日本の心・さいき

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外国語会話習得雑感

2008-07-31 09:05:55 | Weblog
 どうしたら、英会話が上手く出来る様になれるのか?多くの人は、いろんな方法で試みていると思う。今では、入試にもあるので、それなりに、学校側もしていると思われるが、どうも、している割には、能率が上がっていない様である。最悪な場合には、英語嫌いを増やし、更には、外国語アレルギ一の日本人をどんどん増やしている。ある英語パパを持った息子が言っていた、「あまり父親から、小さい時から、英語を強制されたので、今では、英語と聞いただけで頭が痛くなる」と。
 語学の勉強の場合、まず、4つの要素がある。聞く、話す、読む、書くである。この中で、学校では、主に、読むことと書くことに重点が置かれている。多くの日本の中高学校で、英語の発音が良くて、外国の人とナチュラルに話せる人、極めて少ない。そんな日本人から教わるものは、読むことと書くことが主体であり、聞くことと話すことまでも要求する方がおかしい。
 確かに、日本人の読んだり書いたりする力は、素晴らしい。アメリカ人でも、スペルは、簡単な単語でも、しばしば間違えている。私の長兄は、進学高校の英語の先生だったが、私の長女が言うのに、私の兄の英語(英語で書いた文章)は、完璧な英語だと絶賛し、アメリカ人でも、あんな立派な文章を書ける人は、まずいないと言う。
 秀才が集まった(らしい、受験秀才もいるのだが)医学部でも、我がクラスに、英語の発音のいいって感じの人、わずか一人しかいなかった。
 実際に、外国に行って、まず、困るのは、聞く力と話す力である。これ、子どもだと、直ぐに習得できるのだが、大人だとそれも、歳が行っていればいる程、難しくなる。それでも、現地に3年いれば、何とか、困らない程度にはなれるし、5年もいれば、話すことにも、あまり不自由しなくなる様である。
 もちろん、個人的な能力の差も大きい(一番肝心な問題は、意欲がどれだけあるかだと思われるが)。一番いいのは、周りに日本人が誰もいないこと、現地の言葉で話すしかなく、それで、難儀することである。それを繰り返していると、その内に、自然と現地の言葉が出てくる様になるから、これ又不思議である。
 日本で予約して、海外での語学研修なるもので、高いお金を出して、短期間、寮やホ一ムステイをして、頑張っている人が多くなっている。無駄とは言わないが、高いお金を出した割には、あまり能率が上がっていない。語学は、積み重ねであるからして、短期間では、身に付かないし、付いても、直ぐに消えてしまう(全てが消える訳ではないが)。日本での最もお金が安くて、最も確実に能力が付いて行く方法とは、やはり、NHKの語学講座をずっと続けて行くことであろう(しかし、これにも、限界がある)。
 日本ほど、いろんな言語を勉強する上で、日本語で解説された本が沢山出版されている国は、世界広しと言えども、実に少ない。今では、立派なCDまであり、ベンガル語でもスワヒリ語でもトルコ語でも、現地の発音が学べる感じになっている。エキスプレスなどの会社では、かなり多くの国の言語が紹介されている。そのCDで何回も聞けば、その本を何回も最後まで読んでおれば、それなりにものになってはいるが、残念なるかな、又、直ぐに忘れてしまう。どうも、語学に関しては、人間の頭は、人を介さないとしっかりと覚えられない様に出来ている様である。
 で、やはり、実際に、その国の人と話すと、それも、難儀しながら話すことを何度も経験すると、確実にものになっていけると、私は思っている。それを私は、タイやインドネシアやイタリアやバングラデシュや韓国で、身を持って経験した。グル一プレッスンでは、ものになりにくい。マンツ一マンで、後がないと言う状況に自分を追い込める人は、自分の上達を、日毎に感じながら、有意義に海外生活が出来ると思われる。
 日本人ばかりに囲まれた所で、英会話の勉強をしようと思えば、いっそのこと、英語圏に夏休みにでも一人で行って、英語のシャワ一を沢山浴びることであろう。
 大人であれば、行って一人で、語学学校と交渉したり、ホ一ムステイを決めたり、コンドミニアムを決めたりする、困った時は、紙に書く。これで、確実に、苦労するが、身に付く。その時、こちらの下手な英語が笑われることは、心配しなくても絶対にない。
 海外で語学の勉強を始めようとする時、日本の会社を通じて、ホームステイ先を予約したり、学校を決めたりするよりも、自分一人で、いろいろ難儀しながら試行錯誤しながら行動していった方が、はるかにお金が安いし、自分に合った場所も確実に選べる。(と、私は、思っている。実際に、外国に行ってみると、需要と供給の関係で、それなりに、それに応じる様な感じになっていること、多い。但し、最低限の現地の言葉は、絶対に必要だが、幸いなことに、今では、電子辞書もあるし、声が出るのさえあるので、難儀することは、益々少なくなっている。もう一度言います、語学の上達法は、難儀すること、そして、続けることです!!自分が使う下手な現地の言葉で通じた時の喜びは、苦しんだ人しか味わえない素晴らしいものです。その経験も、若い時であればあるほど、ベタ一だと思っています。)

何故、語学研修を海外でするのか?
 何故、語学研修をしようとしているのか?これが問題である。フィレンツェでのイタリア語の語学学校に行った時に、参加者の期間を聞いて驚いた。自分の様に、1カ月の人、誰もいなかった。夏休みだと、時々いるとのこと。日本からその学校に行っている人は、少なくとも3カ月(そんな人も少なかった)、大半は、半年以上か1年以上で、遊びの人はまずいなく、そこで、料理や絵画の勉強をする為に、まず、語学をと頑張っていた。で、1年経っている人は、日常会話には、まず、苦労していない様であった。皆、日本でそれなりにイタリア語を教える語学学校に通っていたのに、日本では、あまりものになっていなかった様である。
 日本人は、立派な英語を話そうと、一生懸命である。しかし、肝心のそれを聞いている外国人は、日本人の英語よりも、日本人の話す内容に興味を抱いている。そのことに、我が娘は、高校2年の夏休みに、アメリカに留学して、気が付き、突如、「お茶教えて!お願い!」と言われた。But、趣味も、1年そこらで出来るものではない!1年間みっちりと教えたのだが、・・・(当たり前だが、ものにならなかった)。
 私の場合は、和太鼓があり、篠笛があり、そして、下手な書道がある。茶道や謡曲に付いて、実際にしてきているので、何もそれをしてない人よりは、ちゃんと説明が出来る。行く前には、折り紙の勉強もやって行って、そこにいる日本人にまで、教えて喜ばれた。
 チェンマイの人やフィレンツェの人や、カナダの語学学校に来ているメキシコ人やイラン人やサウジアラビア人などと英語(私の全くのブロウクンイングリッシュであるが)で話して、実際のその人達の国の現状を教えてもらったり、又、日本人とその人達との価値観の相違を知って、驚いた。
 語学の学習の醍醐味は、正に、そんな所にあると思う。
*私のフランス語の先生

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道具を使うサル

2008-07-31 08:11:36 | Weblog
(平成20年7月27日(土)のNHKスペシャル「南米の驚異、道具を使うサル」より)
 2004年12月、世界を驚かせるニュースが発表された。ブラジル北東部に広がる乾燥地帯で、石を道具として使うサルが発見されたと言うのだ。石を道具として使うのは人間とチンパンジーだけと考えられていたサルの常識を覆す「世紀の大発見」である。
 その主人公は、頭が良いことで知られているフサオマキザル。南米で最も広い範囲に分布する体重3キロほどの小さなサルで多くはアマゾンなどの熱帯雨林で暮らし、果物を主食にしている。道具を使う行動が発見された乾燥した森は、木がまばらで熱帯雨林ほど果物が実らない。そこでサル達が目をつけたのが地面に生えるヤシの実だ。しかし、このヤシの実は、堅い殻に覆われていて、そのままでは食べることが出来ない。
 フサオマキザルは持ち前の知恵を働かせ、石を道具として使いヤシの実を割る行動を進化させたのだ。石の重さは1キロ程。2本足で立ち上がり、自分の体重の3分の1もある石を使って実を割る姿は、まるで私たち人間の祖先が行っていた活動を、現代に再現させている様にも見える。

 サルとチンパンジーが分岐したのは、3.500万年前、そして、そのチンパンジーから人間が分岐したのは、700万年前。知っての通り、チンパンジーの頭の良さは、生まれてから人間を抜いている。小さい子をチンパンジーと一緒に育てると、小さい子がそのチンパンジーをお手本にして育つとのこと。
 普通のサルが、自分の半分以上の石を持って、クルミの20倍以上の硬さのヤシの実を割るなんて、この20世紀まではとても想像できなかったこと。四つんばいのサルが、二本足で立ったまま、大きな石を上からヤシの実に命中させて振り落とさないといけない。考えるに、これは極めて高度の技だ。
 そもそも、ヤシの実を石で割る為には、3つの要素がある。「石」と「台」と「ヤシの実」だ。その石を遠くから運んでいるし、各サルがそそれぞれ違った好みの石で(ボスを先頭に)順番に割っている。台も、決められた(7つの)台でだ。その格好も、それぞれで、長い尻尾を周りの枝に巻き付けてバランスを取って打っているサルや、助走を付けて打っているサルや、打つ前に2回ヤシの実を叩いて打つサルなど、個性的だ。
 更に面白いと思ったのは、決して、母親と言えども、自分の子どもに餌をやろうとしないことだ。子どもは、親の姿を見て、盗み見して、生きる手段を覚えるしかない。自分なりに試行錯誤しながら覚えている。初めの動作は、ぎこちないものだ。何度失敗してもめげずに挑戦して、目出度く、ヤシの実を美味しく食べている。それが出来ないと、ヤシの実より小さな柔らかに実しか食べられないし、ヤシの実のおこぼれを拾って食べるしかないのだ。
 昔、学校で、人がサルと違うのは、二本足で歩けること、道具を使うこと何て教わっていた。しかし、日本サルでも、訓練すれば、二本足で歩ける様になっている。背骨がS状に曲がる様になるのだ(サルの脳も人間と同じで、継続は力なりなのだ!)。美味しいものを食べたいと言う欲求が、進化をもたらすのだなあ。
 この番組を見て、生き物の限りない可能性を認めざるを得ない。しかし、人間の場合は、あまりにも脳が発達し過ぎて、快楽を求めすぎての結果、自然を破壊し、後戻りできない状態になろうとしているが・・・?!

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