年以上286万円、5年以上323万円、7年以上343万円となっていた。
 医師免許証取得後に、24歳(以上)で、アルバイトが出来ない状態で、この給料に甘んじて生活を始めることになる。将来いい医師になる為に、この卒後に、向学心に燃えたこの最も大事な時期に、何とかして学会にも沢山行きたい、専門書も買いたい、・・・しかし、それからいろいろ引かれて、・・・ギリギリで、(変な)経済学を学ばないといけない状況に追いやられているのが実態なのだ(しかし、これでも、自分の時と比べると良くなっているケースが多いかな?!)
 週に4日しか来なくていいと言われても、患者を受け持っている限り、そうはいかないだろう。17時に帰ってもいいと建前上なっていても、それを若い研修医だけがするとなると、周りの雰囲気が壊れてしまうだろう。
 だとしたら、非常勤でなく常勤の講師や教授の年収はいいのかとなるが、・・・29歳で講師になって20年目で、1110万円となっている(32歳で准教授になって、20年目で年収1110万円、39歳で教授になって、20年目で、年収1350万円)。大学の講師であれば、それはそれは、責任も重大で、休む暇なく、研究と診療と講義に追われる毎日で、バイトどころでないはず。
 ある国立大学の病院長が、「病院長の月収はいくらだと思いますか?私の月収は額面で70数万円、手取りで53万円しかありません。民間病院の半分程度ですよ・・・」と言っている。
 何故、こんなに大学病院の先生の給料が低いのか、それは、厚生労働省の管轄でなく、文部科学省の管轄にあるかららしい。医師だからとの特別の見方はされなくて、他学部の教授や助教授と同じ給料体系になっているからとのこと。
 2004年の国立大学の独立行政法人化により、給料に付いては、文部科学省からの強制はなくなっているが、大学の予算が増えないので、給料があげられない状態でいるとのこと。又、病院長の上に学長がいる為に、病院長に給料を変える権限はないとのことらしい。
 大学の医師は、難易度の高い症例を扱っているケースが多い。教育は奉仕、時間外診療も奉仕って感じで働かざるを得ない。研修医の大学離れの原因は、こんなところにもあるのかなあ・・・?!

*私の場合、宮崎県立宮崎病院では、初めの12か月間、月、税込みで8万円でした。当時は、小児科研修の為のいいマニュアル本がなかったので、自分なりに(小児の検査の見方を入れ)作成。(80ページ、手書きして、「小児科研修の手引き」を後輩の為に作成していました)

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