日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

ある日の診療日誌より・・・

2007-12-14 15:39:50 | Weblog
 平成19年○月○日、8歳の女児が嘔吐で午前中に来院、39度以上の熱あり、頭痛あり(下痢と腹痛なし)、お腹も凹で、心音や股動脈音が異常に高く、無欲状顔貌で元気ない。今流行の(ノロウイルスによる)急性胃腸炎かと思い、点滴施行。尿アセトン強陽性で、CRPの増加はなく、白血球数やや減少(ウイルス感染所見)。
 点滴しても、なかなか一般状態が収まらない。髄膜刺激症状(頭を前に曲げると痛がる)も、疑わしい(ウイルス性髄膜炎の場合は、細菌性髄膜炎ほど、典型的に髄膜刺激症状が出にくい)。しかし、(髄膜炎の時によく経験するが)点滴して頭痛が強くなった感じだ。今までにアセトン血症嘔吐症の既往はない。
 で、一応、外来と入院で、それぞれ1回、漢方薬(葛根湯+五苓散)の注腸をする。少し改善するも、きつそうにしているし、熱も下がらない。明日、状況が改善していなければ、CT検査して髄液検査もしますと説明する。
 21:00に、様子を見に行き、髄膜炎の可能性大だと説明した。手足の先が熱く、眼球充血して顔面紅潮し、脈は洪脈で、熱証の典型的な状態。で、21:15に、葛根湯+黄連解毒湯を注腸する。
 翌日の3:00にも、同じ注腸予定が、37度以下になった為に、注腸中止とし、朝から内服の錠剤に変更する。昼食もよく摂り、嘘の様に軽快している。で、めでたく、全く頭痛なく食事も摂れるので、2泊3日で退院となった。
 兄(当時7歳)が同じ様に、昨年の9月に、高熱と嘔吐と頭痛があり、髄膜刺激症状がある為に、(ウイルス性)髄膜炎を疑われ(この時にも、下痢と腹痛なし)、髄膜炎で入院して、私は同じ様に漢方薬で注腸して、2泊3日で退院させている。
 どうしてこんなに漢方薬が効くのだろうか。
 黄連解毒湯の注腸を、アデノウイルス感染症や熱が高くて興奮気味な子どもによく使用して、多くの例で著効している(2年前に、川崎病にも、使用して著効した)が、インフルエンザ脳症にも、恐らく効果があると私自身は、思っている。
 西洋医学では、熱冷ましの薬として、アセトアミノフェンしか日本では使われていない。理論的には、38.5度以上なると、ウイルスも次第に増殖が抑えられてくるのだが。又、アセトアミノフェンは、痛み止めとしても小児では頻用されている。原則5日間、座薬は1日1回、内服は1日2回と書かれている。小児に対する安全性は確立していないとまで添付文書に書かれている。
 漢方薬には、熱冷ましとして10種類以上もある。熱冷ましとして保険が効くエキス剤以外にも、ギンキョウサンやソウギクインや安宮牛黄丸など、保険が効かないが、中国では頻用されているものもある(中医学では、清熱剤の代表的なものに、白虎湯や黄連解毒湯があり、突発性発疹症では、しばしば白虎加人参湯を与えて、3日間の熱の期間が短縮できているが)。  実の証の人の熱には、強い熱冷ましでも対照療法的に対処できるが、虚の証の人が微熱でも熱く感じる場合には、西洋医学では、適切な薬はないと思われる。


 トリインフルエンザでは、ウイルスによる出血傾向があり、ウイルス性肺炎で小児が早期に死亡する例が多いと思われる。又、多量のサイトカインにより、インフルエンザ脳症も早期に起きると思われる(その多くは、発症して72時間以内に)。
 黄連解毒湯は、高熱だけでなく、興奮性も取り、出血傾向も抑えるし、葛根湯+黄連解毒湯で、かなりの効果が上げられるのではないかと思っている。(黄連解毒湯は、虚証では、原則使えない。高熱で興奮していても、手足が冷たい初期の時には、黄連解毒湯のみで使うことはしていない。初期にどうしても使用したい場合は、葛根湯と一緒に使用している。)

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為になるかも知れない本(その238)

2007-12-14 08:41:59 | Weblog
○昭和60年6月6日(木)晴。
 腹の調子がおかしい。右下腹部が痛い。何となく、体がだらしい。体力第一だが、睡眠不足のせいもあるなあ。こんな感じでずっと頑張れないなあ。
○昭和60年6月12日(水)雨。
 午後から予防接種に行った。医大から○○先生(助教授)が来た。次の学会演題募集も来た。するべきことが多いが、何故か力が出ない。体がだらしいのだ。本日より、患者さんの教育を外来のビデオを使ってすることにした。
○昭和60年6月13日(木)曇。
 雨が降っている。自分の作ったビデオを皆が真剣に見ていないので、ガックリ来た。やはり、面白くないと見ないなあ。自分の話し方も上手でないし、肩苦しい医療の話だけでは、飽かれてしまう感じだ。これも、試行錯誤の経験でその内、受け入れられる様になれるのかなあ?
○昭和60年6月15日(土)晴。
 (長女を使って、患者さん教育用のビデオを、質問形式で作成した)夕方、番匠川をバックに撮ったが、文字が小さくて失敗した。もっとアップの文字にしないといけなかった。ちょうど30分間で終わってうまく行ったのだが
○昭和60年6月16日(日)
 朝早く起きて、番匠川に行って、再び挑戦した。後で見ると、まあまあいいかなと思った。女島の浜はとてもきれいだ。ミーコもケーちゃんも、ワコも喜んでいた。子どもって、山よりも海がいいんだなあ。海は平面で、山は凸凹だ。子ども達、スタミナがあるなあ。(その後、暇を見ては、何度も撮り直して、次第にいい感じのものを作成して行ったが・・・)
○昭和60年6月22日(土)雨。
 130人程来た。少し多くなりつつあるのかなあ。少ないと、気分的にだらけてしまう感じだ。個人病院なんて、採算が合わなければ、やっていけない。しかし、それ相応の給料をもらっているので、月給泥棒と言われない様にしないといけないなあ。その内、借金を返し上げられるかと思うと、頑張る気にもなる。(今、自分が倒れたら、我が家は大きな借金をして、大変だ・・・)
○昭和60年6月23日(日)晴。
 朝、PTAの授業参観に行った。ミーコ(長女路子)は、一番後ろの端に座っていた。一回、朗読をしたが、上手かった。10時から、「3歳までに非行の目が生まれる」を書いた人の講演があった。少しおかしな所もなきにしもあらずであったが、とても為になった。三つ子の魂、100までの言い方は、多くの面で言えるのだなあ・・・。


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